【自分語り】高校までは勉強もスポーツも出来て友達も多くて、我ながら優秀だと思っていた。その後関西の大学に進学したけど、今までうまく行っていた事が何故かうまくいか
593: 名無しさん@おーぷん 2018/02/27(火)23:22:05 ID:m4K
この年になっていろいろ身の振り方を考えて、昔のことを思い出す。
話す友人もいないので、くだらぬ自分語りを書せていただく。
誇張したり卑下したりしない範囲で、フェイクあり。
私は九州・四国あたりの県庁所在地育ち。
高校までは、本当にほぼなんの不自由もなかった。
仲の良い経済的にも余裕のある家庭で育ち、
学校の友達も多く、親友とよべる信頼できる友人もいたし、
問題等もなく、大過なく過ごした。
勉強もスポーツも音楽も美術もできて、
自慢のつもりはないが、我ながら優秀だったと思う。
文化祭やクラス会、体育祭の中心メンバーや長にもなったりして、
積極的な生徒だった。
大学進学のとき、自分にとって面白そうな研究やってる大学いった。
関西の某旧帝大学。
初めての一人暮らし!
いままでの教科書のおベンキョーでなくクリエイティビティのある勉強ができる!
受験勉強から解放されて時間もたっぷり!部活もバイトもできる!何しよう!
と、ほかの多くの新入生と同じように、心弾ませて期待に夢を躍らせて入学した。
私の人生イチワクワクしてたと思う。
594: 名無しさん@おーぷん 2018/02/27(火)23:22:36 ID:m4K
自己紹介抜けてた。現在30、女性。
595: 名無しさん@おーぷん 2018/02/27(火)23:23:32 ID:m4K
しかし、私という人間は、なぜか関西では全っっっ然通用しなかった。
学校では、知人レベルはすぐにいっぱいできたんだけど、
関西人の会話のテンポにどーやってもついていけなくて、
「で、オチは?」とか
「お前のキャラはなんやねん」とかいわれてもうまく返せなくて、
距離が全然縮まらなくて、どーーーやってもダメで、
そのうちなにかと一人で行動するようになった。
結局そのまま、ゼミが始まってからも
どんなに頑張っても知人どまりで団体になじめなくて、
どこにも属せない、根無し草のような感じで学内生活を終えた。
そのほかも、ゼミ発表でがんばろうとものすごく努力して準備していったのに
突然欠講になって日の目を見ることがなかったり、研究もうまくいかなかったり、
なにかとかみ合わず、最後まで力も発揮できず、認めてもらうこともなかった
(と、自分では思ってる。
成績見るとそんなに悪くないので、主観的なものなんだろうかけど)。
バイトでもダメだった。
がんばってたんだけど、何かと店長に目を付けられるとか
イビられる役回りになってしまって、
どんなに頑張っても「ダメキャラ扱い」されて、
2年勤めた箇所が2つあったけど、
どっちも無力感の残るままウヤムヤな感じでやめてしまった。
596: 名無しさん@おーぷん 2018/02/27(火)23:23:58 ID:m4K
部活でもダメだった。
ある競技を本気でやる部活に入って、
大学生活の情熱の多くを注いで練習に精をだしたんだけど、
それさえも結局はうまくいかなかった。
部内ではバイトとおなじく「ダメなやつ」キャラになって、
何やっても「なにやっとんねん」とダメだしされた。
最初は私も「自分がぬけてるからなあ」と受け入れて
ゴメンゴメンといいながらやったんだけど、
何やっても何やっても認められなくてバカにされて、
明らかにほかの人が大きな失敗しても「あいつはええねん」と見逃されて、
私の小さなミスは周りから一斉に糾弾されて笑われて、
どんなにドン臭い子でもスルーされるのに私だけ責められて、
どんなにほかの大学の人や社会人
(他大学や社会人のひとともつながりがある世界だった)のうまい人に
私の実力をほめてもらっても
