【ゆるゆりSS】ふたりの距離 (32)(完)
15:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:39:02.22:I2AyKHWk0 (15/32)
――櫻子がばかなことをしたのは、本当に櫻子が悪いと思う。
ひま姉がずっと手を差し伸べてたのに、ずっと素直になれなくて、ずっとずっとその気持ちを裏切ってきた。
あんな風にふざけて0点の答案を見せびらかすような真似をして。
本当に、本当にばかだった。
「でもね、櫻子はもう変わったんだよ……」
あの冬の日からずっと抱えてる、ひま姉に謝りたいって気持ち。
いくら声に出しても意味がないってわかって、その気持ちを伝えるには勉強するしかないんだってことにやっと気づいて。
信じられないかもしれないけど、櫻子は変わったんだよ。
ひま姉と一緒の高校に入るって目標を本気で目指して、毎日毎日、頑張ってるんだよ。
楓に聞いて、知ってるでしょ。
「それなのに……なんでひま姉、櫻子のこと許してくれないの……」
「花子ちゃん……」
「なんでいつもひとりで学校行っちゃうの。なんでいつも逃げるように家の中に入っちゃうの。なんで櫻子のこと、ちゃんと見てあげないの……」
たくさんの想いが詰まった熱い涙が、七森中の制服に染みこんでいく。
向日葵の腕をぎゅっと掴みながら、花子はこれまでの思いの丈を訴えた。
そこへ、
「何してるの、花子」
「っ!」
「どしたの……なんで泣いてるの、向日葵まで」
「さ、櫻子……」
学校からちょうど帰ってきたところらしい櫻子が、優し気な目をして立っていた。
「そっちは向日葵んちでしょ。花子の家はこっちだよ」
「櫻子っ、花子は……櫻子とひま姉に仲直りしてほしくて……っ」
「仲直りって……べつにケンカしてないよ。私たち」
「そういうのじゃなくて……! また昔みたいに戻ってほしくて……!」
櫻子は困ったように微笑みながら古谷家の門をくぐり、向日葵に抱かれている花子の手をするりととった。
「ほんとにケンカとかはしてないもん。ねえ?」
「え、ええ……」
「さ、ほら帰るよ。ごめんね向日葵も」
「櫻子……」
櫻子は目も合わせないままに向日葵にそう告げると、花子の手を引いて自分の家に帰ろうとした。
櫻子と向日葵が言葉を交わすところを見たのは何カ月ぶりだろう。花子はわけがわからないまま、やや強引に手を引かれていく。
昨日はあんなに泣きながら勉強していたのに。毎日毎日ひま姉のことを思って頑張ってるのに。
どうしてそんなに他人行儀に接するのか、花子にはわからなかった。
向日葵には、黙ってそれを見送ることしかできない。
楓もその様子を、家の中から心配そうに見つめていた。
16:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:39:44.44:I2AyKHWk0 (16/32)
やっぱり、ふたりの関係はもう戻らないところまで壊れてしまったのだろうか。
夜、やや腫れぼったい目を枕におしつけながら、花子はベッドに横になっていた。
櫻子は今日も変わらずに勉強を続けている。それもこれも向日葵と一緒になるためのはずなのに、どうしてふたりは昔のような関係に戻ろうとしないのだろうか。
櫻子のことも、向日葵のことも、もうわからない。
これが大人になるということなのだろうかと、花子は小さくため息をついた。
そんなことを考えている時、枕元のスマートフォンがメッセージを受け取った。
ちらりと見えた送り主のアイコンが視界に入り、花子は大きく目を見開いてそれを手に取る。
直接メッセージをもらうのは何カ月ぶりだろうか。送ってきたのはまさかの向日葵だった。
[まだ、起きてますか]
(ひ、ひま姉……っ)
[今日は本当に、ごめんなさい]
ふと、夕方に向日葵に抱きしめられていた時の感触を思い出す。
