第一次世界大戦の壮絶な戦闘で打線組んだ
54:名無しの歴史部員 2020/03/29(日)21:00:07.45 ID: F9liirCDpNIKU
>>46
フランスのヴェルダン要塞を巡ってドイツ軍とフランス軍が死闘を繰り広げた。
攻勢側のドイツの戦闘の方針が消耗戦だったこともあり、両国は大量の兵員を前線に送り続け戦闘は泥沼化、とてつもない数の犠牲者が出た。
ドイツはヴェルダン要塞を占領、フランス軍を敗走一歩手前まで追い込むも、東部戦線においてブルシーロフ攻勢が発生。
また同時期にイギリス軍によるソンムの戦いが発生したため兵力を分散させざるを得ず、ヴェルダン要塞を放棄し、もとの防衛線まで撤退せざるを得なくなった。
ちなみに、消耗戦とは人的資源を大量に消耗させ、相手国に「これだけの犠牲を出しても突破が無理なのか」と思わせ有利な状況で講和を結ぶことが目的の戦闘方針のこと。
この方針を打ち出したドイツ軍参謀総長のエーリッヒ・フォン・ファルケンハインは大損害を出しながらも前線へと兵力を送り続けたことから
「ヴェルダンの血液ポンプ」、「ヴェルダンの骨ミキサー」と呼ばれた。
52:名無しの歴史部員 2020/03/29(日)20:59:47.23 ID: GWfe6T2UMNIKU
(ここで皇太子殺したらどうなるんやろ?)
57:名無しの歴史部員 2020/03/29(日)21:00:25.81 ID: F9liirCDpNIKU
4(一) ソンムの戦い
【期間】
1916年7月〜11月
【交戦戦力】
・連合国
イギリス
フランス
オーストラリア
カナダ
英領インド
英領南アフリカ
合計戦力 2,970,000人
vs
・中央同盟国
ドイツ
合計戦力 1,500,000人
【結果】
膠着
【人的損害】両軍合わせて1,090,000万人
・連合国軍
656,000人
・中央同盟国軍
434,000人
62:名無しの歴史部員 2020/03/29(日)21:00:55.91 ID: F9liirCDpNIKU
>>57
恐らく第一次世界大戦で最も有名な戦闘。
連合国軍によるソンム川付近での攻勢。
両軍合わせて110万人近い犠牲者を出したのにもかかわらず戦線はほとんど動かなかった。
損害は連合国軍の方が多かった。
この戦いでは軽機関銃や戦車が歴史上初めて戦闘に使われた。
この時のイギリスの指揮官であったダグラス・ヘイグは最前線に兵力を送り込み突撃をさせては機関銃で蜂の巣にされることを繰り返したことから通称「ソンムの肉屋」と呼ばれた。
また、この戦いにはアドルフ・ヒトラーがドイツ軍兵士として参戦しており、毒ガスによって一時失明している。
67:名無しの歴史部員 2020/03/29(日)21:01:15 ID: F9liirCDpNIKU
5(三) ブルシーロフ攻勢
【期間】
1916年6月〜9月
【交戦戦力】
・連合国
ロシア
合計戦力 不明
vs
・中央同盟国
オーストリア=ハンガリー
ドイツ
合計戦力 不明
【結果】
ロシア軍の勝利
【人的損害】両軍合わせて2,337,000人
・連合国
1,000,000人
・中央同盟国軍
1,337,000人
68:名無しの歴史部員 2020/03/29(日)21:01:34 ID: F9liirCDpNIKU
>>67
ロシアの将軍アレクセイ・ブルシーロフによって発案・実行された東部戦線おける大攻勢。
両軍合わせて200万人を超える損害が出た。
この攻勢でブルシーロフは長大な戦線の複数の弱点部分の同時かつ集中突破という新戦術を実施し、圧倒的破壊力により中央同盟国側に大損害を与えた。
ドイツ軍は攻勢を押しとどめることに成功するものの、この攻勢を防ぐ為に兵力を西部戦線から東部戦線に回さなければいけなくなり、ヴェルダンの戦いにおいて敵を突破・勝利することができなくなった。
また、オーストリア=ハンガリーはこの攻勢で140万近い大損害を被り国全体の兵力が不足、その後様々な戦線においてドイツに援軍要請をする必要が生まれてしまった。
ブルシーロフはその後もこの戦術を用いて攻勢をしかけるが、中央同盟国軍は二重防衛という対策を生み出したため、これ以降の攻勢は失敗に終わる。
その後、ロシアはこの戦術の真価を見出すことができなかったが、一方でドイツ軍はこの戦術に注目し、これを発展させることで浸透戦術を生み出す。
この浸透戦術はその後のWW1の各戦線で用いられるだけでなく、WW2の電撃戦の礎となったり、日本軍のインドシナ等大陸侵攻・朝鮮戦争などでも使用されるなど近代戦史に大きな影響を与える事となる。
71:名無しの歴史部員 2020/03/29(日)21:01:49 ID: UL13+Vt20NIKU
第一次のフランスとドイツの関係好き
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