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【ゆるゆりSS】ふたりの距離 (32)(完)


8:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:30:07.66:I2AyKHWk0 (8/32)

 そのとき、部屋のドアが開いて帰省中の撫子が入ってきた。
 反抗期真っ盛りといった妹の小さい背中に、鋭く言葉を投げかける。

「ドンドンうるさいよ」
「……出てって」
「下まで響くの。花子が怖がってる。やめて」
「……関係ないじゃん……!」
「関係ないことない」

 撫子はすっと部屋の中まで入り込み、ベッドでうなだれる櫻子の隣にすとんと腰掛ける。
 階下のリビングにいるフリをしていたけれど、本当は妹の部屋の前でずっと様子をうかがっていたのだった。

 ぐちゃぐちゃのベッド、投げつけられたカレンダー、1ページも進んでいない問題集が視界に入る。
 髪もハネてくしゃくしゃになり、荒れていることが一目で見て分かる妹のことを、とても放っておけなかった。

「……ひま子と一緒になれないのが、そんなに嫌なの?」

 撫子にそう言われると、櫻子は今にも飛び掛からんとする勢いで、姉に向かって感情をむき出しにした。

「そんなことないっ!!」
「……」
「向日葵と同じ高校になんか行けなくたって、そんなのっ……別にっ……!!」

 苛立ちのあまり、自分の太ももを叩こうとして振り上げた櫻子の拳を、撫子がぎゅっと掴む。

「……じゃあ、なんでそんなに泣いてんの」
「うぅ……う……っ」

 撫子は決して怒ることなく、そのまま櫻子を抱きしめた。
 櫻子は途端に全身から力が抜けていってしまい、姉にもたれかかるように倒れ、子どものように泣き続けた。

「うぁぁあ……あぁぁあぁ……」
「……まったく」

 くしゃくしゃに乱れた妹の髪を、優しく撫で付けて整える。
 抑えきれない感情が涙となって溢れ、どうすることもできなくなっている妹の背中をとんとんとさすりながら、優しく語り掛けた。

――いいんだよ。ひま子と同じ学校に行きたいって思っても。
 いいんだよ。ひま子と一緒にいたいって思っても。
 ひま子には、秘密にしておいてあげるから。
 櫻子が自分から言えるときが来るまで、ずっとずっと、秘密にするから。

 櫻子はよじよじと姉の胸に顔をうずめ、熱い涙が染み込むのも構わずに泣き続けた。撫子はしっかりとそれを抱き留める。
 久しぶりに再会して、ちょっとは大人になったのかと思ったら、まるで小学生の頃に戻ってしまったかのように泣きじゃくる櫻子を見て、撫子は少し可笑しくなった。
 さっきまで下で花子にひっつかれていたところに、今度は櫻子が泣きついている。
 ふたりとも、ずっと寂しかったのだろうか。やっぱり、家を開けるのはまだ早かったのだろうか。櫻子の頭に頬をつけて包みながら、困ったように笑みを浮かべた。

 受験という壁が立ちはだかる以上、櫻子と向日葵の道がここで一旦分かれることになるかもしれないというのは、撫子もずっと昔から気がかりだった。
 いざその時期が来た時、このふたりはどうなるのだろう。やっぱり別々の道に進むことになるのだろうか。
 その場合、ふたりはそれぞれ納得してその道を歩むのだろうか。進む道は別々になりながらも、今までどおり一緒に居続けるなんてことができるのだろうか。
 それとも……ふたりの距離はここで完全に引き離され、二度と昔みたいな距離に戻ることはなくなってしまうのか。
 もしくは……櫻子がここから死ぬほど頑張って、ひま子と一緒の学校に行ったりするような未来が、あったりするのだろうか。

 未来のことは誰にもわからない。すべては当人たち次第。
 そんなことを思いながらふたりのことをずっと見守っていたつもりだったが、やっぱりこんなことになってしまうのかと、泣きわめく櫻子の髪を手櫛で梳きながら、呆れ気味に思った。

