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【ゆるゆりSS】ふたりの距離 (32)(完)


22:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:44:36.98:I2AyKHWk0 (22/32)

 櫻子がひとりで怖がっているだけで、今の櫻子が向日葵を裏切るような真似をすることは、もうないだろう。
 向日葵にいくら期待されたって、それを飲み込んだ上で結果を出すことが、今の櫻子にだったらもうできるはずだ。
 こうして櫻子の努力を隣で見守る役目は、本当は向日葵がやるべきこと。
 誰よりも櫻子の考え方を理解していて、櫻子に適格なアドバイスを出せる向日葵が隣にいた方が、 “夢” が叶う確率も上がるはず。目指している道は同じなのだから、二人で手をとりあって頑張っていけばいい。
 また昔みたいに、一緒にいればいい。
 だってふたりは、本当は今すぐにでも一緒にいたいと思い合っているのだから。
 今までで一番よかったという成績表を嬉しそうに見せてくる櫻子の笑顔を見るたび、それを独り占めしている自分の幸せさが、向日葵に対してなんだか申し訳ない。花子はそう思っていた。

(……)

 どうにかして、櫻子と向日葵を元に戻せないだろうか。
 お互いのことを想いながら過ごすこれからの半年は、あまりにも永すぎる。ふたりの胸の内を想像している花子の方が、思わず参ってしまいそうになるほど。
 本当は今すぐにでも向日葵をひっぱって連れてきて、櫻子に押し付けてやりたいほどだ。

 だが、ここまでこじれてしまった以上、半端なことではふたりは元に戻れない。
 もっとふさわしい場所で、もっと時間をかけて、一度ふたりきりになったりして、この半年間の想いの「すり合わせ」をしなくては。
 そんな舞台を作ることはできないものかと、夏休み前からずっと悩んでいた。

 そんなとき、花子はある人たちと偶然街中で出会った。
 その人たちは、今の花子と同じことをずっと思っていたという。
 ふとした雑談からそんな話題になり、お互いに抱える悩みがあまりにも同じすぎて意気投合してしまい、思わず夕方まで話し込んでしまうほどだった。
 もふもふ髪のおねえさんと、おだんご頭のおねえさん。
 その日をきっかけに、花子がそのふたりと繋がっていることを、櫻子も向日葵もまだ知らない。
 今もこうして目の前で、別のクラスになってしまったふたりからのメッセージが花子のスマホに届いていることを、櫻子は知らない。

 花子のスマホが小さく震えて、またメッセージを受け取る。こっそりとロック画面を解除し、その文面を見つめる。
 作戦を決行するときが、来たようだ。

「……櫻子」
「んー?」
「撫子おねえちゃん、明日帰ってくるって」
「へーそうなんだ。ちょっと久しぶりじゃん」
「それで……なんか、温泉でも行こうかってさ」
「え?」
「夏休みだし、久しぶりに旅行でもどうって。櫻子も根つめてずっとがんばってるから、一泊くらいいいんじゃないのって言ってるし」
「なんだ、ねーちゃんからメッセージ来てたの」

 先ほどからスマホを震わせているメッセージの主は、べつに撫子ではない。
 撫子はすでに作戦の内容を知っていて、そして協力を申し出てくれている。下宿先から明日帰ってくるというのは本当だし、旅行を計画する当事者であるというのも本当だが。

「どう?」
「えー……でも、勉強しなきゃ」
「わかってるって。空いてる時間は旅館の部屋で勉強しててもいいから行こうって、言ってくれてるし」
「……」

「櫻子のこと、心配してるんだよ撫子おねえちゃんは。本当に、ずっとがんばってるから……」
「んー……」
「たまにはどこか出かけて息抜きした方がいいって……花子も思うし」
「!」