一方的に思いをまくしたててしまったが、「私からも伝えたいことがあります」という気持ちが、あの抱擁には込められていたような気がずっとしていた。
(ひま姉は……ちゃんとわかってくれてる……)
花子は、向日葵に会えない間もずっと、向日葵のことを信じていた。
櫻子が向日葵を裏切ってしまったとしても、向日葵が櫻子を裏切ることは絶対にないと、心の隅で頑なに思っていた。
[もしも花子ちゃんが良ければ、お話しませんか]
[玄関の鍵を開けておきますから]
最後のメッセージが届くころにはもう、花子はこっそりと家を抜け出す準備を終えていた。
櫻子に気付かれないよう、細心の注意を払って古谷家へと向かう。
空には満月が煌々と輝いていて、夜だとは思えないほど明るいような気がした。
17:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:40:24.80:I2AyKHWk0 (17/32)
「花子ちゃんには、全部話しておかなきゃと思いまして」
「ひま姉……」
明かりが小さく落とされた、薄暗い向日葵の部屋。そのベッドのへりに並んで座って、花子は向日葵の話を聞いた。
パジャマ姿の向日葵はどこか昔よりも大人っぽい気がして、なんだかドキドキしてしまいそうなほど、綺麗だと思った。
「櫻子が勉強し始めたのって……去年の年末から、なんですのよね?」
「うん……」
「……私、すぐには気づけませんでしたわ。初めて知ったのは楓に教えられたときで……それを聞いても、しばらくはとても信じられなかった」
「……」
「その頃の私は……櫻子との関係を断ち切ろうとしていたんですわ」
「!」
初めて向日葵の口から語られる、 “向日葵側” の真実。
膝元に乗せられた花子の小さな手を両手で包みながら、向日葵はぽつぽつと打ち明けた。
「ずっとずっと、不安だったんですわ。私と櫻子は、中学を卒業したらどうなってしまうのかって」
これからも一緒に同じ学校へ行けるのか。
それとも、まったく違う学校へ進むのか。
櫻子は、どちらの道を選ぶつもりなのか。
「私は……叶うことなら、一緒の学校に進学したいと思っていましたわ。でも、あの子の成績がいつまで経ってもそれに見合うものにならなくて……あの子には、私と一緒の学校に進むなんて選択肢は、最初からないのかもしれないって……」
「……」
「櫻子の気持ち……直接聞いてみればいいのに、そんなこともできなくて。どっちだろう、どっちなんだろうって、ずっと気にしていることしかできなくて。でもその答えを決定的に思い知らされたのが……あの冬休み前のことだったんです」
あの日で、すべてが終わったような気がした。
――望みの薄い希望にいつまでも縋っていたのは、私ひとりだけだったんだ。
心のどこかではなんとなくわかっていて、その現実を受け入れる準備だって、できていると思っていたのに。
0点の答案を振り回す櫻子を前にしたとき、自分の中で何かが決壊してしまった。
最初からそんな道なんてなかったのに、一方的に期待を寄せて、一方的にお節介を焼き続けて。
何もかもが空回りしていたことに気付かされ、すべてがばからしくなってしまった。
どんなにいがみ合うことがあっても、櫻子と自分の思いはいつでも一緒だなんて、小さいころと同じように信じていた自分の幼さが、笑けてくるくらいに悲しかった。
「そして……決めたんですわ。櫻子とお別れできるようになろうって」
「っ!」
「今から少しずつでも、あの子との距離を離して……高校に上がるころまでには、自然に “櫻子離れ” ができるようにならなきゃって、そう決心したんです」
いつかは必ず訪れる、別れの時。
その時がきても苦しくならないように、気持ちの整理をつけておく必要があった。
そうでもしないと、きっと壊れてしまうから。
櫻子はそのままどこかに行ってしまって、自分は暗いところに置いてきぼりにされて、もう自分ひとりでは動けなくなってしまいそうな気がしたから。
