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母の再婚相手Aと養子縁組をした私。Aはヤクザだったので、私はヤクザの養女になった。ある日、母は私を連れて家出をして・・・


428: 名無しの王国 19/10/02(水) 20:16:09 ID:322

その後どういう人生を送って今奥様なのかすごく気になる

ここがスレ違いならどっかに書いて欲しい

 




431: 名無しの王国 19/10/04(金) 21:02:59 ID:p9L

>>428

一番黒い事を書いてホッとしていました。

その後は、殺された人はいないです。

Aがもしかしたら…という状況なのと、ジサツした方はいますが、まとめてないので時間がかかります。

それでもよろしければ、普通の奥様になるまでの顛末を書き込ませていただきます。

 




432: 名無しの王国 19/10/04(金) 21:42:03 ID:FI8

>>431

待ってます

 





433: 名無しの王国 19/10/04(金) 22:00:24 ID:H7n

>>431

読みたいです

中間オススメ(*ノ・ω・)ノ⌒。ドゾ

~まだまだ続くよ~




434: 名無しの王国 19/10/09(水) 08:31:29 ID:UCx

421です。

前の続きと思って下さい。

母はジャズバーとかでピアノの弾き語りをしながら逃げ回った。

彼女は、ちょっと有名なジャズバンドが日本にいた時にメンバーにスカウトされるくらい、腕の良いピアノ弾きだった。

見た目もかなり良かったから、飛び入りでも歓迎される。楽譜はいらないから身軽に飛び回り、一晩で三軒程回ってチップだけで十万以上稼ぐ。

でも目立つから長居できなかった。

一ヶ所数週間から二ヶ月くらいで次の引っ越し。

知り合いを頼った事も何回もあったけど、最後は大抵、塩撒かれたり疫病神呼ばわりされて終わった。

まあ当たり前なのだが、当時は理解出来なかった。誰も説明してくれなかった。

最初は優しくしてくれた大人が、数週間で睨んでくるようになる。

恐怖だった。

学校に通学できない時期も多かった。

転校の記録から足が付く可能性も大きかったんだろう。

転校手続きの書類無しで通わせて貰った小学校もいくつかある。

教科書もランドセルも、いつもお古を使わせて貰った。

私の逃亡生活は、小三の一学期で終わった。母は親戚の家に私を置いて消えた。

もうすぐ梅雨が明ける頃だったと思う。

大人達の会話から、私は預けられたのではなく、捨てられたと分かった。

私を引き取りたいという人は、いなかった。当然だ。

ヤクザと縁のある、ほとんど学校に行っていない子供。

いつバツ2の母親が転がり込んでくるか分からない。

誰が、時間とお金をかける価値があると思うだろう。

大人達の静かな押し付け合いの結果、とりあえず母が私を引き取りに来る可能性を考慮して、置き去りにされた家庭で居候する事になった。

もうすぐ夏休みだから、学校は行かなくて良い。夏休み終了しても母親が現れなかったら、とりあえず近くの小学校に転入させる。

冬休み以降は、また話し合いをする。

夜中のひそひそ話や昼間の電話の声を黙って聞いた。

怒鳴り声のない静かな話し合いの存在を、初めて知った。

 




435: 名無しの王国 19/10/09(水) 08:32:48 ID:UCx

勿論母が迎えに来る事はなく、夏休みと二学期を終え、冬休みの話し合いに突入した。

夏の話し合いの時より、私の評価は上がっていた。

休み明けすぐの算数と理科のテストが百点だった事、漢字のテストが学年トップだった事。

大人しくてお手伝いを嫌がらない事、我が儘を言わない事、挨拶がきちんと出来る事、敬語が使える事。

「パンドラの箱を開けたら宝石だった」と言っていた。

私はそのままその家で居候を続ける事になった。

冬休み時点で高まっていた私の評価は、春休みの話し合いでは急降下していた。

成績はトップクラス、行儀も良い。

でも、友達が出来ない。クラスメートに対しても敬語を使う。教室で孤立している。誰にも馴染もうとしない。喜怒哀楽がない。話し掛けられなければ口をきかない。無表情。まばたきもほとんどしないから気味が悪い。