 花子は少しだけ目を伏せて、寂し気な雰囲気を出しながら、櫻子にそう伝えた。
 櫻子が何かを感じ取ってくれたって、見なくてもわかる。

――ごめんね、櫻子。こんな演技までして。
 花子が寂しそうにすれば、櫻子は付き合ってくれるって……わかってて、やってるんだよ。

「……一泊か」
「うん」
「それくらいなら……ま、いいか」
「!」

「確かに、夏休みだしね。撫子ねーちゃんも帰ってくるし、久しぶりに家族でどこか行くのもありだよね」
「そ、そうだし」
「よし、そうと決まったら気合入れてもっと宿題片づけなきゃねっ。いつ行くとか決まったらまた教えてよ」
「……うん、ありがと」

 櫻子は「よーし」と姿勢を直してまた問題集に向き直り、いっそう集中してペンを走らせ始めた。
 花子は下宿先の姉にメッセージを送るふりをして、こっそりと繋がっている「あの人たち」に報告する。

 “こっち” も、うまくいきました。
 あとは、その日が来るのを待つだけ。

――――――
――――
――





23:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:45:44.52:I2AyKHWk0 (23/32)

「ねー、どこにいるの!?」
『今飲み物買ってるから。すぐ行くよ』
「早くしなよ、もう電車来るよ!?」
『大丈夫だって。っていうか櫻子こそ、ホームの位置間違えてないよね』
「間違えてないし、もうとっくについてるんだけど!」

 数日が経ち、旅行の日がやってきた。
 大きな駅で電車に乗って、目的の温泉街へ。久しぶりの、姉妹だけのお出かけ。
 勉強道具と着替えだけをバッグに用意してきた櫻子は、駅のホームで撫子に電話をかけていた。まもなく電車が来るというアナウンスが鳴ったのに、飲み物を買いに行ったらしい花子と撫子が戻ってこないことに焦っている。

「わー、電車来ちゃったよ! どうすんの!?」
『乗って乗って。私たちも近いところから乗るから』
「ほんとに!? 乗っていいの!?」
『乗って。後ろの方の車両にいるからさ、こっちきて合流しよ』
「も~!」

 出発からいきなりトラブルになりかけていることにハラハラしながら通話をきり、電車に乗る櫻子。
 花子と撫子はその様子を、少し離れた階段の陰からこっそり見守っていた。

「……よし、櫻子乗ったよ。花子、向こうの様子はどう?」
「大丈夫、向こうも乗ったって」
「OK、うまくいきそうだね」

 ~

「まったくもう、ねーちゃんと花子はしょうがないんだから……!」

 ごとごと揺れる電車内を気を付けながら歩き、先頭から後方の車両を目指す櫻子。
 旅行のプランやスケジュールに関することはすべて姉と妹に任せたものの、出だしからこんなことで今回の旅行は大丈夫なのかと不安になる。
 つり革や手すりを経由しながら、少しずつ少しずつ後ろの方へ。
 そして、後方の車両へと繋がるドアを開けたとき、ちょうど向こうにも同じように、ドアに手をかけていた人がいた。

「きゃっ」
「あ、すみま…………」

「えっ」
「え」

 それは両者にとって、まったく予想だにしていなかった人物。
 こんなところで出会うはずがない。こんな日にこんなところで、偶然に会うなんて。

「さ、櫻子!?」
「向日葵……っ!?」

 大室櫻子、古谷向日葵、中学三年の夏。
 涼しげな格好に身を包み、旅行の荷物を持ったふたりは、お互いの顔を見つめ合ったまま、電車の連結部分にしばらく立ち尽くしていた。
 ふたりとも、お互いの顔を見るのは終業式以来だった。
 その日だって、べつに直接話をしたわけじゃなくて、お互いに遠くからその姿を確認しただけのことで。
 こうして身近な距離で見つめ合うのは、一体どれくらいぶりのことだろうか。

「な、なんでこんなとこにいるんですの……?」
「そ、そっちこそ!」
「え……ま、まさかっ」

 何かがおかしいと先に気づいたのは、向日葵の方。
 周囲の視線を気にしてとりあえずドアを閉じ、櫻子を傍らに待機させたまま大慌てでスマホを取り出す。
 どういうことなのかと問い詰めるLINEをふたりの友人に送ると……一瞬で既読がついた。
 返信が返ってくるまでもなく、はめられたことに気付く。