だから、冬休みはほとんど家から出なかった。
櫻子に会うのが怖かったから。
年が明けてまた学校が始まるその時までに、櫻子のことを見ても泣かないようにならなきゃと、自分で自分の心に言い聞かせていた。
そうして、ふたりの距離は “順調に” 離れていった。
「でもあるとき、楓から教えてもらいましたわ。櫻子が勉強を始めたと」
「!」
「それを聞いて私は……すぐには、とても信じられませんでした。もしかしたら、そういう嘘を楓に吹き込んだんじゃないかしらって、そんな嫌な想像をしてしまうくらい」
もう、期待したくない。期待をすればするほど、後で傷つくのは自分なのだから。
「もう、櫻子の前であんなに泣いたりしたくなかった……だから、その後も私は変わらずにいようとしました」
けれど、それだけの変化ともなれば、やっぱり自然と伝わってくるもので。
櫻子と何も喋らなくても、櫻子を視界から外そうとしても、どうしたって肌で感じるほどにわかってしまうほどで。
――あの子が本当に変わり始めているなんてことは、すぐにわかっていたんですわ。
向日葵のしっとりと落ち着いた言葉に耳を傾けながら、花子は「やっぱり」と目を細めた。
櫻子のことを、ずっとずっと隣で見守ってきた向日葵が、気づかないはずがない。
楓に教えられずとも、必ず気づいていたはず。櫻子の変化を……姉妹である自分や本人でさえ気づかないような些細な変化でさえ敏感に感じとれてしまうのが、本来の向日葵のはず。
「本当は、怖かったんですわ。また期待して、そして絶望して……同じことを繰り返すんじゃないかって。でも……そんな怖さと同時に、嬉しいという気持ちが湧き上がってくるのもまた……抑えられませんでした」
内なる恐怖と、抑えられない期待。
視界の端に物憂げな櫻子が映るたび、いつもより集中して授業を聞く華奢な背中が映るたび、その均衡は徐々に徐々に崩れていって。
期待はそのまま膨らみ続け、いつの間にかまた、胸の中で希望の種が芽を出し始めていた。
そんなある日、放課後の教室に、櫻子がひとりで残っているのを見つけてしまった。
18:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:41:32.48:I2AyKHWk0 (18/32)
「あれは……2月の終わりくらいでしたか」
問題集を広げて、授業中にとったノートを見返して、せっせとペンを動かしていた。
私にとっては見慣れない姿。でも、ずっとずっと見ていたくなるような、そんな懐かしい背中。
気付けば、その隣に立って。
「櫻子」って、名前を呼んでいる自分がいた。
私のことはとっくに帰ったと思っていたんでしょう。
櫻子は驚いたようにまんまるに目を見開いて、こちらを見上げて。
こんなにしっかりと目が合ったのは何日ぶりだろうってくらい、ずっとずっと見つめ合っていた。
かけたい言葉はたくさんあるはずなのに、何を言っていいかわからなくて。
「わからないところとか、ありませんの」って……そんなつまらないことしか言えなかった。
でもそれだけで、心が満たされていくのを感じた。
愛しい気持ちが……湧き上がって抑えられなかった。
「でも……あの子の胸の内は、私と同じではありませんでしたわ」
手を伸ばして櫻子の頭に触れようとしたとき、櫻子は突然がたりと椅子を引いて、わずかに距離をとった。
その目は申し訳なさそうに虚空を見つめていて、ゆらゆらと揺らめいていた。
「……めて」
「え……」
「やめてよ……」
「櫻子……どうして……」
「やなんだよ……もう、優しくしないでよ……」
首を振りながら不安気な声を絞り出すと、櫻子は突然立ち上がって問題集やらペンやらをひっつかみ、乱暴にカバンにしまった。
呆気にとられている向日葵は、身動きが取れなくなる。
それでも、荷物をしまい終わった櫻子が教室を出ていこうとするときには、無意識にその腕をつかんでいた。
「櫻子っ」
