難病で母が亡くなって一年経った。ふと寂しさを感じるけど、生きてるうちにいろいろしてあげられた
54: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 03:14:57.67 ID:FL+ICrcx0
親戚一同も集まりその対応を私がしていた。
するとお医者さんが「ご家族だけにお話があります」
別室に連れていかれ話をした。
「これ以上続けても意識が戻ることはないでしょう。
ただ人口呼吸器をつければ延命は出来ます。どうしますか?」
父親は泣きながら「お願いします。」と何度もか細い声で言っていた。
55: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 03:18:24.11 ID:FL+ICrcx0
私と姉は母親の意思を知っていた。
「父ちゃん…母ちゃんが望まない治療はやめてあげよう?」
私がそう言った時私は病院について初めて涙があふれた。
父親は私の話が耳に入っていなかったらしく
「助からないのか?」と先生に何度も聞いていた。
「もうやめてあげよう?ね?」
姉のこの一言で最後は父親も決心し、
そっと最後を迎えてあげられた。
56: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 03:20:45.87 ID:FL+ICrcx0
その後、葬儀の準備に大慌てだった。
逆に忙しかったことで悲しさは薄れていた。
ただ父親は相当滅入っていて葬儀屋が話しかけても
頓珍漢な返答をしていた。
父親の代わり私が段取りなどをすべて打ち合わせた。
57: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 03:22:51.41 ID:FL+ICrcx0
葬儀が終わり遺品の整理をしていた時に
数枚の写真とエンディングノートが見つかった。
エンディングノートはヘルパーさんが代筆したもので
写真もヘルパーさんに入れてもらったとのことだった。
58: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 03:25:08.20 ID:FL+ICrcx0
写真は七五三の時、姉の大学の入学式、
私の大学の入学式、家族みんなでとった写真が入っていた。
なんでもお財布に入れずっと取っておいたものだったそうだ。
その写真を見て家族みんなで大泣きしました。
59: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 03:28:12.90 ID:FL+ICrcx0
エンディングノートは
「ごめんね。今まで散々迷惑を掛けました。ありがとう。
これから姉も息子も立派に独り立ちできるはずだから幸せになりなさい。」
父親への感謝もあった。
ただノートはとっておかないことにしようということで
お寺に頼んで供養してもらった。
60: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 03:32:10.82 ID:FL+ICrcx0
そして何度も泣きながら少し前に一周忌を迎えた。
今でも思い出すことはたくさんあるし、
ふと寂しさを感じるときもあります。
ただ、自分としては最後までそばにいてあげられた。
生きてるうちにいろいろしてあげられた。
って思うと少し親孝行できたかなって思っています。
みなさんもまだ親がいるのであれば
親孝行たくさんしてほしいなって思います。
拙い文章で大変申し訳ないですが、これで終わりです。
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