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正月に義実家に帰省した嫁が、1ヶ月帰って来なかった。俺「一緒に暮らさないならリコンだ!」嫁「傷ついた…」義父「娘を傷つけやがったな!許さん!」→結果…


547: 782 19/01/10(木)22:35:05 ID:DF8

ここでふと冷静になりました。
というか、離婚を確定的にしても良いのかと怯んでしまったのです。
一旦調停申立をしたら後は争うのみで、
関係修復の機会は二度と訪れないでしょう。

そこで、申し立ての前に、
義実家宛に話し合いを要求する手紙を送付しました。
今のままでは関係修復が不可能だと思うので、
お互いの妥協点を話し合ってみませんか、と。
同時に、手ぶらで話し合いに望むわけにもいかないので、
義実家近くへの再転居について調べ始めました。

ほどなく、嫁ではなく義父より返事がありました。

「娘(嫁)は何も悪くないのに
それを一方的に傷付けておいて(怒鳴ったこと)
よくそんな口が云々。
娘はまだショックで塞ぎ込んでいるいる。
娘が回復するまで反省して沙汰を待て(意訳)」

これを読んだ私は当然反省するわけは無く、
かといって腹を立てるでも無く、
とにかく強烈な気持ち悪さを感じました。
嫁と義父がとにかく気持ち悪い!
 一刻も早くこいつらとの縁を切りたい!
この手紙が私の離婚への決意を確固たるものにしたのです。




548: 782 19/01/10(木)22:35:32 ID:DF8

そこからは調停が待ち遠しくて仕方ありませんでした。
ちなみに、申し立てから初回の期日までだいたい2月でした。

そしていよいよ始まった調停。
嫁側は弁護士を連れてきました。
弁護士には当たり外れがあるとは聞いていましたが
まさかここでそれに当たるとは思いませんでした。
これについては後述します。

やはり最初は、調停員は再構築を勧めてきました。
私は真っ白なカレンダーを見せながら
「これだけ家庭を放棄する人間と婚姻関係を継続するなんて無理」
と主張しましたが、

調停員は
「世の中には様々な事情があるのだから、
家庭放棄と断言するのは早すぎる」
「相手方の言い分も聞いてあげて」
と説得してきます。

私は「分かりました」と一旦引いて、
相手の言い分を聞くことにしました。
しかし、これは別に調停員に説得されたからというわけではなく、
調停員に相手方の言い分を聞いてもらった方が早いと思ったからです。
そして予想通り、相手方と話した調停員
は「両者とも離婚の意思が固いようなので~」
と言って、再構築なんて言って来なくなりました。

そりゃ、半年で10日も家に居なかったのを認めながら
「家庭放棄なんてしていない」
「それなのに相手側(俺)が理不尽に怒るからこうなった」
なんて主張するんだから、調停員だって諦めるでしょう。




549: 782 19/01/10(木)22:36:09 ID:DF8

しかし、早々に離婚の方向に決まってからも、
成立まで半年も争いは続きました。
理由は子供との面会です。

まず親権。主張してはみたものの、
やはり父親が親権を取るのは無理とのこと。
それなら1~2月に1回の面会をという話になるのですが、
嫁側は面会させたくないと抵抗する。

「面会は子供が希望した場合だけ」
(当時2才児なので調停員が却下)
「遠くの物陰から様子を見るだけ」
(面会の意味が分かっていないと調停員が却下)
「理不尽に怒るような危険な人間と面会させるべきではない」
(あれだけ家に帰らなかったら怒って当然と調停員が却下)
「第三者の立ち合いが条件。
第三者は(私)が探して嫁側がその人で良いかどうかを判定する」
(誰を連れてきても不可とするつもりだろうと調停員が却下)
「子供の人権に配慮して、本当に面会が必要かどうかを有識者会議で~」
(と意味不明な供述を)

