1: 2024/08/19(月) 14:26:22.428
医療って大事やね
26歳で乳がんが見つかる。一度は縮小したものの、その後大きくなり、34歳で余命2か月と宣告された。「後悔はある。でもそのときの自分にベストな選択。希望を持って病と闘い続けたい」そう力強く語る。
「右胸の内側に、パチンコ玉くらいのしこりがあったので病院に行ったんです」(ミミポポさん、以下同)
診察時、医師から「たぶん良性のしこりだと思うけど、若いし、念のため細胞診をしましょう」と言われた。
「後日、ステージ0の乳がんだと告げられたときは、今までに経験したことがないくらいの恐怖に身がすくみました」
医師が提示したのは、外科手術のあとに抗がん剤治療をするという一択。
「身近に乳がんの患者もおらず、知識もないのですぐには選べませんでした」 さらに「若いからとにかく早く手術を。もしかしたらリンパも取るかも」と矢継ぎ早に言われ、混乱したという。
「急かされて一度は手術を決めました。でも、乳がんは再発や転移が危ないと考えていたのに、直後に予定していた韓国旅行に行っていいか聞くと『手術さえしたらあとは好きにしていい』と簡単に言われたことで、本当に私の命を預けていいのか不安になり、医療不信のような状態に。今は告知後、看護師さんなどがフォローしてくれることが多いそうですが……」
できれば身体を傷つけたくなかったので、ひとまず調べてみようと、手術をやめた。
「自分で調べるといっても当時はネットの情報量に限度があり、患者のブログはどれも怖い話ばかり。パソコンを開けるのも次第に憂鬱に」
そんな中、独自に東洋医学を取り入れた病院を探し、色彩療法の存在を知る。色彩療法とは、色が持つパワーを利用して心身を元気づけるものだ(医療行為ではない)。
闘病のため、ひとり暮らしをやめて実家に戻り、パーソナルカラー講師の仕事をしながら、色彩療法と免疫力を上げる食事などを2年間継続。すると、腫瘍が1.5cmから6.5mmに縮小した。
「このタイミングでの外科手術も考えたのですが、『このまま消えるかも』と期待し、その後も色彩療法と食事療法を3年ほど続けました」
一見、順調に見えたが30歳前後から腫瘍が大きくなり、ついには皮膚から飛び出す。
「2018年には少しの刺激で腫瘍から大出血するようになっていたのですが、仲のいい友人以外には乳がんであることを伝えていませんでした。カフェで働いていたころは激痛が走って出血しても痛みに耐え、トイレでこっそりガーゼで止血して我慢。薬に対してもナーバスになっており、当時は痛み止めも飲んでいなかったんです」
がん細胞が露出した「花咲き乳がん(花が咲くような見た目からつけられた通称で、局所進行乳がんのひとつ)」と呼ばれる状態だった。進行すると滲出液が分泌されたり、出血や痛み、
悪臭が生じるという。最初に告知を受けた病院で診てもらうと、手術ができるかできないかの瀬戸際と告げられる。
「大学病院も受診しました。腕を伸ばすと腫瘍の近くの血管から出血することを伝えていたのですが、検査のために腕を上げるように言われて、その場で大出血。このとき、医療機関への不信感がさらに強まってしまったんです」
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