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震災後、私の人生がめちゃくちゃになった。継母の虐待がひどくなり、従兄弟からはセクハラをされて...


9: 名も無き被検体774号+ 2014/07/08(火) 22:17:21.91 ID:z5FLHgcy0

もう3年ちょっとか・・・




10: 名も無き被検体774号+ 2014/07/08(火) 22:18:32.92 ID:fWJOo4qQ0

震災時のことは詳しく述べません。
簡単に言いますと、祖母と父が津波で死にました。




12: 名も無き被検体774号+ 2014/07/08(火) 22:20:01.98 ID:fWJOo4qQ0

震災後、亮子さんと健太に会えたのは、
3日以上経ってからだったと思います。

避難所に二人はいました。
私はその場へ向かって行きました。
「あらっ」
私の姿を認めた亮子さんの第一声です。

「姉ちゃんだ!」
健太は立ち上がって、私に近付きました。

「あんた生きていたんだねえ。どこ行ったんだろうと思っていたんだよ」
「ずっとこの避難所留まったまま私を探さなかったくせに、よく言えますね」
という言葉が舌先まで出ましたが、「すみません」と咄嗟に変えました。





13: 名も無き被検体774号+ 2014/07/08(火) 22:20:54.73 ID:fWJOo4qQ0

それからも色々ありましたが、飛ばします。
結局私たちは亮子さんの実家である関東へ行くことになりました。

亮子さんの実家の話は全く聞いたことはなく、
行ったこともありません(亮子さんの両親は既に他界)。
亮子さんの実家は更地になっていたので、
アパートを借りてそこに暮らすこととなりました。
亮子さんの私に対する態度はこれまで以上にないほど冷たいものでした。
 
「お父さんじゃなくて、あんたが死ねば良かったのに…」
「あんたってホント金がかかるばっかりだね。早くどこなりと行ってくれない」
「あたしとあんたは赤の他人ということを覚えておいてちょうだい。
あたしはあんたを養う筋合いなんてないのだからね。
これまで育ててやったことに感謝してほしいぐらい」
 
こんな小言は日常茶飯事でした。暴力もありました。




14: 名も無き被検体774号+ 2014/07/08(火) 22:22:12.95 ID:WYTsIj5Y0

きつい家庭環境やな




15: 名も無き被検体774号+ 2014/07/08(火) 22:22:14.72 ID:fWJOo4qQ0

そんな家庭状況でしたから、
弟は中学に上がって荒れ始めました。

何日に帰ってこないこともありました。
そのたびに私は亮子さんと
二人で対峙せねばなりませんから困ったものでした。




17: 名も無き被検体774号+ 2014/07/08(火) 22:23:11.27 ID:fWJOo4qQ0

色々あって、私は亮子さんの妹(以下、仮名:由美)の家へ行くこととなりました。
初めて会う他人である私を温かく迎えてくれました。

由美さん一家は非常に裕福で、
由美さんの夫(以下、仮名:義人)はお医者様で、
由美さん自身は看護婦でした。

由美さんには私と同い年の長男(以下、仮名:太郎)がいました。
根暗で、何を考えているのかよく分からないような少年でしたが、
頭だけは父親譲りの秀才さを譲り受けていました。
 
ここで私の新たな人生が始まるんだ、と胸を膨らませました。
高校だけでなく大学や大学院までの資金を出す、
と義人さんや由美さんは言ってくれました。




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