難病で母が亡くなって一年経った。ふと寂しさを感じるけど、生きてるうちにいろいろしてあげられた
32: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 02:20:52.72 ID:FL+ICrcx0
ろれつが回らなくなり段々何を言ってるかわから無くなってきた。
亡くなる直前くらいの時は4回聞いて断片的に聞き取れるレベルだった。
姉も毎週末帰ってきてはくだらない話をしていた。
母親は聞いているんだか聞いていないんだか
わからない感じだったが少し楽しそうだった。
33: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 02:24:38.51 ID:FL+ICrcx0
病気が発覚して2年目のこと姉の結婚が決まった。
母親は「こんな姿のまま式には出たくない」
とわがままを言っていた。
このころには座椅子に座っていてもフラフラ揺れて
今にも倒れそうな状態だった。
支えていないと倒れそうになるので
ずっとそばで支えるのがおれの役目だった。
旦那さんに無理言って母親のために式を早めたのは
今でも母親にはないしょだそうです。
34: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 02:27:56.72 ID:FL+ICrcx0
式当日も「行かない!」と駄々をこねてました。
ばっちり衣装もそろえていたくせにね。
式は車椅子で私がずっと付き添っていました。
父親も式ではいろいろと忙しかったので私が全て世話をした。
母親はばっちり決めた衣装にメイクでした。
ヘルパーさんにあれこれ注文を付けながら
メイクをしていた姿はいい思い出です。
35: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 02:29:45.88 ID:33f6P5pi0
式には出られたのか。良かった。
36: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 02:31:35.11 ID:FL+ICrcx0
式の最後に姉が手紙を読んだ。
病気のことは触れなかったが最後に
「こんな娘でごめんね」って言ったのが印象的だった。
母親の泣いている姿はこれが最初で最後だった。
車椅子の横にいた私がずっと母親が手を握っていた。
力こそなかったがなんだか力強く握られていたような気がした。
37: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 02:36:50.14 ID:FL+ICrcx0
式も終わりいつも通りの生活に戻った。
日に日に弱っていく母親は何ともいたたまれなかった。
「彼女大切にしなさい。あの子泣かせたらダメだから!」
「私はいなくなるけど、あの子はずっとお前のそばにいてほしい」
そんなさびしいこと言うなよ。母ちゃんももっと長生きしろよ?
何度も言いたかったが言えば母親が辛くなると思い口はしなかった。
38: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 02:37:29.84 ID:FL+ICrcx0
読みにくくてごめんなさい。
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