 撫子に櫻子のことを怒る気はない。だってふたりはべつに、「一緒にいなければいけない」関係ではない。
 ここまで学力に差があるふたりが一緒の学校に進むには、櫻子が死ぬほど頑張るか、向日葵が相当妥協する道を選ぶかのどちらかしかない。もちろん向日葵には後者を選んでほしくはないし、そして後者を選ぶほど愚かではないことも重々承知している。
 そうなると前者しか方法はない。きっと向日葵は一縷の望みをかけて、前者の未来がいつかやってくるようにと願いながら、今まで櫻子の面倒を見てきたのではないだろうか。
 けれど、そんなのはやはり夢物語なのかもしれない。本人たちを含む誰もがそう思っていたことだろう。だったら、一緒の学校に進むという未来を無理に選ぶなんてことはしなくてもいいはずだ。その先でまた道がひとつに合流する可能性もあるし、未来の形はひとつじゃない。
 どんな道を選ぶかは、その時その時のふたりが決めればいい……撫子はそう思っていたが、どうやら話を聞く限り、向日葵も櫻子も「可能性の低い未来」をまだまだ信じていたいようだ。
 だったら姉として、その未来に手が届くように、少しでも応援をしてあげよう。

 すっかり泣き疲れてしまったのか、腫れぼったい目を閉じてすんすんと鼻を鳴らしながら眠った櫻子に毛布を丁寧に掛け直し、撫子は部屋を後にした。

――――――
――――
――





9:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:31:21.36:I2AyKHWk0 (9/32)

 12月25日。
 いつも以上に重たい目蓋を開けて櫻子が目をさますと、外がやけに明るかった。
 カーテンを開けてみると、一面の雪景色。いつの間にこんなに降っていたのだろう。
 視界の端に向日葵の家が写った。少し目を細めて、向日葵が玄関から出てきたりしないだろうかと思ったが、何の変化もない。
 諦めてベッドの方に戻ろうとすると、そこでベッドサイドに何かが置かれていることに気付いた。

「え……?」

 白い紙製のラッピングに包まれた、ちょっとしたダンボールほどはある大きさの何か。手に持ってみるととても重い。
 包装紙自体は適当に家にあった紙を使っただけのようだが、その包装の仕方はまぎれもなくプレゼントのそれだった。
 そうだ。今日はクリスマスだ。

 大急ぎで包装紙のテープ部分をカリカリと剥がしてみる。中から出てきたのは、どうやら数冊の参考書のようだった。

「メリークリスマス」
「ね、ねーちゃん?」
「なにそれ、プレゼント? サンタさん来てくれたんだ。よかったね」

 ドアからこっそり顔をのぞかせた撫子が、少しだけ楽しげにこちらを見ていた。
 櫻子は眉をひそめながら裏表紙を見る。

「これ……ねーちゃんの名前書いてあるけど」
「あちゃー……まあ、隠してるわけじゃないけどさ。それ、私が高校受験の時に使ってた参考書」
「!」
「私も当時は何が良いかって、いろいろ探したからさ。そこにあるのは特におすすめのやつ。ちょっとだけ古いかもしれないけど、範囲とかは変わってないみたいだから……全部櫻子にあげる」
「……ねーちゃん……」

 プレゼントに参考書なんてもらっても、去年までの自分だったら怒っていたかもしれない。
 けれど今の櫻子は、なぜか少しだけ、目の前のその難しそうな本に希望のようなものを感じていた。
 片っ端からぱらぱらとめくってみる。撫子は昨晩と同じようにその隣に腰掛け、櫻子の小さい頭を撫でた。

「櫻子……勉強してみよ」
「!」
「勉強すればいいんだよ。そうすれば、これからもひま子と一緒にいられるよ」

 櫻子の目が大きく見開かれる。
 答えは最初から、ずっとそこにあった。

「ほら見て、こういうのとか。細かい参考や解説がわかりやすい位置についてて……とにかく使いやすいの。しかもこれ一冊で、この教科の大抵の部分はマスターできる」
「……うん」
「もしもここにあるやつが全部できたら、県内の高校くらいはどこにだって行けるかもしれないよ。私が行ってた高校もたぶん大丈夫。たぶんひま子も……そこ目指してるんでしょ」
「!」
「だからさ、まずはここから、やってみなよ」

 撫子は一冊の参考書を櫻子に持たせ、その手を上から包んだ。

――この一冊。この一冊をひととおりやってみな。
 何回も何回もやって、全部の答えを暗記するくらい、やりこんでみなよ。
 それが終わったら次の一冊。それも終わったら、またもう一冊。
 そうやってここにあるものが全部できたとき、櫻子はきっと、ひま子と同じ高校に行けるようになってるよ。

