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【歴史】「卑弥呼は邪馬台国の女王」はウソである…最新研究で明らかになった「近畿説vs九州説」論争の有力説


1: 2025/04/30(水) 08:13:50.68

瀧音能之(駒澤大学名誉教授)

邪馬台国はどこにあったのか。瀧音能之(監修)『最新考古学が解き明かすヤマト建国の真相』(宝島社新書)より、一部を紹介する――。

(省略)

 第1章では邪馬台国九州説について再検証し、北部九州を中心とした地方政権「倭国連合」と、畿内の「倭王権」が並立していた可能性を示した。この場合、いくつかの疑問が出てくる。畿内の王権に対して、北部九州は魏と独自の外交を展開し、倭国連合の王が「親魏倭王」の称号を得たことになる。これは畿内の王権に対して、決定的とまではいわないまでも敵対行為にあたる。ところが、卑弥呼政権があった3世紀はじめから中頃までの間に、畿内と北部九州との間に対立は見られず、むしろ協力的な関係性を築いている。そして、九州で副葬品に用いられていた鏡が畿内に導入され、それまでの銅鐸祭祀が終焉を迎えている。

 九州説をとれば、『魏志』倭人伝の記述と考古学的な見地にも矛盾が生ずる。2世紀の北部九州をリードしたのは、奴国と伊都国だった。『魏志』倭人伝ではこの伊都国についての記述が多くある。伊都国には代々王がいたが、女王国(卑弥呼政権)に服属しているとある。さらに、伊都国には一大率が置かれ、諸国を検察させて「刺史(しし)」のようだと記している。

■「環濠集落ネットワーク」が意味するもの

 当時の北部九州で、伊都国が服属するクニがあるとすれば、遺跡の集中度と遺物の質の高さから、博多湾地域の勢力となるが、ここには奴国があった。2世紀には北部九州の各遺跡の副葬品に格差が見られるようになり、伊都国と奴国を上回る遺跡群は見つかっていないため、邪馬台国の所在地は九州以外の地に求めなければならない。また中国における刺史とは、前漢時代から置かれた州の監察を行う地方官だった。

 北部九州の中心地だった伊都国の王が眠る平原遺跡からは銅鏡40枚をはじめ、ガラス製勾玉やメノウ製管玉などの玉類、鉄刀などが発見されたが、この平原遺跡は卑弥呼政権よりも前の2世紀の遺跡である。

 では吉野ヶ里遺跡をはじめとする筑紫平野の環濠集落ネットワークは何を意味するのか。筑紫平野は濃尾平野に匹敵する約1200平方キロの面積を誇り、現在も稲作が盛んなエリアである。ここから、外交と政治の伊都国、青銅器製作などの工業の奴国、農業生産の筑紫平野という北部九州連合の姿が見えてくる。本書では以降、邪馬台国畿内説をとって論を進める。

■卑弥呼が「邪馬台国の女王」という記述はない

 卑弥呼を紹介する枕詞としてよく使われるのが、「邪馬台国の女王」だ。卑弥呼は大和(邪馬台国)を治める王であり、倭国乱を経て、各地方勢力を服属させる盟主となったとするのが一般的な見方だろう。ところが、『魏志』倭人伝には、卑弥呼が「邪馬台国の女王」であるという記述は1つもない。

 『魏志』倭人伝に登場する卑弥呼に関連するワードの記述数を見てみよう。「倭王」5カ所、「倭女王」3カ所、「女王」5カ所、「女王国」5カ所、「倭国」3カ所、「邪馬台国」1カ所である。このうち、「邪馬台国」と「女王」が同一の文脈で使われる部分はない。

 卑弥呼が「邪馬台国の女王」とされるのは、邪馬台国が「女王の都とするところ」とあるからだ。しかし、これはあくまでも卑弥呼の宮殿の場所が邪馬台国にあることを示しているに過ぎない。つまり、卑弥呼は実効支配する国を持たない倭国王だった可能性がある。

■邪馬台国の首長は卑弥呼のほかにいた

 『魏志』倭人伝には、各クニの紹介で、「長官は◯◯」「副官は△△」という形で紹介されており、例えば、奴国ならば長官に兕馬觚(しまこ)、副官に卑奴母離(ひなもり)が置かれた。これは邪馬台国でも例外ではなく、長官に伊支馬(いこま)、次官以下は、弥馬升(みます)、弥馬獲支(みまき)、奴佳鞮(なかと)が置かれた(以降、官名はカタカナ表記とする)。邪馬台国にはほかのクニと同様に長官がおり、このイコマが邪馬台国のトップということになる。

 『魏志』倭人伝には、伊都国が「女王国に服属する」と書かれているが、「邪馬台国に服属する」とは書かれていない。両者は使い分けられており、卑弥呼を頂点に29のクニが服属しているわけではなく、あくまでも女王国=卑弥呼政権に服属するという意味である。卑弥呼は29のクニの盟主であり、特定のクニ(邪馬台国)の女王ではなかったのである。本書では倭国乱後の共立王体制を「邪馬台国政権」ではなく「卑弥呼政権」としているのはこのためだ。

4/25(金) 18:17配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/8e01abdc3660cbeb9be25add69cf06bd5acd1076


★1:2025/04/26(土) 23:57:00.65
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1745828607/




128: 2025/04/30(水) 11:06:57.32

>>1
最新研究でも何でもない

中国史書に倭国大乱で大和王権が選ばれ成立したとある
考古学上の発見でその時代九州鉄器集団が現れsこれを討伐した証拠がある

九州集団討伐団団長として大和王が選ばれ王として定着した
そのまま紐解けばいいだけで騎馬民族説だの卑弥呼だの九州朝はミスリーディングの曲解捏造

江戸時代にできてる解釈が妥当で
「九州に鉄器武装集団が現れこれと抗争になったから討伐使として大和天皇が選出され討伐を成功させ近畿ー九州ー任那の大和王権が成立した」
これが正しい解釈

これを九州王朝論とかの妄想は認めれないだけ
あれらは学説じゃなくオカルトなんだよ
考古学にデマとオカルトが混ざって時事を受け入れられない

また大和大乱とはいうものの出来事は
AD160-200年間九州北部に刀剣数百を有する鉄器武装部族が登場し台頭する
これが周辺抗争を生む?
天皇王権が選ばれ討伐する
これだけの陳腐な行でただ九州部族征伐が起きただけ

考古学上確定するのは
九州鉄器部族がおこる→部族が小抗争を起こす→これを天皇が討つ→一連の抗争の死者は500-1000、負傷者2000がいいとこの倭国大乱ならぬ倭国抗争でしかない

こんな程度の考古学的痕跡しかない




130: 2025/04/30(水) 11:10:36.63

>>128
おまえの妄想は良いんだけど考古学者がそんなもん信じるわけがない
物証が無いとダメなのよ





133: 2025/04/30(水) 11:25:20.25

>>1
奈良は観光地色々とあるんだから何もない佐賀に譲ってやれよ




139: 2025/04/30(水) 12:03:51.31

>>133
佐賀(吉野ヶ里)
vs
福岡(朝倉、みやま)
vs
大分(日田)

九州説は三つ巴だけど
佐賀が1番弱そう




145: 2025/04/30(水) 12:19:48.63

>>139
吉野ケ里の規模が大きいからなあ。
ちなみにそれらを全部含めて邪馬台国って説もある。




136: 2025/04/30(水) 12:00:10.88

>>1
根本的に違うよ。邪馬台国の女王卑弥呼じゃなくて邪魔大王国の女王ヒミカだよ、子供の頃アニメで見たから絶対に間違いない




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