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俺に人生を変える一言を贈ってくれた妻に「ありがとう」と感謝の言葉を伝えてみた。そんな妻との出会いは中学の時で…


75: 1 ◆P6h9Mo9jzE 2013/01/24(木) 12:40:29.40 ID:t5vj4X590

特定は勘弁して下さい…

B型肝炎のキャリアだったそうです。

過労で弱ってしまい、発症にいたったそうです。




80: 1 ◆P6h9Mo9jzE 2013/01/24(木) 14:47:46.91 ID:t5vj4X590

その後弟と俺は茫然自失の日々だった。

数日前まで元気な母親の姿はあった。

ただ体調は良くなかっただろう、
そんな事一つも見せないで俺達の為に働いてくれていた、
何も手につかず憔悴しきってしまったんだ




81: 1 ◆P6h9Mo9jzE 2013/01/24(木) 14:48:56.77 ID:t5vj4X590

葬儀が終えた後に母が勤めていた銀行の上司が訪ねてきた。

俺と弟の名義で積み立てをしてくれていた。

その通帳を持ってきてくれた。

少額ずつ毎月俺達の為に貯金し続けてくれていた。 
母親の亡くなる先月までずっと続いていました。

必要な時は何時でも声を掛けて下さいと上司は通帳を置いて帰った。

葬儀の時は涙一つ出なかったが、上司が帰った後涙が止まらなくなった。

俺と弟は本当に可愛がられていました。





83: 1 ◆P6h9Mo9jzE 2013/01/24(木) 14:51:21.25 ID:t5vj4X590

この時俺は19歳で弟は17歳だった。
弟は受験を控えていた年だった。

俺よりも断然賢く、将来が楽しみだったんだ。

弟自身もかなりショックは大きかった。

学校を休みがちになった。
野球部だったんだがイップスを発症してしまい、
レギュラーから外され鬱ぎ込んでいった。

色々な事が大きくのし掛かっていったんだと思う。




84: 1 ◆P6h9Mo9jzE 2013/01/24(木) 14:52:52.08 ID:t5vj4X590

この時俺は大学を辞めることを考えていた。

私大だった事もあり、
頼れる親類筋も無かった為学費やその他諦めていた。

父と母が残してくれた家と幾ばくかの財産。

やりたい事も見つからず、流れるままに入った大学…
そんな事に残してくれた財産を使うのが忍びなかったのもある。

最初は奨学金も考えたが、弟の存在も大きかった。

アイツを大学卒業まで俺が支える…
当時弟にはそれくらい期待していました。 
そんな期待もまた弟を苦しめていたのかもしれません。




85: 1 ◆P6h9Mo9jzE 2013/01/24(木) 14:54:13.85 ID:t5vj4X590

二回生になる前に退学して近場の工場に就職しました。 
3Kの製造業で薄給でしたが、
幸いにも家のローンは完済しており弟と暮らしていくのには充分でした。

弟も少しずつ元気を取り戻していましたが、
母が亡くなる前ほど会話はありませんでした。




86: 1 ◆P6h9Mo9jzE 2013/01/24(木) 14:55:56.88 ID:t5vj4X590

母が亡くなって数ヶ月経った日の事でした。

不思議な体験をしました。

仕事中、急な腹痛に襲われ痛みで
仕事も儘ならないので早退しました。

当日の朝まで全く予兆はなく、
家に保険証を取りに帰らねばならなかったので、
車を走らせて帰宅しました。




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