「わからないことは全部復習ページに載ってる。それでもわからなかったら、いつだって私が教えてあげる。一緒に考えてあげる……だから、まずは一歩、踏み出してみよ」

 撫子の優しい声を受け、櫻子のすっかり枯れてしまったと思った目から、また熱い雫がこみあげてきた。

「まず一問。まず1ページ。少しずつ、少しずつでいいの」
「う……うぅっ……」
「ひま子と一緒の高校に行けるようにさ……頑張ってみようよ」

 大室櫻子、中学二年の冬休み。
 12月25日の、クリスマス。
 この日、櫻子は一度も家から出ることなく、静かに机に向かい続けた。
 お茶を持ってきたり、わからないところはないかと様子を見に来たりと、かいがいしく面倒を見ようとする撫子・花子に見守られながら、櫻子は険しい道をゆっくりゆっくりと歩き出した。

 この道は、「ふたりの距離」を戻すための道。

 わからない問題にぶつかると、気持ちが焦る。頭をかきむしりたくなるような不安に襲われる。
 けれど向日葵の顔を思い浮かべると、前に進む気持ちが湧いてくる。
 もう泣かせない。もう二度と、あんな顔はさせない。
 その速度は決して早いものではないが、目の前の一問一問をこなすたび、確実に向日葵との距離が詰まっているような気がして、それだけで櫻子の胸には勇気が湧いた。

――櫻子はこの日、生まれて初めて、勉強を通して「嬉しい」という感情を抱いた。

 結局この冬休み、大室家はいつもより静かな正月を迎えた。
 櫻子は、少しずつ少しずつ一日の勉強時間を増やし、最後にはほとんど受験生のようなスケジュールで、自分から机に向かい続けていた。
 まるで人が変わったようだったが、花子も撫子も、それを温かい目で見守り続けた。
「このぶんなら私が戻っても大丈夫でしょ」……三が日を過ぎたころ、撫子は櫻子の様子を逐一伝えてもらうよう花子に頼み、下宿先に戻っていった。
 花子も、櫻子がついに変わったことを喜ばしく思いながら、ややお節介気味にサポートをし続けた。

 三学期が始まったら、きっとひま姉は驚くだろう。
 もしかしたらいつか本当に、一緒の高校に行けるほど櫻子の成績が上がってしまうのかもしれない。
 そんな未来を思い浮かべながら、せかせかと忙しそうにしている姉の背中を見つめ、花子は嬉しそうに微笑んだ。




10:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:32:41.10:I2AyKHWk0 (10/32)

 冬休みが終わり、三学期。
 櫻子と向日葵は中学二年生として、そして花子は小学三年生として、その学年の最後の学期を迎えた。

 結局櫻子は冬休みの最終日まで、ほとんど欠かすことなく、何なら日に日に勉強時間を延ばしながら机に向かい続けた。今までだったら信じられないような光景だが、それは花子の目の前で確かに繰り広げられた現実だった。
 実際の受験があるという日は約一年後。まだまだ遠い。けれどこの分なら、ひま姉は櫻子のことを少しは見直して、今までのことをすぐにでも許してくれるようになるだろう。花子はそう思っていた。
 だが、一度切れてしまった糸というのは、自然と元通りに繋がってくれるものではないらしい。

――櫻子と向日葵が、一緒に学校に行っていない。

 花子がそれを知ったのは、一緒に登校している楓に教えられたことがきっかけだった。
 家を出る時間が小学生と中学生では少し違うため気づかなかったが、どうやら向日葵の方が三学期になってから登校時間をかなり早め始めたらしい。
 それも、まるで櫻子と一緒に登校するのを避けるかのように。
 櫻子も向日葵がそんなことをし始めたのにはとっくに気づいているだろうに、向日葵のことを追おうともせず、今までと変わらない時間に家を出ていた。
 その事実を知り、花子の胸はちくんと痛んだ。
 この感覚は、あの時と同じ。

 冬休みに入る直前、とある寒い夕方に、家の前から女の子の泣き声が聞こえてきた。
 一体何事かと思って外に出たら、子どものように大泣きしている向日葵と、呆然としている櫻子がそこにいた。
 詳しく事情を尋ねる前に向日葵は家の中に逃げ込んでしまったため、花子が向日葵を目撃したのはその日が最後になる。
――すべては、あの日から始まった。

