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母の再婚相手Aと養子縁組をした私。Aはヤクザだったので、私はヤクザの養女になった。ある日、母は私を連れて家出をして・・・


437: 名無しの王国 19/10/09(水) 08:37:41 ID:UCx

声を出せないまま、四年生の一学期から新しい学校に移った。

どうせ孤立するのだから、不自由はない。

ずっと読書していれば良い。

そう思っていたのだが、この見通しは良い意味で裏切られた。

最初は「声が出ないなんて仮病だ」と絡んできた男子がいたが、喋ろうとして息が詰まって倒れる私を見て女子が守ってくれるようになった。

明らかなハンディキャップがあると、多少奇妙な行動を取っても「自分たちとは違うからそうなるんだ」となんとなく納得してしまうのかもしれない。

声がなければ口調も分からないし。

理由ははっきりしないが、私は障害のある少し変わった子という、それまでとは違う括りでクラスに受け入れられた。

テストの点数についても、受け取られ方が違った。

ガリ勉・生意気・良い子ちゃんぶる嫌な奴から、頭の良い一生懸命な子になった。

いつ手のひら返しが来るのかが怖くて、学校に行きたくなかった。

でも、学校に行かない問題児として家を追い出されるのも怖くて、登校拒否は出来なかった。

多分梅雨の頃、書斎で懐かしい本を見つけた。

きゅうちゃんの家に置いて来た、ファラデーの「ロウソクの科学」。

何か叫んだような気がするけれど、ちゃんと声が出ていなかったかも。

気が付くと病院のベッドで、額の左の辺りに大きなガーゼが貼ってあった。

書斎で転んでおでこをぶつけた、らしい。

おじいちゃんに

「本を持っていたから、転んだ時に手を使えなかったんだ。転ぶ時は、本より自分を守りなさい」

と言われた。

怒られるかと思ったけれど、怒られなかった。

本がどこにあるのか聞きたかったが、手段がなくて歯痒かった。

声が出ないというだけではなく、筆談も難しかった。

文字は普通に書ける。文章を書き写す事も出来る。テストの答案も書けて、クロスワードも出来る。

なのに、自分の思っている事を書けない。質問に答えようとすると、汗が出て震えて文字にならない。

自分の手が別の生き物になったようだった。

 




438: 名無しの王国 19/10/09(水) 08:39:21 ID:UCx

話せないという事は、話さなくて済むという事。

当時の私にはメリットが多いくらいだったが、この時初めて話したいと思った。

「ロウソクの科学」が欲しかった。

ドラマのように奇跡的に声が出る訳もなく、頭を打っているからと一日入院後、普通に帰宅した。

帰って即、書斎に行った。

おじいちゃんもおばあちゃんも、びっくりしていた。

いつもは靴を揃え、おじいちゃんおばあちゃんに頭を下げ、手を洗って音を立てないように居間に入るのに、靴を脱ぎ散らかして書斎に直行したらしい。

「ロウソクの科学」は、元の場所にあった。

今度は何も起こらずに、手に取る事が出来た。

おじいちゃんもおばあちゃんも、書斎に入って来た。

「その本、好きなの?」

どちらに聞かれたのか、覚えていない。

何回も頷いた。

「子供向きの本じゃないと思うけど?」

正直、あの家に子供向きの本なんてなかった。

ドストエフスキーとかヘッセとか辻邦夫とかロレンスとか。

勿論、読んだけれど。

ロウソクの科学は読みやすい。

小一でも分かるように書かれた良書だと思う。

「じゃあその本はあげる。いつも頑張っているご褒美」

嬉しくて泣いた。

この時の気持ちを、どう伝えれば良いだろう。

いつも幕を一枚隔てたような世界、ホラー映画を見ているような、薄墨がかかったような世界が、輝いて見えた。

本を貰っても声は戻らず、夏休みになった。

四年生にして初めて、夏休みの宿題という物の実態を知った。

びっくりした。休みじゃないのかよ、と思った。

ドリルなんて、やってもやらなくてもテストに影響すると思えない。漢字を覚えるのに書き取りが必要って、誰が決めたんだろう?植物なんか育てたい人が育てれば良いし、私は眺めるだけで満足だ。

宿題は大体七月中に終わったけれど、読書感想文は苦労した。

自分の言葉は難しい。

何度も投げ出そうとして、挫折仕掛けて、その度にロウソクの科学を抱きしめて、三週間かけて二枚と一行を書き上げた。

二学期に少々誇らしい気持ちで提出したのだが、後日おじいちゃんに、次から感想文を書く時は事前に本の題名を教えて欲しいと言われた。

「チャタレイ婦人の恋人」は、教師に不評だったようだ。

 