「櫻子……あなた、どこか行く予定?」
「どこって……ねーちゃんと花子と一緒に、温泉に……」
「や、やっぱり!」
「え、なに……?」

 向日葵は何かを思い出し、ふたりのクラスメイトにあらかじめ渡されていた可愛らしい封筒を取り出す。
 封を開けると、そこにはこれから向かう温泉旅館の宿泊券が、 “2枚だけ” 入っていた。

「あーっ、ここ! ここ行くって言ってた、花子たち!」
「……」
「え、なんで向日葵もこの券持ってるの……? 向日葵も行くの……?」
「私たち……だけですわよ」
「は?」

 向日葵の持っていた封筒から、小さな紙がひらりと舞い落ちる。
 櫻子はそれを拾い上げると、そこに書かれている文章の突飛さに、思わず声をあげそうになった。

[ふたりで久しぶりにゆっくり過ごしてネ♪ ちなつ]

[ひま姉、櫻子をよろしくお願いします 花子]

「な、なにこれ!? なんで花子とちなつちゃんが!?」
「やられましたわ……」

 動揺するふたりを乗せた電車は、ごとごとと進んでいく。
 ふたりきりの温泉旅行が、始まる。




24:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:46:34.60:I2AyKHWk0 (24/32)

 向日葵に事情を説明され、妹たちとLINEでメッセージを交わし、さすがの櫻子にもようやく事態が飲み込めてきた。

――自分と向日葵を、ふたりきりで温泉旅行に行かせる。
 そのために花子と撫子、そしてちなつとあかりが、グルになって動いていたのだ。

 乗り換え予定の駅でひとまず降りたふたりは、所在なさげにホームに立ち尽くす。
 櫻子は、ここ最近の花子の様子がどこかおかしかったことに思いを馳せていた。

 向日葵との関係を「元に戻そう」としたがるような妹の雰囲気は、どことなく感じていた。
 向日葵の話を持ち出す頻度が昔より明らかに増え、「今ごろひま姉どうしてるかな」などと、こちらに意識させるように話すことが確かに多かった。
 なんならもう、ソファでごろごろしながら「やっぱりひま姉に勉強見てもらいなよ」などと言ってきていた。

 同じようなことは向日葵にも思い当たるフシがあった。ちなつとあかりとは今も同じクラスなので、当然話をする機会は毎日のようにあるのだが、櫻子の話を持ち出すことが急に多くなっていた。
 まさかここまでの強硬手段に打ってくるとは、さすがに思わなかったが。

「……どうしますの、櫻子」
「え……」
「今ならまだ、戻ろうと思えば戻れますけど」
「……」

 向日葵の隣に立ち、ホームでぱたぱたと生暖かい風を受ける櫻子。
 突然こんなことに巻き込まれて、了解もなくこんなことをされて、少し腹が立っていたのは事実だった。
 けれど、ここ最近ずっと、向日葵のことが気になっている自分もいた。

 学校にいる間はお互いの姿くらいは確認できる。「今も元気そうにしている」ということくらいは、廊下から遠目に見るだけでも確認できる。
 けれど夏休みに入って会う回数が一切なくなると、途端に自分の中で向日葵の顔が思い浮かぶ頻度が増えていた。
 花子の言葉を受けて、「確かに今頃なにしてるんだろう」と気になって、ぼーっとベッドに寝転がってしまう時間が増えていた。
 その向日葵が、今は隣にいる。

 自分も背が大きくなったと周囲から言われることが増えていたけど、久しぶりに間近で見る向日葵も昔より大きくなっているような気がした。
 背だけじゃない。雰囲気もどこか大人っぽくなっているような気がして、「今の向日葵ってこんな感じなんだ」と思う感覚が、むずがゆくも嬉しかった。

