彼女が祖父とペットの氏を同列に考えてる。祖父と愛犬を同等に扱う感覚には抵抗感を感じる
303: 恋人は名無しさん 2020/02/19(水) 21:53:54.90 ID:vGcIcFeO0
仮に飼ってた犬が寿命で亡くなってたとして、
15年くらい生きてたとする
20代前半だったら人生の半分以上一緒だっただろうし、
その存在はすごく大きくて
計り知れない悲しさだったのかもしれないよ
307: 恋人は名無しさん 2020/02/19(水) 22:17:42.52 ID:c5njpzBK0
いい大人なら、自分の感情面はどうあれ
犬とおじいさん一緒にしたらまずいよなって
判断して口に出さないけど
それをしない彼女は
ある意味純粋で優しい子なんじゃない。
305: 恋人は名無しさん 2020/02/19(水) 22:03:21.79 ID:Eu/GwIY30
ペット飼ってたから彼女の言いたかった気持ちはわかるけど
祖父を動物と一緒にされたくない
ペットを亡くしたことがないあなたの気持ちもわかる
どちらも悪くない
306: 恋人は名無しさん 2020/02/19(水) 22:06:42.29 ID:Eu/GwIY30
つけ足し
どちらも悪くないけど一般的儀礼として動物と
人間の死を同等にするのは良い表現ではない
動物愛護の声も年々大きくなってきてるから
今が過渡期ではあると思う
309: 恋人は名無しさん 2020/02/19(水) 22:30:03.93 ID:sY7SQI3C0
>>298
まずはお悔やみを申し上げる。
ご心痛のあまりお身体を損なうことのないように。
さて、ご質問のところの「折り合い」とやらについてだが。
まことに失礼ながら、相談者が比較対象とすべき事柄を、
「俺の場合は祖父」「彼女の場合は犬」と
考えているのならば、それは心得違いと言わざるを得ない。
つまり、折り合いという言葉遣いに
「彼女の場合と、俺の場合とでは、悲しみの度合いは
別格である【べき】」という思考が透けて見えているのだ。
「彼女はこう考えているな、
ひるがえって、俺はこう考えているな」ではなく。
揺るがしえない現実として、
彼女にとってはチョコちゃんは家族。
相談者が自分で言うほど
その価値観を「尊重」しているのであれば。
そういう言葉遣いは出てこないと思うんだよ。
いや、それを叱ろうとか説教しようとは思わない。
ただ現実として、あくまで現実として、
そういう言葉遣いを生み出す心理的土壌が相談者にあるなら、
「その溝は現実問題として【埋まらない】だろう」
と言っているんだ。
気持ちが落ち着いてからでいいから、彼女のほうではなく
ご自分の心の裡に目を向けてみることをお勧めする。
312: 恋人は名無しさん 2020/02/19(水) 22:45:29.56 ID:l8eMNEJB0
>>309
尊重しててもさすがにその度合いはあるだろ
愛犬も喜怒哀楽を共有した大切な家族として扱う
というのは理解できても、
自分自身の先祖として血の繋がり、意志疎通をしてきた
祖父母や両親と、
ほとんどが買うか保護やもらうなどを経由して
家に来たペットを同レベルの尊重で見るのは無理がある
俺もペットを家族として扱うという考えは尊重できるが、
そこを人と同等に扱うという考えはない
現実的にペットが亡くなったから忌引が普通に適用されるか
というとそうではないだろ
ただペットも大切な家族というのは
テレビなどで普通にそう扱ってる
318: 恋人は名無しさん 2020/02/20(木) 00:10:29.23 ID:jaW0WNGL0
>>312、そうではない。そこはどっちでもいいんだ。
具体的にいうと、いっぽうに「そうである」人がいて、
もういっぽうに「そうでない」人がいる。
相談者自身が「そうでない」と捉えていること自体
(>>312のいうところの「度合い」)は、問題の核心ではない。
相談者が「そうでないと捉える【べき】」という思考でいると
「現実として、そうである人との溝は埋まらない」
と言っているにすぎない。
我々回答者は、「そうであるよ」「いやそうではないよ」
「いやまず【べき】思考を捨てろよ」などと
囃す立場にはない。
【べき】思考を捨てるか捨てないかは、
相談者自身が自分の責任で決めること。