 あれから櫻子は心を入れ替えて、少しずつ少しずつ勉強をするようになっていった。
 楓とは冬休みの間もよく遊んでいたので、そのことは当然話している。なんなら楓も大室家に来て、櫻子が勉強している後ろ姿を一緒に見ている。
 それなら、向日葵が楓からそのことを聞いていないはずがない。
 そして聞いていたとしたら、ふたりが仲直りをしないわけがない。花子はそう思っていた。

 とある平日の夜。ふたりきりの夕飯の席で、花子は櫻子にぽつりと聞いてみた。

「……櫻子」
「ん?」
「ひま姉と一緒に学校行ってないの?」

 櫻子はもぐもぐと動かしている口を一瞬だけ止めた後、「んー……」とはぐらかすように相槌を打った。

「いそがしいんじゃない?」
「い、いそがしいって……そんなわけないし。今まで普通に一緒に行ってたのに……」
「でも、なんかあるんだよたぶん」
「なんかって何!」
「……わかんないけどさ」
「……」

 花子は、それ以上は何も聞けなかった。
 これ以上問い詰めたら、目の前の櫻子がふいに泣き出してしまうんじゃないかと、そんな予感に包まれて、声に詰まってしまった。
 撫子が家を出てから増えた、櫻子とふたりきりの夕食。けれど櫻子に元気がないと、どんなに頑張って料理を作っても味気ないものになってしまう。

「花子は、気にしなくて大丈夫だよ」
「櫻子……」

 向日葵がどれだけ櫻子に対して怒っているかはよくわかるし、櫻子がそれだけのことをしてしまったというのもわかっている。
 でも、櫻子は毎日頑張ってる。
 どれだけ続くかはわからないけど、今までにないくらいの頑張りを見せてる。
 だったら、仲直りくらいはしてもいいはずなのに。
 よくわからない不安とよくわからない焦りが、花子の小さな身体にもやもやと渦巻く。

 これ以上櫻子に聞いても仕方なさそうな気がして、花子は翌日に小さな行動を起こした。
 吐く息が白くなるほど寒く、前夜から降り積もる雪がまだ少しちらつく冬の朝。
 噂どおり、櫻子が家を出る時間より30分も早く古谷家の玄関が開き、向日葵が出てきた。
 花子は門の影からその様子をこっそりと確認する。

 向日葵の姿を直に見るのは久しぶりだった。結局冬休みに入って以来、向日葵は一度も大室家を訪ねてこなかった。まだ新年の挨拶すら交わしていない。
 花子は意を決して向日葵の前に姿を現す。向日葵はハッと気づいたようだが、特に歩くスピードを変えたりもせず、ゆっくりと門を出た。

「おはようございます、花子ちゃん」
「……おはよ、ひま姉」
「そのニット、可愛いですわね」

 向日葵は花子の被っているニット帽を見て微笑み、そして「それじゃ」とその脇を足早に通り抜けて行こうとした。
 花子はすかさず行く手を塞ぐように前に立ち、向日葵を見上げて尋ねる。

「櫻子と一緒に行かないの?」
「……」

 その表情は、怒っているわけでも、そして気まずそうにしているわけでもなく。
 ほんの少しの寂しさを感じさせるような、痛々しい作り笑顔だった。

「先に行ったと……伝えておいてください」

 すいっと花子の横を通り抜け、昨晩新たに降り積もった雪をきゅっきゅっと踏みしめながら、向日葵の背中は少しずつ遠ざかっていった。
 花子の胸が、またちくんと痛んだ。
 頭のニット帽には、雪が少しだけ降り積もっていた。





11:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:34:47.59:I2AyKHWk0 (11/32)

 櫻子と向日葵の間に生じている異変。
 それに気づいているのは花子や楓だけではなく、あかりやちなつもまた、同じクラスに通うものとしてまざまざと肌で感じていた。

 おかしくなり始めたのは、やっぱり冬休みに入る前。
 周囲に対してはいつものように振る舞いながらも、一言も言葉を交わさず目も合わせていないふたりのことを、あかりとちなつはずっと心配していた。
 今までにもこんなことは何回かあった。けれど放っておけばいつの間にか元に戻っていて、またいつもみたいないがみ合いや喧嘩が始まる。
 それが、櫻子と向日葵だった。