「あなたは……あんまり行きたくないんじゃない?」
「え……」
「ほら、本当は忙しいんでしょうし……そのバッグも、勉強道具とか入ってるみたいですし」

 宿泊券の入った封筒をもじもじと手でいじりながら、ぽつりとつぶやく向日葵。
 親しい人物に騙されたという境遇は同じだったが、向日葵の行動原理が変わることはない。
 櫻子のしたいようにさせてあげる。ただそれだけだった。

 櫻子が帰りたいなら、一緒に帰る。無茶な計画を立てた友人たちを少しだけ怒って、そしてまたいつも通りの日常に戻る。
 でももし、櫻子がこのまま旅行に行きたいと言うのなら、一緒にそれに付き合う。
 根をつめて頑張っている櫻子が気分転換できるまで……櫻子が満足するまで、一緒にいてあげる。ただそれだけ。
 選択権は、櫻子にある。
 けれど、 “自分自身の本心” というものは、意志とは関係なしに……言葉の端々や所作にどうしようもなく滲み出てしまっていて。
 櫻子もそれに気づかないほど、もう子どもではなかった。

(向日葵は、一緒に行きたいんだ……)
「……」

(私と……一緒に)

 ふっと一息ついてから、足元に置いた荷物を背負い直して、櫻子はわざとらしく大きな伸びをした。
 向日葵が顔をあげ、その様子を見つめる。

「次、何番線のればいいの?」
「えっ?」
「せっかくここまで来たんだしさ。行こうよ、温泉」

 そう言われた向日葵の瞳が嬉しそうにぱあっと煌めいたのを、櫻子は確かに見てしまった。
 ずっと昔から……幼稚園に通っていたころから、向日葵が嬉しそうにするときの目は変わらない。

「私、ねーちゃんと花子に任せっきりだったから、旅館の場所とかもわかんないよ。だから向日葵教えて」
「ええ、大丈夫ですわ」

 違う路線へと乗り換えるため、荷物を持って歩き出す櫻子。
 向日葵はやや小走り気味に、その隣を着いていった。
 こうやって並んで歩くのは、本当に半年以上ぶりのことで。
 その歩幅も、風に乗ってわずかに香る髪の匂いも、何もかもが懐かしくて、そして嬉しかった。





25:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:48:05.05:I2AyKHWk0 (25/32)

 女子中学生がふたりだけで宿泊施設に泊まれるものなのか。
 内心疑問に思いながらチェックインの手続きをする向日葵を後ろから見ていたが、特に何かを聞かれることもなく普通に部屋まで通された。
 向日葵に大人っぽい落ち着きがあるからだろうか。櫻子は少しだけ唇を尖らせた。
 用意されていた部屋は驚くほどいい場所で、櫻子は思わずきょろきょろと見渡してしまい、「恥ずかしいですわ」と向日葵にたしなめられた。少し若めの女将がいそいそとお茶を淹れながら、館内や周辺施設の説明をする。
 夕食の時間などについて一通り決め、しずしずと女将が出ていくと、ようやく一息つけそうな時間が訪れた。

「あら、眺めもすごいですわ。ほら櫻子」
「うわ……」

 向日葵が窓辺の明かり障子をすっと開け、座っている櫻子に手招きする。温泉街の街並みがやや高所から一望できるロケーションに、思わず櫻子の口からも声が漏れた。
 値段のことはあまり気にしていなかったが、ひょっとしてすごく高いところなんじゃないだろうか。
 午後の落ち着いた雰囲気の温泉街を、浴衣姿の観光客たちがほどほどに行き交い、賑わいを見せている。
 少しだけ胸が高鳴る一方で、こんなことをしている場合じゃないと、櫻子は我に返った。

