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【ウマ娘怪文書】ベッドの上で、一匹の黒猫がゆったりと毛繕いをしている。目を擦ってもう一度よく見ると黒猫はそこにおらず、自分の担当ウマ娘──マンハッタンカフェの艶やかな黒髪が、吸い込まれそうな夜の闇と同じ色をして靡いている


1: 名無しさん(仮) 2024/08/12(月)00:48:03

ベッドの上で、一匹の黒猫がゆったりと毛繕いをしている。
だが、自分は猫を飼っていない。目を擦ってもう一度よく見ると黒猫はそこにおらず、自分の担当ウマ娘──マンハッタンカフェの艶やかな黒髪が、吸い込まれそうな夜の闇と同じ色をして靡いている。
最近、そんな幻覚に苛まれるようになったと他の誰かに話したら、なんと言われるだろうか。ゆったりと尻尾を揺らす彼女は、確かに可愛らしい黒猫に似ている。
彼女の周りで時折起こる、超常現象のひとつなのだろうか。あるいは、彼女に特別な想いを抱いているせいで、自分が可愛らしいと思うものの姿を、無意識に彼女に重ねてしまっているのだろうか。
どちらにしても、これを誰かに話すことはないだろう。振り向いた彼女の微笑みはひどく柔らかくて、幸せならなんでもいいやと思ってしまう自分が、確かにそこにいた。




2: 名無しさん(仮) 2024/08/12(月)00:48:33

それにしても、今日の彼女は上機嫌に見えた。物静かな彼女が感情をはっきりと顕にすることはほとんどないが、尻尾と耳をこうも楽しそうに揺らして、珈琲のマグをゆったりと傾ける姿は実に微笑ましい。
「なんかいいことあった?」
隣にそっと腰掛けると、揺れていた彼女の尻尾がこちらの腰を囲うように、優しく巻きつけられた。少し長く話していたいときにする仕草を見て、ついこちらも笑みが溢れてしまう。
「写真の整理をしていたら…久しぶりに見つけまして」
こちらに向けられた携帯の画面には、彼女と同期の友人たちが、青い海と白い砂浜に駆け出す姿が写っていた。
「あのときはびっくりしたな。タキオンがイベントを担当したんだっけ」
「ええ…初めはどうなることかと思いましたが…
終わってみれば…案外、楽しいものです」
彼女の友人たちの癖の強さは、穏やかな彼女の世界に良くも悪くも波乱を持ち込むものだ。だが、そのくらいでなければ彼女の友人は務まらないのかもしれないし、当の彼女も付き合いを続けているのは、その時間をなんだかんだと楽しんでいるからなのだろう。






3: 名無しさん(仮) 2024/08/12(月)00:49:11

彼女のマグの隣に自分用のそれを置いて、暫しの間写真鑑賞に浸る。合宿の記憶を振り返る彼女は、長い付き合いの中でもそうないほど饒舌に、ひとつひとつの写真を撮ったときの想い出を話してくれた。
そして、上機嫌になると彼女は少し悪戯好きになるというのも、長い付き合いの中でわかってきたことだ。腰に回された尻尾の先が刷毛のように肘を梳くと、こそばゆさに思わず体が揺れてしまう。
「くすぐったいよ」
「ふふ」
しばらく彼女はこちらの身体をゆっくりとくすぐっていたが、その動きが急に止まった。なのにその表情は相変わらず少し嗜虐的に微笑んでいて、何故なのか少し考えてしまう。
だが、その答えはすぐに知れた。彼女の携帯の画面が、いつの間にか一枚の写真に変わっていたからだ。





4: 名無しさん(仮) 2024/08/12(月)00:49:27

彼女の、水着姿。黒いフリルの付いたビキニに、夏の海の色をそのまま纏ったような水色のサテンの上着。いつもは天幕のように下りていた前髪をかき上げて覗く、真っ白な額と丸く大きな瞳。
普段の大人しい彼女からは想像できないほど大胆で、なのに彼女のために誂えたように似合っている。
言えるはずもない。その髪を千々に広げて、青い海とひとつになろうとしている姿が、まるで妖精のように思えて。
「この日のために、用意したものだったのですが。
まだ…感想を伺っていなかったな、と」
──つい、見惚れてしまっていた、なんて。




5: 名無しさん(仮) 2024/08/12(月)00:49:49

こちらをじっと見つめる彼女の瞳は、あのときと同じようにきらきらと、夜の闇の中に光る猫のそれのように輝いている。その目で見つめられるとつい大人としてふさわしくないことまで口にしてしまいそうになるが、ぐっとこらえて当たり障りのない、けれども本当のことを伝えた。
「かわいいよ。よく似合ってる」
そう告げると彼女は少し目を細めて、満足そうに微笑んだ。これでいい、という意味にも、このくらいにしておいてやろう、という意味にもとれるその笑顔に、もう一度心を揺さぶられた気がした。




6: 名無しさん(仮) 2024/08/12(月)00:50:06

「…ありがとうございます。一緒に潜って見た海の中を、覚えていますか?
綺麗でした。写真に残せないのが、残念なくらい」
「うん…本当にね。もっと息が続けばよかったのに」
彼女と一緒に海に潜って、魚たちと戯れたことを思い出す。水の中の世界を見つめる彼女は本当に楽しそうで、彼女より到底息が続かない自分に合わせて一緒に上がってくれるのを、申し訳なく思うばかりだった。
「いいえ…あの景色は、あなたと一緒に見たかったものですから。
ですから…また一緒に、泳いでみませんか」
「そうだね。それもいいね。
でも、今から海に行くのは難しいかも」
上目遣いでこちらを見つめる彼女の期待を裏切ってしまうのは心が痛いが、今回ばかりは致し方ない。確かに今は連休で、大きなレースもないからスケジュールとしては問題ないのだが、折悪く大型の台風が上陸するとの報を受け、海水浴場は軒並み閉鎖中なのだった。




7: 名無しさん(仮) 2024/08/12(月)00:50:28

彼女はしばらく、何も言わないまま俯いていた。さっきとは打って変わってその表情は伺えず、落ち込ませてしまったかと心配になって顔を近づけてみる。
だが、その瞳を覗き込む前に、彼女の手がそっとこちらの手に重ねられた。
「…海を感じると、思い出すんです。
あなたの手が、とても温かくて心地よかったことを」
そのとき、思わず自分の手を見返してしまった。彼女が触れたその一瞬だけ、確かに冷たい水に触れたような感触がしたからだ。
手が冷たい。なのに胸の奥は、冷たいはずの手から柔らかな熱が流れ込んできて、じんわりと熱くなってきている。
「あなたのことが、こんなにも愛おしくて仕方ないことを」




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