アル中の父と度々喧嘩をしていた母がとうとう我慢の限界を迎えて母の実家で離婚に関する話し合いをする事になった。その話し合い中、父が刃物を持ち出して修羅場に…
193: 名無しさん@HOME 2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN 0
多分人生の中でこれ以上の修羅場はもうなさそう
&20年以上時間が経ったのでカキコ
数回に分けて書きます
まだ私が小学校に入学したてだった頃の話
アル中だった父(私には優しく手をあげられた事は無かった)
と母はよく喧嘩をしていた
理由はよく覚えていない
ある日我慢の限界が来たのであろう母が
祖父に先立たれた祖母が1人暮らししている実家に帰った
194: 名無しさん@HOME 2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN 0
ある日父が私を連れて母の実家に離婚の話し合いに行った
結果私は父について行く事になった
私はその状況が悲しくて違う部屋に移動してしばらくしたら
祖母と母の悲鳴、
父の「これでもか!」と言うような声が聞こえた
びっくりして3人がいる部屋に行ったら
「やめてー!」と叫びながら倒れこむ母に覆いかぶさる父と
それを止めようとしている祖母が居た
そして畳に広がる真っ赤な血だまり
父は包丁で母を何回も切りつけていた
私は部屋の入り口で声も出せず動けなかった
ただ見ていた
195: 名無しさん@HOME 2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN 0
しばらくして父がこっちに来た
祖母は母に何か叫んでいたがよく聞きとれなかった
母は動かない
私が固まっていると父は私の横を抜けて
「ごめんな」と一言言って祖母の家を出て行った
その後ちょっと自分が何をしていたのか
記憶があいまいになってるんだけど
誰が呼んだのか救急車が来て母は運ばれて行った
救急隊員の呼びかけに母はうめき声の様な返事をしていた
ここで(母は生きてる!)と思った気がする
顔や体に青いビニール袋のようなものを巻かれていたんだけど
なんなのかよくわからない
父を止めようとして
手にケガをしていた祖母も一緒に救急車に乗り込んだ
私は救急車の音を聞いて心配して見に来てくれた
仲の良い近所の人に預かられた
197: 名無しさん@HOME 2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN 0
>>194
ひえぇ…紫煙。
198: 名無しさん@HOME 2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN 0
祖母の家と私の家は近かったので
着替えなどを取りに一度家に帰ったら
電話に血がついていた
テーブルの上には
父の好物の食べかけのお刺身と、飲みかけのビール
父が居るのかと思ったが誰もいなかった
近所の人の家に戻るとき
祖母宅にパトカーが来ていた
警察が家の中を色々調べているようだった
私はひとまず近所の人の家に泊まった
次の日祖母が病院から戻り母が運ばれた病院に一緒に行ったけど
顔や手を包帯で巻かれた母は
会話ができる状態ではなかったが生きていた
199: 名無しさん@HOME 2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN 0
また違う日には警察署に連れて行かれて
凶器の包丁の写真なんかを見せられて
これは家で使っていたものかな?みたいな事から
他にも色々聞かれた気がする
聞かれる時、警察の人以外は部屋に私1人だったので心細かった
あとで聞いたんだけど
父は祖母宅を出たあと
自宅に戻って自分で警察と救急車を呼んだらしい
家の電話に血がついていたのはそのせい
それから警察が来るまでの間しばらく食べられなくなるからと
好物の刺身とビールを飲んで待っていた
離婚をしたくなくての犯行だったらしい
母は顔を中心に手や上半身を切られていた
手もそうだけど顔が特に酷い事になっていて
元に戻す手術が何回もあって長い間入院していた
母の入院中は私は祖母宅で暮らして
退院後また母と一緒に暮らした
200: 名無しさん@HOME 2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN 0
母は顔や手に傷が残ったり
指と顔の一部分が少し動かなかったりするけど
今でも元気に暮らしている
父は刑期を終え出所した後私に会いたがった
私は最初は会うのが怖かったが
20年経った今では和解して交流がある
以上が私の人生最大の修羅場
もうすぐ2人目が産まれるので
厄落としもかねての吐き出しでした