【ウマ娘怪文書】好奇心に負けて、ついハヤヒデの髪を触ってしまった。ソファでビワハヤヒデが眠り込んでいる。波状毛と捻転毛の合わせ技でできた後ろ髪が、扇のように広がり自然のカーペットを作り出している
8: 名無しさん(仮) 2025/01/27(月)23:25:40
カレーを食べながら、四方山話でもするようにハヤヒデは近況報告してくれた。
「タイシンを知っているだろう。あれはもう二児の母になっている。つい最近七五三のお祝いをしたよ」
「チケットは驚くほど選手生命が長くてな。下部リーグに移ってからも優秀な成績を残し続けている」
世界は平和に動いていて、俺も現役。たまにハヤヒデのところに顔を出したりするようだ。
その様子におかしなところはない。だが、どこか名状しがたい違和感があった。
ちらりとハヤヒデの左手を盗み見る。指輪の類などは一切ついていない。ということは――。
「ふふ、おかしいか? この年にもなって独身で、一人寂しく暮らしているということが」
「あ、いや……」
俺は違和感の正体を探す。なんだ、何がおかしい?
「だが……そうだな。ブライアンのこともあったし、この心境は複雑すぎて、君には理解してもらえないかもしれないな」
言うと、ハヤヒデは視線を俺の背後に移して、どこか虚ろに焦点をさまよわせた。
そこには小さなローテーブルと、写真立てが置いてあり、ブライアンの写真が飾ってあった。
まさか、ブライアンは、この世界では、もう――。
9: 名無しさん(仮) 2025/01/27(月)23:26:04
「生きてるよ」
ハヤヒデの言葉に、俺は脱力した。
「海外のリーグで走っているんだ。写真を飾ったらいつの間にか話しかけるようになってしまってな。誤解させたのなら謝ろう」
ブライアンは健在。俺はほっと息をついた。ではいったい何が問題だというのだろう?
「そうだな……強いて言うならば、姉妹仲が良すぎる、ということかな」
「姉妹仲が良すぎる?」
「知っているか、トレーナー君。ブライアンはもう野菜を苦手としていないんだ」
ブライアンの野菜嫌いは有名だ。ハヤヒデからも耳が痛くなるほど聞かされている。
「それに、マメに連絡をよこしてくれるようになったんだ。トレーナーとのなれそめも何度も聞かされているよ」
"あの"ブライアンが?
「なんでも話してくれるよ。なにせ今のブライアンにとっては、私は"ただの姉"だからね」
カレーの横には色とりどりの生野菜が盛り付けてあって、みずみずしい輝きを放っていた。
「"ただの姉"?」
「ああ、私はもう、ブライアンの"自慢の姉"ではないんだ」
10: 名無しさん(仮) 2025/01/27(月)23:28:02
「理論を捨てることを選んだあの日から、ブライアンの私への興味は目に見えて薄れていった」
おそらく研究ノートが失われた日のことを指しているのだろう。
「もはや私をライバルだとはみなさなくなったんだ。一人の姉として、"ただの姉"として接するようになった」
カレーをよそうスプーンが、カタカタと震えていることに気が付いた。
「冷たくなったわけではない。むしろブライアンは優しくなった。野菜も食べるようになった。できた妹だと思うよ、本当に自慢の妹だ」
俯くハヤヒデの頬を涙が伝った。そこでようやく、違和感の正体に気が付いた。
このハヤヒデは圧倒的に"幼い"のだ。崩壊する世界線のハヤヒデとは、比べるべくもないほどに幼い。
「もし……もし私が理論を捨てなければ、私はいまでもブライアンの"自慢の姉"でいられただろうか」
ぐすぐすとハヤヒデは少女のように泣く。
「すまない。私はわがままだな。私はこんなにも満たされているというのに。なぜ、どうして、涙が止まらないんだろうな……」
俺はカトラリーボックスからフォークを引き抜くと、自分の手の甲に突き刺した。
11: 名無しさん(仮) 2025/01/27(月)23:28:24
目が覚める。トレーナー室のソファにいて、ハヤヒデが心配そうにのぞき込んでいる。
「大丈夫か? トレーナー君、ひどくうなされていたようだが……」
飛び起きるやいなや、ハヤヒデの鼻先に金庫の鍵を突き付けた。
「これは……?」
「学園の大金庫の鍵だ。そこにハヤヒデに必要なものが入っている」
「必要なもの……? 研究ノートか! でも、どうして……トレーナー君が隠していたのか?」
俺は何も答えなかった。手振りだけで早く行ってあげるようにと伝える。
ハヤヒデは怪訝な顔をしながらも、はやる気持ちを抑えられないのか駆け足で部屋を出ていった。
俺はソファに座りなおして自問自答する。世界かハヤヒデか、そのどちらを選ぶのか。
かたや人類の存亡をかけた一大事で、かたや一人の少女の未練の問題。
その軽重は自明で、トロッコ問題よりもはるかに簡単なはずだ。しかし――。
思考がぐるぐる回る。世界かハヤヒデか、世界かハヤヒデか、世界かハヤヒデか。
決意を固めて、立ち上がる。
14: 名無しさん(仮) 2025/01/27(月)23:28:55
俺はタイシンとチケットのトレーナーを緊急招集した。車を走らせて銀座へと向かう。
某大手ジュエリーブランドの銀座旗艦店。全面ガラス張りの瀟洒なショールームへと急ぐ。
「お前が仲間内で何て呼ばれているか知っているか? "クソボケ"だよ」
車内でチケットのトレーナーが表情を変えずに言った。
「クソボケ?」
「界隈じゃ有名な話だ。だがその汚名も今日で返上することになりそうだな」
それきり二人は黙って、無言で運転を続けた。
店に着くと、ショーケースをあちこち物色して回った。電子カタログをものすごい勢いでスワイプする。
「プラチナだ」「シンプルなのがいい」「刻印はいらない」「細いやつだ」「指のサイズはいくつだ?」
二人からアドバイスを受け、四苦八苦しながらなんとか一つの指輪を選び出した。
今日は12月24日、ぎりぎりクリスマスプレゼントには間に合う算段だ。
こんなことをしても、未来は何も変わらないという悪魔の声が聞こえてくる。しかし構わなかった。
重要なのは不確定な未来に立ち向かう覚悟だと考えていた。覚悟があれば、運命はいかようにでも変えられる。
ただ、その証をハヤヒデに渡すだけでいい。
21: 終 2025/01/27(月)23:31:17
店員が電卓をはじき、価格を提示してくる。
俺は懐から札束を出し、カウンターに叩きつけた。
「現金、一括で」
1LDKで、寂しげに泣くハヤヒデのイメージを振り払う。
俺はギアを6速に入れて、全力でアクセルを踏み込んだ。
「いいなあ。今、担当に首輪を贈るのが流行っているらしい。タイシンも喜ぶかな」
「いいんじゃないか。俺もチケットにどヱ□い下着を贈ることに決めたよ」
この日以降、俺は未来を見ていない。
22: 名無しさん(仮) 2025/01/27(月)23:33:01
どういうことなの…