439: 名無しの王国 19/10/09(水) 08:40:28 ID:UCx

クラスで手のひら返しが起きず、おじいちゃんおばあちゃんもずっと優しい中、少しずつ声が出るようになって行った。

小さい声で、かすれたりひっくり返ったり途切れたりしながら、十月か十一月くらいにおはよう、ありがとう、バイバイ等が言えるようになった。

何事もなく五年生の四月、小声だが敬語を使わないで会話が出来るようになった。

五月、おじいちゃんが心筋梗塞で亡くなって、おばあちゃんはアメリカの息子さんの所に行く事になった。

私の次の保護者を決める話し合いで、私の実父の名前が上がった。

父は三回目の結婚をし、妻と娘の三人暮らし。

父とその妻は、元々一緒に暮らしたかった、歓迎すると言ってくれて、引っ越しはスムーズに決まった。

ここで、私の母方の祖母が出て来た。

経済的な理由で私を引き取らないでいたが、彼女は私の父を憎んでいた。父に渡すくらいなら自分が引き取ると、強引に私を連れ出した。

着替えとロウソクの科学だけ持って、馴染み始めたクラスに挨拶無しで引っ越した。

直接祖父母の家に向かわず、十日程児童養護施設に預けられた。

理由は知らない。この期間は学校には行かなかった。

施設には学校に行っていない子が他にもいて、短い間だったが仲良くなった。

私を入れて四人グループで固まっていた。

この後も時々手紙のやり取りをしていたけれど、十代後半から二十代前半で皆亡くなり、私だけ生きている。

 





440: 名無しの王国 19/10/09(水) 08:42:15 ID:UCx

母方の祖父母との生活が始まった。

母が最初の離婚をしてからAと再婚するまで、祖父母と母と私とで暮らしていた。

祖母は実父に良く似た私の顔が嫌いで、いつも不細工、駄目な顔と言っていた。

なので、あまり好きではなかった。

祖父で印象に残っているのは、手紙だ。

Aと暮らしていた時に何度か祖父から手紙を貰った。

内容はごく普通。季節の挨拶、元気か、不自由はしていないか、勉強を頑張って健やかに過ごすように。

問題は文体。漢字てんこ盛りの容赦のない候文。

もう一度言わせて。

小学校一年生に候文。

今なら相手選べやと反撃する。

当時はAを頼った。

Aは英語やドイツ語じゃなくて良かったと言いながら一緒に解析してくれた。

三通目くらいから一人で読めるようになったが、やっぱりあの手紙はおかしかったと思う。

五年生の五月に最後の転校。祖父母との生活が始まった。

祖父母は毎日くだらない事で怒鳴り合い、祖父は自室に引きこもり、祖母は私に当たった。

定規で叩かれ、煙草の火を押し付けられるのも辛かったが、一番嫌だったのはトイレ掃除用の雑巾で顔を拭かれたり、それを口に突っ込まれる事だった。

熱湯をかける真似、揚げ油をかける真似もされた。重大な跡が残る事は何もされなかった。

私はまあまあ運が良くて、酷い虐待はなかった。お陰で今も後遺症が何もない。

祖母は決して汚い言葉を使わない人で、私を詰る時も「あなたはあまり笑わない方が良いわよ。笑うと獣のように見えてしまうわ」という感じだった。

 




441: 名無しの王国 19/10/09(水) 08:45:05 ID:UCx

六年生の時、母が帰って来た。何事もなかったかのように帰って来て、何事もなかったかのように一緒に暮らし始めた。

祖母に詰られる標的が増えて負担が減ったが、母は家出を繰り返すようになった。

数日家にいても、予告なく数週間いなくなる。母は、祖母と一緒にいるのが嫌だから帰らないのだと言っていた。

家出する前に別居すれば問題ないのに、と思った。

「まあ、また捨てられたの?」

と言われるのが悔しかった。

そのまま中学生になった。

中学を卒業したら、就職するつもりだった。

働いて、家から出たかった。

ここで、私の成績が問題になった。

教師も祖父母も母も、この成績で中卒で就職させるのはもったいない。進学すべきだという。

私は母と交渉した。母と二人でアパートを借りて、祖父母と別居する。その代わり、私は進学する。

家事は私が担当する。出来るだけ母に迷惑をかけない。

母は受け入れてくれた。

弾き語りの仕事は流行らなくなり、母は大型トラックの運転手になっていた。(最初普通二種を取ってタクシーをやっていたが、客も同僚もホテルに誘って来るからと大型を取ってトラックにしたらしい)

私が中三の二学期から、母はアパートを借りて自活を始めた。

私は中学卒業後に母のアパートに引っ越した。

高校に入学してすぐは順調だった。

祖父母のいない生活は快適だった。

薬用リップを使うと「まあ、色気付くのが早いのね」、ポニーテールにすると「ああ、うなじを見せて誘うのね。でも、顔を見せたらがっかりされるかもしれないわ」等という言葉を聞かないで良いって、幸せだと思った。