 冬休みに入ってすぐ、櫻子から遊びの予定のキャンセルを告げられた際は「今回はちょっと長引きそうだね」と話し合っていたあかりとちなつ。それでも休みが明けるまでには必ず元に戻っているだろうと思っていた。
 それなのに。

「……ちなつちゃん」
「……やっぱり、まだダメ?」
「そうみたい……」

――櫻子と向日葵が、関わり合うのを避けている。
 ふたりとも、基本的にまったく言葉を交わさない。目を合わせることもない。朝はいつもバラバラに学校にやってくるし、休み時間なども一緒になるのを避けている。
 そのくせふたりとも、「お互い以外」の人には気丈に振る舞っているから、それが余計に「ふたりの会話だけがない」という違和感を際立たせている。

 あかりやちなつでなくとも、ここまで一緒に時間を過ごしてきたクラスメイトなら誰しもが異変に気づいていることだろう。
 向日葵と櫻子の間に生じている、かつてない類の不和。
 解決に向かってほしいが、自分たちにできることはあるのだろうか。

 あかりもちなつも、結衣と京子の来なくなったごらく部室で思い悩んでいた。向日葵と櫻子の間に確執がある状態では、学校生活の面白さは大きく損なわれる。しかし、周囲の力によってふたりをむりやりくっつけようものなら、二度と関係が修復不可能になってしまうのではないかという恐怖もある。
 そして、互いに無視をしあっているだけというのがまた難しい。これなら取っ組み合いのケンカをしてくれた方が何倍もマシだった。

「あかりね、この前ちょっとだけ櫻子ちゃんに聞いてみたの。どうしてこんなことになっちゃったのって」
「うそっ」
「でもね……あんまり教えてもらえなかった。それどころか、櫻子ちゃん、『私が悪いんだよ』って……あかり、あんな櫻子ちゃん見たことない……」
「えー……ってことは、向日葵ちゃんに聞けばわかるのかな……でも、私たちが聞いて簡単に解決できることなら、こんなに続いてないよね……たぶん」
「うん……」




12:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:36:13.54:I2AyKHWk0 (12/32)

 ちなつとあかりがそんな話をしていたときから数刻が経ったころ。
 七森中の生徒会室には、久方ぶりの客人が訪れていた。

「久しぶり、古谷さん」
「あら、先輩方」

 やってきたのは、すっかり受験生として多忙を極める生活を送っている綾乃と千歳。
 放課後まで残る用事があったついでに、久しぶりに生徒会室に顔を出してみたところ、そこにいたのは向日葵だけだった。

「あれぇ、ほかのみんなは? 新しく入った一年生もおるんちゃうん?」
「いえ、今日は生徒会活動があるわけじゃないんですわ。私はたまたま、この部屋を使わせてもらってるだけで」
「わかるわ。ここって集中できるものね」
「勉強でもしてるん? こんな時間まで頑張って、古谷さんもウチらと同じ受験生みたいやなあ」
「……ええ、まあ」
「……大室さんは?」

 綾乃が何気なく聞いた一言が、向日葵の胸にぴゅうと風を吹かせる。

「あの子は……少し、忙しいみたいで」

 気遣いを遠慮しようとする後輩の作り笑顔に、思わず顔が曇る。
 本当は、綾乃と千歳の耳にも、ふたりの不和に関する噂は届いていた。

「……無理しないでね、古谷さん」
「ほなな~」
「はい」

 結局綾乃と千歳はそれ以上何も聞くことはできず、適当な世間話を少しだけして、生徒会室を後にした。
 この部屋はいつだって賑やかだった。あの無口なりせが会長だった時代でさえ。
 その賑やかさの大部分を占めていたのが、ムードメーカーの櫻子だった。
 その櫻子が静かな今……櫻子がいない今、放課後のうすら寒いこの部屋は、寂しげな空間と化してしまう。