 部屋の中へと戻り、持ってきたバッグから勉強道具を取り出す。
 女将の淹れたまだ熱いお茶を急いで飲み干して片づけ、ちゃぶ台の上に問題集を広げた。
 向日葵の視線を感じる中、ややぎこちなく問題を解き始める。
 向日葵の前で勉強をするのには少しだけ抵抗があったが、かといって呑気に遊んでいる姿を見せるわけにはいかなかった。

「……」
「……」

 しばらくして向日葵の方を見ると、ローテーブルと一人用のソファが置いてある窓際の謎スペースに座り、お茶を飲みながら外を眺めていた。
 その横顔が綺麗で少しだけ見惚れてしまい、ぶんぶんと首を振って問題集に向き直る。
 向こうはこっちを気にしてなさそうなのに、こっちが向こうのことばかり気になってしまうのが、ちょっとだけ悔しかった。

「……外、行ってくれば」
「?」
「私のことはいいからさ。街の方行ってくればいいじゃん。もったいないよ」
「……いえ、いいですわ。私はここで」
「……」

 何がいいのかはわからないが、そう言われてしまうと言葉が続かない。櫻子はまた問題集に向き直る。





26:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:48:40.67:I2AyKHWk0 (26/32)

 その後しばらく目の前の問題に打ち込んでいたが、いつもの三割ほども集中できておらず、言い様のないもどかしさを櫻子は感じていた。
 もともとこんな勉強は、ふたりきりの空間で静かにしていては気まずくて間が持たないから、逃げ場を作るために始めたようなものだった。
 けれど、窓際に座る向日葵だけはなぜか妙に落ち着き払っていて。
 部屋に置いてあった観光地情報の資料をゆっくり読み込んだり、また目を細めて外の景色を眺めたりしていた。

 その表情は平静を装っているようだが、どことなく寂し気で、物憂げで。
「今ならまだ、戻ろうと思えば戻れますけど」と言っていた、あの乗り換え駅での姿と重なって、胸の奥がちくんと痛んだ。

「これが終わったら……」
「?」
「これが終わったら……どこか行こうか」
「……いいんですの?」
「いいよ、べつに」
「わかりましたわ」

 返答の声色だけで、向日葵が少しだけ嬉しそうになってくれたことがわかる。
 どんどん大人っぽくなっていくくせに、そういうところだけはまだまだ子どもっぽい。
 櫻子は適当に目処をつけ、このページまではやってしまおうと自分の中で決めてから、カリカリとペンを動かした。

 ふたりきりの空間。ふたりきりの時間。
 聞こえるのは外の遠い喧騒と、もくもくと動くペンの音と、向日葵がお茶をすする音だけ。
 シチュエーションはまったく違うけれど、自分の部屋で向日葵とふたりきりで勉強をしていたときの雰囲気を、櫻子は少しだけ思い出せた。

「……ねえ」
「なに?」
「わからないことがあったら聞きなさいねとか……言わないの?」
「あら、そう言われるのが嫌なのかと思ってましたわ」
「……嫌だけど」
「でしょう。だから私は何も言いませんわ」
「……ふん」

「私は何も言いません。あなたの重荷になるような……応援とかも、べつにする気はありません」
「……」
「何も言いませんけど……でも、見ているくらいはいいですわよね? 今日くらい」
「……向日葵がそうしたいなら、どうぞ」
「ふふっ」

 静寂とゆるやかな時間の流れの中で、何かがほつれるように解けていく。
 きっとこれは、この半年の間にお互いの間に凝り固まってできた “何か” 。
 何をするでもなく、ただ静かに一緒にいるだけで、それは少しずつ少しずつ、しかし着実に壊れていくようだった。

 やがて、自分で決めたところまで問題を解き終わり、解答解説を見ながら知識を定着させていくプロセスも終わったころ。
 向日葵の髪をぽうっと透き通らせていた外の陽光は、いつの間にかオレンジ色の夕焼けになっていて。
 その視線に気づいたように、向日葵も櫻子の方に振り返った。