母とも上手くいっていた、と思う。

でも、母は次第に帰って来なくなった。

最初は本当に三日に一度は帰っていた。すぐに五日に一度になり一週間に一度、半月に一度、一ヶ月に一度。

朝、私が通学の為に家を出る直前に帰って来て挨拶する。

「お帰りなさい、お仕事大変なの?お疲れ様」

「ただいま、今から学校?急がないと遅刻しちゃうよ。行ってらっしゃい」

「今日はゆっくり出来る?久し振りに夕飯一緒にどうかな?お母さんの好きな物作るよ」

「うーん、どうかな。考えとく」

私が帰宅すると、もういない。

授業料無料の特待生で私立高校に入ったので、無駄に遅刻も欠席も出来ない。

母と話したいと思っても、機会がなかった。高校最初の夏休みは、一度も帰って来なかった。

 




442: 名無しの王国 19/10/09(水) 08:47:19 ID:UCx

高二の四月を最後に、母は帰って来なくなった。

私は一人でアパート暮らしを維持出来ないか、かなり足掻いた。

それなりのマンモス高校で、学年で十位以内の成績を保ちつつ全ての生活費を稼ぐのは、どう計算しても無理だった。

売春をすれば、お金は入る。

一時間五万~十万。

勇気がなかった。

母が置いて行った生活費は、すぐに底をついた。

夏休みの終わり、

「こんなに何回も捨てられるなんて、余程いらない子なのねぇ。その顔では仕方がないわ」

と言われつつ、祖父母の家に出戻った。

この時、小三の夏休みくらいから私を引き取ってくれていた家の「お嫁さん」がジサツした事を知った。彼女はトイレに行こうとするとパニックになり、洩らしてしまうというのを繰り返していたらしい。笑顔の高速まばたきが忘れられなかったのかもしれない。

病室に簡易便器を置いて徐々に心を安定させ、家に外泊できるまでになった。数年、入院生活しながら外泊を繰り返し、そろそろ退院で、その前の最後の外泊中に首を吊ったそうだ。

「皆に愛されたお嫁さん」と「不幸を振り撒く私」について、祖母が色々言っていた。

何度か謝罪の手紙を送ったが、返事は来なかった。

夏休み明けのテストでガクンと順位が落ちた。三位か四位だったのが、一気に十位だったので、夏休み中に良くない仲間が出来たのかと保護者込みで生徒指導の先生に呼び出された。

祖母は教師に鷹揚に頭を下げ、「引っ越しで環境が変わってしまったからだと思います。これからは私がサポート致しますから大丈夫ですわ」と微笑んだ。

勿論帰宅後は「顔も悪い、愛想も悪い、頭も悪いなんて、困るわ。だから捨てられてしまうのよ。少しでも長所があれば良いのに、可哀想な子ね」と言われた。

翌日教師に「上品なおばあ様だなぁ。あんな人に心配かけないようにしなさい」と言われた。

因みに、私は塾に行った事はない。三位・四位の成績は、一日三十分(テスト前は一時間)の自宅学習で維持出来た。

瞬間記憶能力的な物はない。多分、記憶力はごく普通。数学の公式とか、忘れる事が多かったくらい。勉強には、コツがあるからね。

 




443: 名無しの王国 19/10/09(水) 08:49:55 ID:UCx

順位は、三学期には戻った。

進路希望は就職だったが、教師が強く進学を推して来た。学校の実績にもなるからと。

上品なおばあ様に金銭的負担をかけたくないから就職したいと言ったが、奨学金を利用すれば良いと言われた。

結局家から百キロ近く離れた大学に進学した。大学入学を、こっそりAに報告した。Aとの養子縁組は解消されていたが、Aはまた一緒に暮らそうと言った。

私は、優しいAしか知らない。誘いは嬉しかった。

でも、ヤクザとは暮らせない、とはっきり断った。

Aは、分かっている、足を洗う準備を進めている、駄目だろうか、と言った。

私の結婚式で、花嫁の父としてバージンロードを歩くのが夢だと。

嬉しくて、涙が出た。

お願いします、本当はまたお父さんと呼びたいですと返した。

夏休み前に、Aの実弟からAが事故で亡くなったと連絡が来た。歩道で転んで、車道に倒れ込んだそうだ。

本当に事故かもしれない。でも、もしかしたら、違うかもしれない。

ヤクザを辞めるのは、難しいだろうか。ダイガシって、やっぱり幹部なのだろうか。辞めるのが本当にタヒぬ程難しいのなら、一緒に暮らしたいなんて言わなかったのに。

大学に入ってから、一度も祖父母の家に戻らなかった。奨学金とアルバイトで全ての費用を賄い、国家公務員になった。

四年生の時、教授の論文発表を聴きに行った。教授の一つ前の発表者の声を聴いて、私は恋に落ちた。

英語使用の発表で、教授より発音がスムーズで、柔らかい声だった。

発表終了後、私は彼に内容についての質問をしに行った。

英語が苦手なので、質疑応答の時に聞けなかったから、と。勿論、論文より彼Bが目当てだった。

Bは見た目も私のドストライクだった。小柄で私との身長差は五cmくらい。野球の古田敦也さんに山羊を混ぜて線を極限まで細くした感じの顔。

初プレイは、彼にしようと決めた。

きっちり仕留めた。

 




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