難病で母が亡くなって一年経った。ふと寂しさを感じるけど、生きてるうちにいろいろしてあげられた
23: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 01:58:13.52 ID:FL+ICrcx0
父親と姉には感謝されたが母親は少し嫌そうな顔をしていた。
その後知ったのだがエンディングノートに
息子が帰ってきてくれたのがうれしかったって。
あまのじゃくな母親らしいと家族で笑ったのはいい思い出。
25: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 02:01:10.77 ID:FL+ICrcx0
家に帰ってすぐ自由の利く仕事を探し、知り合いの所で働き始めた。
父親は定年をしていたので私が仕事に行ってる間は父が介護をしていた。
私の家での仕事はご飯づくりとトイレの介助だった。
26: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 02:04:10.25 ID:FL+ICrcx0
基本的に病状が急変するようなものではなく
入院生活はほとんどなく家で大半を過ごしていた。
病院の先生もいい人ですぐに難病認定をとってもらい、要介護もつけてくれた。
金銭的には負担も少なくすんだ。
27: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 02:07:54.18 ID:FL+ICrcx0
病状的には筋力がだんだんなくなっていく病気でした。
歩けなくなって握力が無くなっていき手が震えていく。
徐々に進行すると思っていたが割と早く進行していき、
1年後には自分でお箸を使うことは出来なかった。
父親が食べさせる姿は今でも忘れられない。
こんなに愛していたんだって初めて知ったから。
28: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 02:11:00.60 ID:FL+ICrcx0
母親はわがままだった。
「入院なんかしたくない。」
「最後くらい家にいたい。」
介護疲れするくらい父は頑張っていた。
おれがいない間の家事も頑張っていた。
もちろんヘルパーさんもいたが負担は大きかった。
おれは一週間の休みをもらい父親に旅行をプレゼントした。
29: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 02:14:35.54 ID:FL+ICrcx0
その間家事や母親の介護もした。
ずっとそばにいてやりたかった。
母は
「お父さんのことありがとう。私がいなくなっても父ちゃんと仲良くやってくれ」
震える声で
「まだ先の話だから!それにあの父親にはあんたがいなきゃダメだろ?」
って言った。
何度も母親は「ごめんね」って言っていた。
謝りたいのはこっちだ。親不孝な息子でごめんって。
31: 名も無き被検体774号+ 2014/08/25(月) 02:18:01.51 ID:FL+ICrcx0
病気が発覚して半年後のことだった。付き合っていた彼女を紹介した。
母親は「彼女なんて連れてきたの初めてだ!」とはしゃいでいた。
少しでも安心させてやりたかった。
おれが今こうして幸せなのはあなたのおかげだって。
その頃には病気のせいなのか口が上手く回らなくなってきていた。
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