うちの顧問(顧問に認められないとその競技の大会にはでられない)には認めてもらえなくて、
どんなにどんなにどんなにどんなに頑張っても認めてもらえなかった。
関西では、実力よりなにより「キャラ」が大切で(と私は思ってる)、
いったんそれが出来上がってしまうとそのラベルを剥がすのは非常に困難だった。
あまりにも報われなさ過ぎて、
あるとき「私はもううまくならないし、
認めてももらえないし、大会にも出られないんだな」と悟って、
パッタリやめてしまった。
機材そろえたり講習料やら遠征費やらに
通算軽く2-300万は使った(お金かかる競技)し、
時間も情熱も膨大に使ったんだけど、
新しく準備したピカピカの上級機材をほとんど使わないままやめてしまった。
597: 名無しさん@おーぷん 2018/02/27(火)23:24:17 ID:m4K
あんなに期待に胸を躍らせて始めた大学生活、
上記のようにボロボロで、私はできないやつでダメな人間だとしか思えなくなって
疲れ果ててしまって、
卒業後はまた地元近くの都市に帰って就職した。
もうこのころは希氏念慮に悩まされ、心療内科に通って薬も飲んでた。
生きてても無駄だ、人に迷惑をかける、いつ氏のうかと毎日考えてた。
自行いもあった。
大学の友人や高校の同級生が、
メーカーやら銀行なんやらいいところに就職決めていく中、
就職偏差値?なにそれおいしいの?って感じの会社をフリーペーパーで見つけて、
非正規雇用ではいった。
いろんな意味でその時の私に合うと思ったし、仕事も面白そうだと思ったから。
新しい仕事では我ながら能力の高さを如何なく発揮して活躍した。
職場のレベルが極端に低いというわけでもなく、
経歴的に優秀な人もいたけどその人たちとも遜色なく、
本当に「デキル」人として評価をしてもらい、上司にもかわいがられ、
仕事を任され、活躍したと思う。高校までの「できる私」の再来だった。
仕事が楽すぎて物足りなくて、
2年前異業界・異業種に正社員で転職したんだけど、
ここでもまた仕事が簡単すぎるし、物足りないような気さえする。
598: 名無しさん@おーぷん 2018/02/27(火)23:24:59 ID:m4K
今は仕事で認められ、友人もそこそこいて、恋人もいて、幸せだと思う。
だけど、「でも私は都会で通用しなかった」という
徒労感・挫折感がずーーーーっと拭えない。
言葉で言い表すのは難しいんだけど、感覚として、中・高・大と順調に駆け上って
あとは一気にスベリ落ちて、ゆるゆると下り坂を降りているような感覚がぬぐえない。
今どんなに幸せでも。
大学入学時から時が止まっている、という形容でもいい。
今でも関西または東京に出たいと思う時もある。
しかし同時に「でもどうせ通用しない」といいう思いが沸き上がって
一歩を踏み出せない。
それと同時に、「あの悪夢のような4年間は何だったんだろう」、とも思う。
私の時間がまた動き出すのはいつだろう。
どうやったら動き出すんだろう。
やり残したことが多すぎて、迷いが多くて、
今の会社で頑張って出世するぞ、とか、
今の人と結婚して家庭を持つぞ、という思いにもなれない。
「いつか」また都会に出たい、東京に出たい、難しい仕事に挑戦したい、
「でも」できない、という気持ちに挟まれたまま生きてる。
終わり。長っ。読んでくれた人いたらありがとう。
読みたくない人はお目汚し失礼しました。
599: 名無しさん@おーぷん 2018/02/27(火)23:38:10 ID:tqr
動いてみたら?生活もあるから東京や関西に行けとは言わないし
転職しろとも言えないけど
動けないなら都会と関係ないことでも何でもいい
趣味をはじめたり、違う環境に自分を置いてみたり
下り坂って言うけど人生って20歳超えたら基本衰えと老化の連続で
それを思えば何かが起きても起こらなくても動かないよりはマシだと思うよ