「やめてってば!」
「どうして……!」
「嫌なのっ!!」
「!」
櫻子は向日葵の手を乱暴にふりほどき、肩を震わせながら息を整えていた。
「もう……嫌なの。向日葵のこと……裏切るの……っ」
「え……」
「私に優しくしないで……私を甘やかしたりしないでよ……」
ふるふると首を振り、自分に言い聞かせるように小さく呟きながら、うつむきがちに教室を出ていく。
うすら寒い廊下へと消えていく小さな背中を、向日葵はただ見送ることしかできなかった。
しばしの静寂ののち、櫻子のいなくなった机を指先でつっとなぞる。
言葉の意味はうまくわからなくても、櫻子の気持ちは痛いほどに伝わってきた。
期待に応えられないかもしれないことに、これ以上裏切りを重ねてしまうことに、櫻子は恐怖していた。
けれどその中に、もうこれ以上傷付けたくないという “優しさ” のようなものを、向日葵は感じずにはいられなかった。
そして、翌日。
生徒会室で事務仕事をしていると、突然ドアががらりと開いた。
入口に立ち尽くしていたのは、自分があげたマフラーに鼻先まで顔をうずめてうつむく櫻子だった。
その手には、紙が一枚握られている。
それは……七森中生徒会からの、退会届だった。
「ごめん、向日葵」
「櫻子……」
「私……もう、ここには来ない」
「……」
「今までずっとさぼっててごめん。今までずっと、押し付けちゃっててごめん」
深々と頭を下げ、櫻子はそのまま踵を返し、生徒会室を後にした。
あの冬休み前の日からずっと、櫻子は生徒会に来ていなかった。
こんなものを出さなくても、もう櫻子は来てくれないだろうということは、薄々わかっていた。
最近では後輩も、「大室先輩はどうしたんですか」と聞いてくることはなくなっていた。
それでも、こんな紙を出してきたのは、なぜなのか。
「あの子は本当に……怖いんでしょう」
自分の努力が実を結ばないことが。このまま勉強を続けても、一緒の高校に受からなかったときのことが。
(私を……もう一度裏切ってしまうことが)
やや折り目の付いた、かさついた紙を撫でると、櫻子の気持ちが伝わってくるようだった。
期待に応えられない可能性があるから、期待してほしくない。
もう自分には、結果を出す以外ない。
櫻子のことを遠ざけようとしていたとき、櫻子の方も自分から遠ざかっていこうとしていた理由が、やっとわかった。
その方が、都合がよかったのだ。
私が近くにいると、あの子は困るのだ。
19:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:42:09.04:I2AyKHWk0 (19/32)
花子は、今も薄暗い部屋で勉強を続ける櫻子のことを思いながら、向日葵の言葉に耳を傾けた。
ずっと見えてこなかった向日葵の思惑が、ずっと不思議に思っていた櫻子のすべての行動が、腑に落ちていくような気がした。
今のこの状況が、なるべくしてなったどうしようもない現実だということが、やっとわかった。
「だから私は決めましたわ。あの子のしたいようにさせてあげようって」
「……」
「受験結果の出るそのときまで、あの子が自分を律するためにとる方法がそれなのだとしたら……そのとおりにしてあげたいって、思ったんです」
櫻子の気持ちを尊重する。
あの子のために、なるべく静かにしていよう。
あの子の邪魔にならないように、遠くから遠くから配慮してあげよう。
向日葵が今も櫻子から距離を取り続けている理由は、それだった。
「そうこうしていたら、いつの間にか三年生になって……とうとうクラスまで別になってしまって。でもよかったのかもしれませんわ。あの子の歩くスピードは落ちていないようですから……きっとそれが答えなんでしょう」
「……そうかもしれないし」
「ごめんなさいね……花子ちゃんからしてみれば……私のことはずっと、冷たく映っていましたわよね」
「っ……」