「……これは本当に、根深い問題みたいね」
「そやなぁ……」

 櫻子と向日葵のふたりに関係する誰しもが、歯車の合わないような感覚をおぼえている。
 いつかは時間が解決してくれるのだろうか。いつか元通りになるきっかけがやってくるのだろうか。そんなことを思いながら、それでも時間は着実に進んでいく。
 京子や綾乃たちはいよいよ受験本番を迎え、自分たちの人生の転換点を自分なりに乗り越えていく。
 少女たちは、すこしずつすこしずつ、大人になっていく。

 陽の光の温度が徐々に徐々に上がっていき、道の端に積まれている雪が少しずつ解け、季節は春を迎える。
 桜の木がぽんぽんと可愛らしい花を咲かせる頃。
 櫻子と向日葵、そしてちなつとあかりたちは、とうとう中学三年生になった。
 新学年に色めき立つ、春休み明けのクラスメイトたちが、掲示板の前に群がっている。
 ちなつとあかりは一緒にその前に立ち……そして、顔を曇らせた。

 ちなつとあかりは幸運にも同じクラスだった。これで三年連続のクラスメイト。
 そして、同じく三年連続で、向日葵の名前もそこに連なっていた。
 しかし……絶対に向日葵と同じ名簿にいるであろうと思われていた名前が、ない。
 見つけたのは、違うクラスの名簿。

 時間は何も解決してくれないし、そして神様は意地悪だった。
――櫻子と向日葵は、とうとう別のクラスになってしまった。

「こんなにケンカばっかりなのに腐れ縁」
「幼稚園からずっと同じクラスで、もうウンザリですわ」

 そのセリフが聞けなくなる日が来てしまったこと。
 自分たちの手でどうにかなるものではないけれど、ちなつとあかりは、えもいわれぬ後悔に襲われた。

――――――
――――
――





13:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:36:52.86:I2AyKHWk0 (13/32)

 時間というものは、残酷だ。
 こんなにも結びつきの強かったふたりの関係が壊れてしまったこと。
 その状態を、「普通」にしてしまうなんて。

 三年生になってクラスも別々になり、向日葵と櫻子の距離感は、元に戻る余地すらも感じさせなくなってしまった。
 もう昔のように一緒に遊ぶことなどなくて、朝はバラバラに学校に行き、帰りも時間帯をずらして帰ってくる。
 それが「当たり前」になってしまったことに、花子や楓はずっと心を痛めていた。

 さらに厄介なことに、ふたりはお互いの “無視” さえも、ついにやめてしまった。
 互いの姿が視界に入らない時間が増えすぎたせいか。今はもう目が合えば「よっ」「あら櫻子」と挨拶を交わす程度にはなったらしい。
 関係の薄い多くの人たちにとって、それは一見仲直りともとれるものかもしれない。
 しかしふたりのことを間近で見てきた人にしてみれば……それはふたりの関係において、いまだかつてないほどの “悪化” でしかなかった。

 ある夜。
 どん、という音が隣の部屋から聞こえてきて、ベッドに無気力に寝転がっていた花子は思わず飛び起きた。
 櫻子の部屋のドアをそっと開けて、中の様子をおそるおそるうかがう。
 デスクライトだけがついている部屋の中で、櫻子が自分の髪をぐしゃぐしゃに掴んで机に突っ伏していた。

「さ、櫻子……?」
「うぅぅ……」
「ど、どうしたのっ。体調悪いの……?」
「わかんない……っ」
「え……」
「わかんない……わかんないわかんない……っ……!」

 自分を傷つけるかのように髪を掴んで身悶える姿を見て、慌てて駆け寄る花子。
 歯をぎりぎりと噛み締め、ふぅふぅと息を荒らげながら、櫻子は泣いていた。
 姉からもらった問題集には、ぼたぼたと大粒の涙が零れ落ちていた。

「できない……全然できないよぉ……」
「さ、櫻子、しっかり……!」
「……こんなんじゃ……こんなんじゃあ……!」

 とにかく落ち着かせなくてはいけないと思いながら、花子はその背中をさする。
 妹の介抱を受け、不安気な気持ちが体温を通して伝わったのか、櫻子の身体からはしゅんと力が抜けていき、そしてめそめそと息を整えながら「ごめん」と謝った。
 苦手な問題にぶちあたり、教科書を読み込んでもうまく理解ができず、まったくペンが動かなくなってしまった自分自身に嫌気が差し、思わず机を叩いてしまったようだ。
 今の大室家では、こんな光景が珍しくない。