もっと沢山あったけれど、繰り返し言っていたのはこんな感じ。

私と接する時間が一番長かったその家のお嫁さんが、狂ったように叫び立てるので、話し合いは筒抜けだった。

私のせいで、予想よりお嫁さんに嫌な思いをさせていた事に気付き、申し訳なく思いながらトイレに行くと、お嫁さんと鉢合わせをした。

お嫁さんの負担を和らげたくて、私は笑顔を作った。きゅうちゃんのお墨付きの笑顔。

次いで、まばたきが出来る事をアピールしようと、高速でまばたきをして見せた。

本当に悪気はなかった。安心して欲しかった。良い子だと思って欲しかった。

でも、絶大な逆効果だった。

トイレ前の薄暗がりで笑顔で高速まばたきをする私を見て、彼女は発狂した。

奇声を上げて私に飛び掛かり、首を絞めて来た。

びっくりして、大丈夫、私まばたきできるよアピールを続けたが、視界がだんだん黒くなって、一度パッと赤くなって、すぐに真っ黒になった。

気が付いたら朝(昼かも)で、布団に寝ていた。

私の母方の祖母の家は医者が多く、その家にも二人(もしかしたら三人)医者がいたので、必要な医療措置は受けていたと思う。

春休み中の引っ越し・転校が決まっていた。

お嫁さんは入院したらしい。

私は声が出なくなっていた。話そうとすると喉がひきつって息が上手く出来なかった。

 




436: 名無しの王国 19/10/09(水) 08:34:09 ID:UCx

春休みからの引き取り先は老夫婦で、子供世代は全員海外にいて、孫には滅多に会えない、という事だった。

優しそうな人達だったが、どうでも良かった。

私の人間関係は、一旦受け入れられて憎まれて引っ越しというのがデフォルトだった。

お嫁さんも、最初はすごく優しかった。

髪をとかしてリボンを結んでくれたし、公園に連れて行ってくれた。

ずっと優しくして欲しかったけれど、それは経験上無理だと分かっていた。

もし私がもう少し子供らしい子供だったら、何とかなったのではないかと思う。

でも私は、話し掛けられると敬語で言葉少なく返し、相手の次の言葉を待ってじっと見つめ返すような子供だった。

順調にお嫁さんのヘイトを稼いでいるのを感じても、どうすれば良いのか分からない。

家の空気はぎすぎすしてきたが、叩かれる事も罵られる事もなかったのでまだ大丈夫、と思っているうちに、お嫁さんは狂ってしまった。

そしていつも通り引っ越しになった。

老夫婦の家は、居間に本棚があった。二階に続く階段の途中にも、小さな本棚。書斎にも大きな本棚。

子供用の本はない。構わなかった。

小二で与謝野晶子訳の源氏物語を読んだと言えば、分かって貰えるだろうか。

本は私の命。

読んだ物全てを理解出来る訳ではないが、私にとって異世界への扉だった。

Aの家にいた頃は、ちゃんと子供らしい本を読んでいた。

赤毛のアン、ムーミンシリーズ、スプーンおばさん、メリー・ポピンズ、長靴下のピッピ等、Aチョイスの本。分からない漢字の為の漢和辞典と国語辞典の使い方を教えてくれたのもA。

私の親戚には全く伝わらないが、Aは良い親だったと思う。ヤクザだけど。

逃亡生活に入ると、嵩張る子供用の本は読まなくなった。文庫本なら、上手くいけば五冊くらいを荷物に紛れ込ませる事が出来る。

時々学校に行って、仲良くしてくれるクラスメートがいても「ごめんね。ママが遊んじゃダメだって」と断られたり、遊ぶ約束をしても私が引っ越しでブッチしたり、人間相手は無理が多い。

本は大丈夫。本は文句言わないから。

という訳で、本だらけの老夫婦宅は天国だった。

自由に読んで良いよと言ってくれたおじいちゃんが神様に見えた。

 




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