「終わりました?」
「……ん」
「じゃあ、ちょっと散策に出ましょうか」

 向日葵は嬉しそうな声色を隠そうともせず、外に出る支度を始めた。
 そんなに行きたかったのなら、やっぱり自分を置いて出かけてくればよかったのにと櫻子は言いたくなったが、その言葉は胸の内に収めておく。
 出かけたい気持ちはあるけれど、ひとりで行くのは、嫌だったんだ。

「じゃ、行きましょう」
「ん」




27:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:49:15.66:I2AyKHWk0 (27/32)

 温泉街をしばらく散策して、部屋に戻り。
 びっくりするくらい豪華だった夕食を部屋で済ませ、ふたりは温泉へ向かった。

 少しずつ少しずつだけど、ふたりの間に言葉数が増えていく。
 必要に応じてする会話だけではない、雑談などが増えていく。
 ちょっとずつちょっとずつ、ふたりの「昔の雰囲気」を取り戻していく。

 露天風呂に出ると、もう月が顔を出していて。
 ふたりで月を見ながらまったりと湯につかり、今のお互いのクラスメイトの話などを、ぽつぽつと語り合った。
 会話の内容は本当にとりとめもないものだったが、その言葉のひとつひとつには、お互いの気持ちが乗っていた。
 この半年の間に募っていた想い。ずっとお互いを意識しないように気を付けながら、その中でどうしようもなく生まれていた想い。
 その気持ちを言葉に乗せて交換し合ううちに、お互いの距離が少しずつ少しずつ戻っていくような気がして。
 やっぱり、来てよかったのかもしれないと、櫻子も思い始めていた。

 のぼせないうちに風呂から上がり、浴衣に着替えて部屋に戻る。
 櫻子はまた勉強を始め、向日葵は自分の定位置と化した窓際のソファに腰を下ろした。
 もう、ふたりの間に静寂があってもあまり気にならない。
 だから櫻子は、自分の中の気持ちに向き合いながら、向日葵にかける言葉をゆっくりと探した。

「ひ、向日葵」
「はい?」
「……ごめんね、ほんと」
「なにがですの?」
「あのとき……0点とって」
「!」

 去年の冬休み前……すべてが始まったあの日の出来事。
 櫻子は、あの日からずっと、心の中で悔やみ続けていた。

『あなたが自分で勉強しない道を選んで、あなたが自分で0点をとって……それでなんで私に謝るんですの』

 あのときの向日葵の言葉は、今も胸に刺さったまま、抜けていない。
 その棘を、一生背負っていかなければいけない咎として見つめ、もう二度と同じ過ちを繰り返すまいという決意に変えて、櫻子はここまで頑張り続けていた。

 あのときの向日葵の泣き顔。あのときの向日葵の悲し気な声。それを思い出すたびに怖くなる。
 あの日のことを本当に許してもらうには……実際の受験で一緒に合格するしかない。
 そのときまで、自分には向日葵と仲良く話す資格なんかないんだと、そう思い込んでいた。

 だから本当は、今のこの謝罪の言葉にも意味はない。
 今いくら言葉を重ねて謝ったところで、実際の本番で落ちてしまえば、何の意味もないのだから。
 それどころか、また向日葵を期待させてしまって、また向日葵を裏切ってしまうことに繋がってしまうかもしれない。
 それでも櫻子は……やっぱりどうしても、向日葵にこのことを謝りたかった。

 弱々しい声で謝ってきた櫻子の視線を感じながら、向日葵は目を閉じて、湯呑に小さく口をつける。
 そして、温泉街の夜景を見下ろしつつ、優しく言った。

「そんなの……」
「……」
「そんな昔のこと、もう忘れましたわ」
「……ええっ!?」

 櫻子が素っ頓狂な声を上げて膝立ちになる。向日葵はその反応に思わず微笑みながら、また湯呑を傾けて表情を隠した。

「忘れたって……そんなのアリなの!?」
「だって忘れちゃったんですもの。もう半年も前のことじゃない」
「でも、向日葵すごい怒ってたじゃん! あんなに泣いてたじゃん!」
「いいんですのよ、過去のことは」
「え……」
「今のあなたなら、もうあんな点数は二度と取らないでしょう。それだけで十分なんですわ」

