【悲報】スクエニ北瀬「FF7原作を今見ると恥ずかしく思う部分がある」
1 名無しさん必死だな :2024/02/28(水) 15:34:23.23 ID:SnHjANEs0
来月発売される「ファイナルファンタジー7 リバース」に先駆けて、原作である「ファイナルファンタジー7」に携わったチームの一部がインタビューに応じた。
そのインタビューでは、オリジナルのディレクター兼脚本家である北瀬佳範氏が、原作の「社会的課題、社会問題、文化的描写」の表現のされ方について恥ずかしく思っていると主張している。
現在ファイナルファンタジー7リメイクとリバースのプロデューサーを務める北瀬佳範氏は、野村哲也氏(原作ゲームのキャラクターデザイナー兼ビジュアルディレクター)らと共に、Game Informerのインタビューに応じた。
そーす:
https://nichegamer.com/final-fantasy-vii-director-embarassed-original-themes/
2 名無しさん必死だな :2024/02/28(水) 15:35:31.39 ID:SnHjANEs0
野村氏は、ファイナルファンタジー7が、ファイナルファンタジーの発展における2つの異なる方法の間に位置する、ある種の「中間点」であったことに言及する。
「ファイナルファンタジー7は、ファイナルファンタジーシリーズのナンバリングタイトルの中でも、中間地点に位置するタイトルだと考えることができます。ファイナルファンタジー6までは、シリーズ作品はひとつの決まったやり方で作られていましたが、8からは、まったく新しいアプローチで開発が行われたのです。一方、7はこれらの二つのタイトルの間に位置するものであり、混合的な要素があるタイトルでした。」
3 名無しさん必死だな :2024/02/28(水) 15:36:35.47 ID:SnHjANEs0
「6では、開発チームの各部門が独自に、あるいはただの気まぐれ的に、入れたいと思ったから入れたという要素が多く、一方の8では各要素はもっと計算され、戦略的に作られています。7はそのミックスであり、計算と気まぐれの両方があるというタイプの開発プロセスでした。
もし我々が原作の7を作っていた頃にやっていたようなやり方で今もゲームを作っていたら、大変なことになっていたでしょう。時代は本当に変わりました。時代が変わったと我々が言う時点は、7以降のことです。7はそういうやり方でゲーム開発ができた最後のタイトルなのです」
野村氏は、ときには完全にランダムな変更が行われることもあったと示唆した。
「脚本があるのですが、キャラクターが突然、脚本の中にすらない、我々が聞いたこともないようなことをゲームの中で話し始めるということがありました。ある開発の部門が、ただキャラクターがそう言っているシーンを含めたかっただけだというのです。当時はそういう世界でした」
5 名無しさん必死だな :2024/02/28(水) 15:37:40.11 ID:SnHjANEs0
その後、北瀬佳範監督は、ストーリーをより理解できるものにするために、もう一人の脚本家である野島一茂と緊密に協力した。
「各キャラクターやストーリーの中で彼らが話すことを考えるチームもありましたが、全体については野島さんが最終的なレビュアーでした。つまりストーリー全体を纏めるのです。このやり方は、全体に纏まりを持たせるためにその後のタイトルにも引き継がれました。でも、それ以外は”何でもあり”の世界だったのです」。
6 名無しさん必死だな :2024/02/28(水) 15:38:48.94 ID:SnHjANEs0
インタビューの後半で、開発者たちは原作ゲームのテーマについてさらに語り始め、記事のライターはそれらを「企業の強欲、環境保護、メンタルヘルス」だと主張した。以下は北瀬氏の発言である。
「ファイナルファンタジー7では、ライフストリームというコンセプトを通して、生命のサイクルなどの諸問題を描くことができました。現実の世界で経験するのとまったく同じように描いたとしても、かなり面白いということにはならないでしょう。
野島さんのアイデアによって、ファイナルファンタジー7の世界観の中で、ライフストリームと惑星を中心に据えつつこのテーマを描くことができた。そうすることで、FF7とそのテーマは、今もなお関連性をもち、時の試練にも耐えうるものになったと思います」
7 名無しさん必死だな :2024/02/28(水) 15:39:53.98 ID:SnHjANEs0
しかしながら北瀬氏は、フィクションであるにもかかわらず、FF7が「社会的課題、社会問題、文化的描写」をどのように取り扱ったのかについて、「恥ずかしく思う」と語っている。
「原作が社会的課題、社会問題、文化的描写をどのように表現したかを考えると、ある意味でですが、私は原作を少し恥ずかしく思っているのです。 その表現自体が、ある意味ではとても若くまたナイーブでした。
それは我々とっては学びですが、同時に、広く受け入れられた理由のひとつなのかもしれないとも思っています。完璧ではないし、その若くナイーブな描写の性質には、でこぼこでギザギザした部分があるのです。
もちろん、25年もの月日が経てば、個人的な学びや変化、成長もたくさんあります。でも、原作を振り返ってみると、そのうちのいくつかについては、ちょっと恥ずかしく感じるのです」