「櫻子になるべく関わらないようにしなきゃって……そのためには、花子ちゃんに会ったりするのも控えなきゃって、思ってました。本当にごめんなさい」
「……いいんだし、そんなことは」
「でも私は……本当は今もずっと、あの子のことばかり考えてしまっているんですわ」
「わかってる……」
「ふふっ。ばかみたいに思うかもしれませんけど……本当に、あの子のことばかり」
花子の髪を優しく撫でながら、向日葵は自虐気味に笑った。
やっぱり向日葵は、いつまでも自分の知っている向日葵だった。花子は向日葵の左肩にぽすんと体重を預けた。
――ああ、この人は本当に櫻子のことが好きなんだ。
櫻子のことが大切で仕方なくて、いつだって櫻子のことを想ってくれていて。
こんなに距離をとっているように見せかけても、本当は気になって気になって仕方ないんだ。
「退会届については、正式に受理してませんわ。だからあの子は今でも、うちの生徒会の一員です」
「えっ……」
「もともとあの子がいなくても、普通に回ってるような組織ですし。それにあの子のぶんの仕事をしていると、私もなんだか落ち着くんですわ。櫻子のためにしてあげられることが、まだあるんだって思えて」
放課後の生徒会室は、今は自分にとっての仕事部屋兼、勉強部屋兼、「櫻子との帰宅時間をずらすための待合室」。
そしてあの部屋が一番、櫻子のことをこっそりと感じていられる場所だった。
20:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:42:45.74:I2AyKHWk0 (20/32)
「……花子ちゃんに、お願いがあるんです」
「おねがい?」
「櫻子のこと……これからも支えてあげてほしいんですわ」
「……!」
「あの子がここまで頑張れてるのは、どう考えても、花子ちゃんや撫子さんのサポートがあってのことでしょう。それをもう少しだけ、続けてあげてほしいんです」
もう私では、できることは限られているから。
私が手を差し伸べることを、あの子は望んでいないから。
代わりに、 “今の櫻子” に一番近い人に。
「これからもずっと……見守ってあげてほしいんですわ。あの子のこと」
「ひま姉……」
「今日、花子ちゃんがうちに来てくれて……花子ちゃんが櫻子のためにここまでしてくれる子なんだってわかって、なんだか本当に嬉しかったんですわ」
「う……うぅっ……」
「だから、花子ちゃんにだけは私の気持ちを伝えなきゃって思って……思わずお呼びしてしまいました。ごめんなさい、とりとめもなく長話をしてしまって」
「いいし……いいんだし」
「ふふっ、櫻子は本当に幸せ者ですわね……こんなに可愛い妹さんをもって。こんなに素晴らしい家族に恵まれて」
向日葵は体重を預けてくる花子を抱きしめたまま、ぽすんとベッドに倒れた。
その目頭にきらきらとした雫が光っているのを、花子は指を伸ばして掬いとる。
こんなに温かい涙を流してくれる人が、櫻子にはいるんだ。
この人はきっといつまでも、櫻子のことを待ち続けてくれるんだ。
「……花子にどれだけのことができるか、わかんないけど」
「……」
「櫻子がしぼんじゃわないように……がんばってみる」
「……ありがとうございます、花子ちゃん」
櫻子のために、向日葵のために、今の自分にしかできない役目があるということが、花子には嬉しかった。
けれど、
(でも……やっぱり)
そんな気持ちとはべつに、ふたりに対して思うところがある。
(やっぱり……ふたりには、一緒にいてほしいし)
コツコツと努力を続ける櫻子もかっこいいけど。
やっぱり、ひま姉とツンツン突っぱね合ってる姿の方が、元気そうに見えるから――。
花子は柔らかい胸に抱かれながら、向日葵の成分を身体いっぱいに補充して、
そして家に帰って机に向かっている櫻子の背中を抱きしめ、その成分をいっぱい送り込んだ。
櫻子は突然の愛情深いハグに困惑したが、黙ってその温かみを受け入れる。
