震災後、私の人生がめちゃくちゃになった。継母の虐待がひどくなり、従兄弟からはセクハラをされて...
1: 名も無き被検体774号+ 2014/07/08(火) 22:12:45.70 ID:fWJOo4qQ0
震災前からめちゃくちゃだったけれどね。
そして、ただの自分語りスレです。
書き溜めしているけれど、
途中、不要な場面を描いているシーンがあるので、
書き込みながら書き直すかもしれません。
身バレが怖いので、多少フェイクもいれますが、
話の大筋に全く影響はありません。
2: 名も無き被検体774号+ 2014/07/08(火) 22:13:37.93 ID:fWJOo4qQ0
震災後の辛さは、
家族関係の難しさが大きく関わっていました。
私の実母は、私が生まれて数か月後に交通事故で死にました
(ですので、実母との思い出は皆無)。
父は男手一人で私を育てることとなりましたが、
父の仕事の関係上、育児は大変キツイものでした。
そんな父を見て、父の両親は再婚相手を見つけて、父は再婚しました。
父と新しい母(以下、仮名:亮子さん)の間には
男の子(以下、仮名:健太)が生まれました。
父・亮子さん・私・健太の四人家族になりました。
3: 名も無き被検体774号+ 2014/07/08(火) 22:14:17.29 ID:fWJOo4qQ0
私は幼い頃から亮子さんに育ててもらいました。
亮子さんを実母と思っていて、後で違うのだと聞かされた…
なんていう話にはなりません。
私は小さい頃から亮子さんが実の母ではないと感じていました
(亮子さんをママとは呼んでいましたが)。
亮子さんは私に対して非常に冷淡でした。
幼子の私は、その冷淡さを敏感に感じ取っていたのでしょう。
私と健太との扱いの差が露骨でした。
4: 名も無き被検体774号+ 2014/07/08(火) 22:14:49.53 ID:fWJOo4qQ0
私と健太が喧嘩をしたとしましょう。
それを見た亮子さんは、どんなに非が健太にあるとしても、
「あなたはお姉さんなのだから、弟をいじめてはならないよ」
で片付けられるばかりか、
責任を全て私に押し付けるのでした。
あんまり悔しくて悔しくて、
小学生になった頃から私は亮子さんを憎む感情が生まれました。
5: 名も無き被検体774号+ 2014/07/08(火) 22:15:27.60 ID:fWJOo4qQ0
そんな亮子さんの扱いは、
父や父方の祖父母にも知るところとなったのは当然です。
しかし、亮子さんは彼らの前で私を露骨に冷たく扱いませんでしたから、
彼らがどの程度私が苦しんだのかまでは考えなかったでしょう。
私はそんな状況にむしろ安堵していました。
父や祖父母が亮子さんを責めて、家族不和となることを、
私はひどく恐れていたのです。
そういう訳で私は、父や祖父母の前ではつとめて笑顔をつくり、
平穏な家庭を演出する一員となりました。
6: 名も無き被検体774号+ 2014/07/08(火) 22:16:22.43 ID:fWJOo4qQ0
亮子さんの私に対する扱いが一層きつくなったのは、
平成17年に父方の祖父が死んでからでした。
祖父は私たちの家庭に色々と口を挟む人でした。
家庭への監視役がいなくなったということで、
亮子さんはいよいよ強気になりました(※祖父母とは別居していました)。
8: 名も無き被検体774号+ 2014/07/08(火) 22:17:17.17 ID:fWJOo4qQ0
平成23年3月11日金曜日。
春休みだった私は一日ずっと家にいました。
風邪をひいていたので、祖母が見舞いに来てくれました。
同日午後2時46分。祖母とお菓子をつまみながら、
「高校に入ったら~…」などの話をしていました。
「…おや、地震だね」
祖母が天井を見ながら言いました。
窓がガタガタ鳴り出した後、家全体が鳴り出し、轟音が周りからしました。
「机に隠れて!」
祖母が絶叫した時には体を持っていかれるような、大きな揺れになっていました。
必死に机の脚にしがみつき、祖母と叫びっぱなしでした。