実はこの間、調停に出席しても
私がやることはほとんどありませんでした。
本来なら1回の調停で私側と嫁側、
それぞれ30分ずつを2回面談する流れなのに、
嫁がまともなことを言わないせいで、
嫁側と55分面談して、私とは5分程度の面談で
「話にならないので時間がかかっている」
と状況を教えてくれる程度でした。

上記のやり取りも、私に判断を求めるまでもなく、
調停員がその場で却下してくれていました。
ちなみに、有識者会議は相手方資料に本当に書いてありました。
私の子は何様になったのだろう・・・





550: 782 19/01/10(木)22:37:44 ID:DF8

最終的には、調停員が
「不調にして審判にする」
と言ったところで嫁側は抵抗をやめ、
それなりの面会条件に落ち着きました。

そりゃ、審判になったら
私が早々に妥協していた慰謝料無しとか、
嫁の収入を財産分与対象にしないとかいう話が覆りますから。

私が一刻も早く離婚したかったばっかりに、
金銭面ではこちらがかなり負けました。

そう、この気持ち悪い嫁側と早く縁を切りたかったので、
金銭面でも面会でもかなり妥協して
相手の意向に合わせにいったのです。
誤算は、相手方に付いた弁護士がポンコツだったことです。
ハズレ弁護士って、相手方に付いても迷惑な存在なんですね・・・。

この弁護士は、私が持っていた
「弁護士という資格を持っている人は信用できる」
という幻想をぶっこわしてくれました。

「前にもお願いしたと思いますが」
(基本的に言い忘れていたことを、
これでフォローできると思っていた様子)
「次回までに私が資料を用意します」
(用意しない上に、私に対して用意してと言ってくる)
「運送会社を手配したので嫁さんの荷物を引き渡してください。
リスト?立ち合い?不要です」
(当然、不足や不用品が山ほど出る。後始末を私に要求)
「(財産分与完了後)調停調書にはありませんが、
最終月の婚姻費用は支払ってください」
(財産分与で請求するところを入れ忘れたから、私に補填を要求)

ミスが多い上に、そのミスを争い相手(私)に
挽回させようとするのだから意味が分かりません。
私側、嫁側共にそれなりに被害を被り、
懲戒請求してやろうかと思ったほどでした。

調停員も最初は
「相手方に弁護士が付いているのは良いこと。
ちゃんと落としどころを考えてくれるから」
と言っていたのに、
終わりの頃には「あれはねえ・・・」
と言葉を濁す始末でした。

なにしろ、嫁側の話にならない主張の数々は、
いちおうこの弁護士を通して出てきていたわけで、
「弁護士は何故、あれを止めなかったのか」
「いや、弁護士が確認してマシになったのがあれだったのかもしれない」
と調停員と言い合ったものです。

最終月の婚姻費用の請求を念のために家裁に確認した際には
「それを言っているのは本当に弁護士なの?」
と言われるほどでした。
(財産分与に諸々を含めることで、
以降はお互い請求無しで合意している)




551: 782 19/01/10(木)22:38:04 ID:DF8

このように色々ありましたが、
なんとか離婚は成立しました。

離婚後は面会以外ではお互いに接触も無く平和な日々を・・・
と言いたいところですが、
面会支援団体の施設で義父がいちゃもん付けまくって
施設に迷惑かけたりとか、その面会も一年も待たずに中断。

再度調停を申し立てるも嫁側が完全無視して不調。
(義父からは、無用な争いを起こしたことに対して民事訴訟を検討すると)
審判で私有利の内容が確定すると、
ようやくまずいと思ったのか異議申し立てをしてきて、
舞台は高裁に・・・と、もう一波乱ありました。

それも乗り越えた今では今度こそ平和な日々を過ごしています。
良縁に恵まれて再婚もできました。
(今)嫁がちゃんと家にいてくれるのは本当に幸せです。
あの時、離婚に踏み出して本当に良かったです。

最後に、踏み出す術を教えてくれた先人の皆様とスレの皆様、
ありがとうございました。



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