花子に心配をかけてしまっていることは、櫻子も重々承知していた。
それこそ、勝手に向日葵を待ち伏せて、勝手に思いの丈をぶつけてしまうくらい。
当人同士よりも気持ちが高ぶってしまうほど感受性が高すぎる妹が、可愛くて仕方なかった。
「もう……しょうがないなー花子は」
櫻子はペンを置き、そのまま花子を抱っこしてベッドに運び、自分も横になった。
撫子が家を出てからというもの、一緒のベッドで眠る回数が増えていることは、ふたりだけの秘密だった。
21:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:43:58.04:I2AyKHWk0 (21/32)
春が過ぎ、一学期が終わり、中学生活最後の夏休み。
姉妹の手厚いサポートもあり、そして何より固い決意で努力をし続け、櫻子の成績は着実に上がっていた。
返ってきた答案用紙を、目を背けるようにバッグにしまう櫻子はもういない。
代わりに、クラスの平均点を上回る点数が増えてきたテスト結果を、嬉々として花子に見せつける櫻子がそこにいた。
それでもまだまだ、向日葵と同じ志望校を目指すレベルには達していない。
この夏休みにどれだけ頑張れるかがカギになる。櫻子自身もそれはよくわかっていた。
クーラーをつけているのに、窓からじりじりと暑さがしみ込んでくるような気がする、昼間の大室家のリビング。そこには今日も、早々に宿題に手を付ける花子と櫻子が、さらさらとペンを動かしていた。
難問につまずいたり、不安定な精神状態になるときもあるけれど、櫻子は自分なりのスピードで着実に歩みを進め続けている。
その横顔をみるたびに、高校時代の撫子と一緒にここで宿題をしてきたときのことを、花子は思い出す。
本当にいつのまにか、櫻子も同じ顔をするようになっていた。
花子はふと鉛筆を置き、背中にあるソファにぽすんと身体をあずけて天井を見つめる。
櫻子は問題集に目を落としたまま言った。
「集中力切れちゃったの?」
「……んーん」
「がんばれがんばれ、ほらっ」
「ふふっ、櫻子にそんなこと言われるなんて……」
「もたもたしてると私の方が早く宿題終わっちゃうぞ? そんなの屈辱でしょ」
「いーし、べつに」
ひま姉のぶんまで櫻子を支える――向日葵とそう約束したあの日から、櫻子の努力をそばで見守り続けてきた花子。
その小さな胸の中で、このごろ心境の変化が起こりつつあった。
撫子サンタに参考書や問題集をもらったあの日から半年。櫻子は姉のアドバイスどおり、よれよれになるくらい繰り返しやりこんでいる。
そして、実際の受験があるという日までは、ここからもう半年。
このぶんなら、櫻子は絶対大丈夫だ。
櫻子自身はまだまだ不安を抱えているようだが、花子はすでにそう確信していた。
――櫻子は、好きな人のためなら、こんなにも頑張れる人なんだ。
花子が知らなかっただけで、本当は最初からそういう部分を持ってたんだ。
難しい問題を乗り越えたのか、よしと小さく呟いて解答集をぱたりと閉じた櫻子が、麦茶の入ったグラスをくっと飲み干す。
氷がからりと音を立て、そしてグラスをとんと机に置いて、また問題集に向き直る。花子はほとんど無意識に麦茶のピッチャーに手を伸ばし、櫻子のグラスにおかわりを注いだ。
――櫻子のこの頑張りようを、やっぱりひま姉にも見せてあげたい。
花子はこの頃、ずっとそんなことを思っていた。
向日葵と同じ高校に進学するという目標のため、脇目もふらずに頑張り続ける櫻子。
向日葵に余計な期待を背負わせぬよう、わざと距離をとって。そして向日葵もまたその想いをくみ取り、櫻子にあまり干渉しないよう気を付けて。
そんなふたりの様子を第三者目線で見守り続ける花子は、ふたりのぎこちない関係に、やっぱりもどかしさを抱いていた。
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