 呆然としている櫻子に微笑みかける向日葵。
 向日葵もまた、自分を傷つけるほど必死に頑張っている櫻子に対し、ずっと伝えたい気持ちがあった。

 櫻子が不安を抱えながら頑張っていることは、ずっとずっとわかっていた。
 それでも、今は櫻子の負担になってはいけないと思い、あえて距離を取り続けた。
 けれど、櫻子の不安を取り除いてあげたい、櫻子の罪悪感を取り払ってあげたいという気持ちもずっと抱えていて。
 今日一日櫻子が勉強している姿をそばで見続けて、その気持ちが何なのかに、ゆっくり向き合うことができた。

 それは……櫻子のことを、応援したいという気持ち。

 少しずつ、少しずつ努力を重ねて、険しい道を一歩ずつ歩み続けてきた櫻子。
 自分のために本気になって、ここまで成績を上げてきた櫻子。
 その様子を、今日こうして改めて目の当たりにしてみて……何もしないわけにはいかないという気持ちが、向日葵の中にふつふつと湧いてきていた。

 本当はいつだって、櫻子のためにできることなら何でもしてあげたいというのが、向日葵の純粋な気持ちだった。
 頑張っている櫻子を見るのが、本当は心の底から嬉しくて、愛しかった。

 ずっと抱えていた謝罪の気持ちを「忘れた」の一言ですかされてしまった櫻子は、脱力感に苛まれ、ぐでんと畳の上に倒れる。
 すっかり身体に力が入らなくなってしまったようで、向日葵はくすくすと笑いながら、「今日はもう寝ましょうか」と就寝準備にとりかかった。




28:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/09/07(木) 21:51:14.12:I2AyKHWk0 (28/32)

 ふたりで使うには大きい和室の真ん中に、布団が並べて敷かれている。
 櫻子はその片方にぽすんと倒れ込み、向日葵は部屋の明かりを落とした。

「ほんとに今日はずっと勉強してましたわね。お疲れ様」
「……あんま集中できなかったよ」
「ふふっ、でもいいじゃない。たまにはそんな日があったって」

 ひんやりと気持ちいい枕に顔をうずめながら、櫻子は目を閉じる。
 ……と思ったら、突然背中に温かい重みがのしかかってきて、思わず跳ね起きてしまいそうになった。
 向日葵が、うつぶせて寝ている櫻子の上に馬乗りになり、肩のあたりからゆっくりとマッサージを始めた。櫻子は恥ずかしさで逃げ出したくなったが、しっかりと上に乗られてしまって身動きがとれず、さらに気持ちよさのおかげで身体から力も抜けてしまい、なすがままだった。

「あなた、やっぱり身体も少し大きくなりましたわね」
「……そんなのわかんの」
「わかりますわよ。昔より全然……なんだか本当に、撫子さんみたいになってきましたわ」
「それ、花子にもよく言われる」
「単純に大きくなってるのもあるでしょうけど……やっぱりそれだけ、中身もしっかりしてきたってことでしょうね」

 向日葵のマッサージは気持ちよかったが、そんなことより胸のドキドキが強すぎて、櫻子は気が気ではなかった。
 感じている気恥ずかしさがすべて体温に変わって、きっと向日葵にも伝わってしまっている。風呂上りであることはもう理由にならない。櫻子は枕に顔をつっぷして身を硬直させるが、向日葵はその硬直をほぐすように丁寧にマッサージしていった。

「ちょっと前の話ですけど……」
「い、いつの話っ?」
「温泉街に散策に出る前。あなたがここで最初に勉強してたときの」
「……ああ」

「私、あなたのことは応援しないって言ったでしょう。あなたの重荷になるようなことはしないって」
「……うん」
「あれ、やっぱり取り消してもいいかしら」
「ひぇっ!?」




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