 苦手な科目や難題だけじゃない。中だるみも体調不良も必死に乗り越えながら、櫻子は毎日毎日机に向かって戦っている。
 こんなことで大丈夫なのか、こんなことで受験までに間に合うのか、不安で押しつぶされそうになっている弱々しいその背中を、花子はもう何度も見てきた。
 そのたびにこうやって抱きしめて、小さく震える姉をなんとか落ち着かせているが、花子の胸の内にはいつもある懸念があった。

――櫻子はこんなにも頑張っている。
 けれど、櫻子がこのまま頑張り続けて、向日葵と同じ高校に行けたとして……そのときふたりは、元通りになれるのだろうか。
 こんなにも距離が離れてしまったふたりは、同じ高校に進んで、同じクラスになったとしたって……もう二度と昔のような関係性には戻れないのではないか。
 だとしたら……櫻子のこの努力には、一体何の意味があるのだろうか。

「今日はもう頑張りすぎだから。少し休んだ方がいいし……」
「……うん……」
「撫子おねえちゃんにも電話してみるから。わからないところは、また明日聞きながらやった方がいいし」

 しおしおと力を失っていく櫻子をベッドに寝かせ、おでこをそっと撫でてから部屋を出る。
 パタリと閉じたドアに背をもたれ、花子の目には、うるうると涙が溜まっていた。
 過去の贖罪のように努力し続ける櫻子を、もう見ていられなかった。

(櫻子が……こんなに頑張ってるのに……!)

 花子は静かに、我慢の限界を迎えていた。






14:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:38:36.22:I2AyKHWk0 (14/32)

 夕暮れが痛々しいほどに赤い、翌日の放課後。
 いつもどおりひとりで帰ってきた向日葵は、ちらと目線を動かしながら周囲に誰もいないことを確認し、家に入ろうとした。
 しかし、

「きゃっ!?」
「……」

 玄関の脇に隠れていた小さな人影を見つけ、思わず悲鳴をあげてしまった。
 そこには……ランドセルを背負ってうつむく花子がいた。

「は、花子ちゃん……?」
「久しぶり……ひま姉」
「ど、どうしたんですのこんなところで……」
「……話したいことがあったから、待ってたんだし。櫻子のことで」

 顔を伏せたまま、古谷家の玄関を塞ぐようにじりっと立ち尽くす花子。
 その声は怒っているような、悲しんでいるような……複雑な心情を孕んでいた。

「よ、呼んでくれれば、いつでも伺いましたのに……」
「……うそつき」
「えっ」
「今のひま姉が、うちに来るわけないし。櫻子だけじゃなくて、花子のことまで避けてるんだから」
「っ……」

 ぽつりと放たれたその言葉に、向日葵は胸を刺されるような思いがした。
 櫻子に会わないように家を出て、櫻子に会わないように家に戻る日々。
 その中で、できれば花子にも会わないようにと気を付けていたことを、向日葵はずっと後ろめたく思っていた。今もまさに、花子と偶然鉢合わせたりはしないかと気を付けていたところだった。
 当の本人にそれを指摘され……申し訳なさでその顔が見られなくなる。

「別にいいんだし、花子のことは」
「っ……」
「ひま姉にそんなことされたら悲しいけど……花子だったらべつに、いくら無視されたって、いくら嫌われたっていいし」
「……」

「でも……櫻子のことだけは……」

 ぽたり。

「櫻子のことを避けるのだけは……やめてあげてほしいし……」
「!」

 ぽた、ぽたり。

「櫻子は……ひま姉のために、がんばってるんだから……」
「は、花子ちゃん……」
「ずっとずっと、がんばってるんだからぁ……!」

 大きな目から、大粒の涙が地面に零れ落ちる。
 花子は肩を震わせ、膝から崩れ落ちそうになるほどの悲しみに耐えながら、向日葵に訴えた。
 向日葵は持っていたバッグを捨てて花子に駆け寄り、その小さな身体を抱きしめる。

「おねがいひま姉……櫻子のこと……嫌いにならないで……っ」
「っ……」

 向日葵の胸に泣き顔をうずめ、花子は心からの想いを弱々しく訴えた。
 櫻子だけでなく花子も、張り裂けそうになる胸の痛みに、ずっとずっと耐えてきたひとりだった。




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