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父子家庭で育った私の人生を全て公開したいと思う


86 :名無しさん 2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:pGVSGJy0

>>85
全然立ち入ってないですよ。

がん検診はまだやったことがないです。
市から無料でできるクーポンなど届いたりもするんですが…。

でも、何か症状があった時(胃が痛いとかお腹の右側だけ痛いとか)は、母のがんを見つけて下さったクリニックに行き、隈無く検査をしてもらいます。
そのクリニックの先生は、母の告別式にも来てくれたそうで、私が受診すると熱心に診てくださいます。
定期的に血液検査をして、腫瘍マーカーも調べてもらっています。
そのおかげか、卵巣嚢腫が早い段階で発見されたりしました。
今のところがんは大丈夫です。

しかし、私はどちらかと言うと不健康な方なので、いつ癌になって余命宣告されても悔いのないように、日々意識して過ごしています。
母が亡くなった年齢まで、私もあと10年を切りました。
あと10年後、自分の命が当たり前にあるとは思えないです。
その時後悔しないように生きてるつもりです。




87 :名無しさん 2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:pGVSGJy0

母のいない生活を普通と思って過ごしていた私も、壁にぶつかったことがありました。
高校に入学して、自分が父子家庭であることを知らない世界に入った時です。
高校は、母が生前私に行かせたいと言っていた高校に進学しました。
地元からは少し離れていたので、知ってる人が誰もいない環境でした。
最初は、自分から「お母さん死んじゃっていないんだ」と話すようにしてました。
女子ってお母さんの話をよくするじゃないですか。
それで、私に話を振られた時に困ったからです。
父子家庭であることを軽い感じで打ち明けると、だいたいその場の雰囲気は固まってました。
そこで、「あっ父子家庭って普通じゃないんだ」と思いました。
何も知らない子が当たり前のように、私にお母さんの話を振ってくる時にも、「お母さんて普通は誰にでも当たり前にいるもんなんだ」と思いました。
それから、お母さんの話を避けられるようになりました。
「母の日何かあげた?…あっごめん、何でもない」とか言われたりして、悲しかったです。
母親の話を避けられるのがすごく嫌でした。




88 :名無しさん 2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:pGVSGJy0

高校2年になると、父子家庭であることは隠すようになりました。
もう知っている人から聞いて私は言ってないけど知っている子もいました。

三者面談にお父さんが来ると、知らない子は「お母さん仕事で来れなかったの?」と聞かれたりしました。
「うんそうなんだ」と嘘をついて隠していました。
いまだに繋がっている高校の友人は、父子家庭であることを知らない子がほとんどです。
今はもう言うタイミングを完全に逃してしまった感じで…正直に言えばよかったかも、と思うこともあります。
友人から「私ちゃんからお父さんの話ってよく聞くけどお母さんの話聞かないよね」と言われた時も、そんなことないよ〜と架空の母の話をしたりしてしまいました。
あとは、祖母の話を母に置き換えて話したり。
とにかく、父子家庭を打ち明けた時の空気が固まる感じと、無理に話を避けられるのが自分にとっては辛かったです。





89 :名無しさん 2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:DD1DcFRv

レスありがとう。

頼れるお医者さんが近くにいるんだね。
お母様が亡くなってそれっきりじゃなくて、遺族のことも気にかけてくれるのかぁ。
いい先生だ。

そっかー高校は完全に「外」の世界だったんだなー
架空の母の話は泣けるわ…




90 :名無しさん 2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:+v/wHF/I

私ちゃんって表現は生活板では馴染みがないから最初意味が分からなかった。




91 :名無しさん 2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:pGVSGJy0

>>90
申し訳ありません。ご指摘ありがとうございます。
“○○ちゃん”の意味で使ってしまいました。




92 :名無しさん 2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:pGVSGJy0

架空の母は、きっと母が生きていたらこうするだろう、こう言うだろう、という想像で話していました。
母の日も、祖母と家政婦的な伯母にプレゼントしていたので、それを母にあげたことにして言ってました。

大学に進学して、親元を離れたので、お母さんの話題が出にくくなり、あえて言う必要も隠すこともなくなり、平穏に過ごせました。
ただ、高校時代の友人関係を教訓に、本当に今後も付き合いが続くであろう信頼できる友人には、父子家庭であることを話すようにしました。

社会人になり、実家に戻ってきたため、職場で再びお母さんの話題が出るようになりました。
オバタリアン的な人に、「お母さんは何歳?」とか「家に帰ったらお母さんの作った夕飯あっていいね」とかしょっちゅう言われました。
年齢は、生きていたら何歳だから…と計算して母の年齢を答えたり、話を合わせていました。
やはりカミングアウトすると空気が固まってしまい、「失礼なこと言ってごめんなさいね」と謝られたりして、気まずかったです。
その頃から「どうして自分にはお母さんがいないんだろう」と帰り道泣いたりしました。
世の中お母さんがいるのは当たり前なのに、何で私のお母さんは死んでしまったの?なぜこの世に「死」があるんだろう、と悶々と考えるようになりました。




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