【デレマスss】木村夏樹「ファースト・パッセンジャー」
6: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2021/09/15(水) 22:26:45.34 ID:TCAbkAPj0
それからというもの、楽器や練習本を買いに楽器店に連れて行ってくれたり、毎日の練習で初心者の俺たちを教えてくれたり、おすすめのロックバンドを教えてもらったりと、さんざんお世話になった。もちろん元々所属していたバンドの活動もしっかりと行っていて、路上ライブをするときは手伝いがてらよく見に行かせてもらった。
木村先輩は見た目はチャラついていて少し怖いが、優しくて面倒見のいい人だった。
7: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2021/09/15(水) 22:27:16.79 ID:TCAbkAPj0
――その先輩とは今でも連絡を取っているのでしょうか?
いや、先輩は僕が入部した年に退部しちゃって、その後はめっきり話さなくなっちゃいました。同じ学校には通ってるので話そうと思えばいくらでも話せたんですけど、なかなかタイミングが合わず……。LINEのアカウントも変わってしまったみたいでもう連絡先も知らないですし、どこで何してるかも分からないです。この記事をどこかで見つけて、連絡してくれたら嬉しいですね。
――高校時代に一番印象に残っている出来事は何ですか?
やっぱり初めてエントリーしたオーディションは印象に残ってますね。というのも……
25: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2021/09/15(水) 22:40:52.12 ID:TCAbkAPj0
木村先輩が退部したのは、確か10月頃だったと思う。
軽音楽部の活動は、思っている以上にハードだった。俺みたいな初心者は別として、他の部員には本気でプロになりたいと考えている人が殆どだったから、様々なオーディションに参加することが当たり前だった。
特に9月末にテレビ特番で生放送されるスター発掘番組の予選オーディションは、軽音楽部のすべてのバンドがエントリーすることになっている特大イベントだった。もちろんすべてのオーディションを勝ち進んでテレビに出るなんてことは滅多にないけど、番組自体の人気や注目度が高いこともあってこのオーディションを最後に引退する3年生の熱気はすさまじかった。
俺たちのバンドは、一次オーディション通過を目標にした。木村先輩はともかく、素人上がりの1年生には相当高い目標であることは分かっていたので、毎日居残り練習をした。木村先輩は本命でもある元々入っていたバンドでもエントリーしているから毎日とはいかなかったが、空き時間にちょくちょく様子を見に来てくれた。おかげで、上手く行けば一次通過も狙えるくらいには上達できたと思う。
9: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2021/09/15(水) 22:28:25.27 ID:TCAbkAPj0
そして、一次オーディションの当日になった。
「おい、大丈夫かよ? 顔真っ青だぞ?」
お決まりのリーゼントをバッチリ決めた木村先輩は、平気な顔でよくある棒付きキャンディーを舐めている。多分お気に入りのコーラ味だ。
「いや、だって人前で演奏するのなんて初めてですし、緊張しない方が無理っていうか……」
「そりゃそうだけどさ、せっかくアタシたちの音楽を聴いてくれる人がいるんだから、楽しまなきゃ損だぜ!」
確かにそうだ。木村先輩のバンドの路上ライブで手伝いをしたとき、演奏に耳を傾けてくれる人もたくさんいたけど、迷惑そうな顔をしながら通りすぎる人の方が圧倒的に多かった。あれに比べれば今回のオーディションなんか余裕だ。少なくとも聴く気がある人しかいないんだから。
そう思った。思ってしまった。
係の人に呼ばれてオーディション会場に入る。俺たちの演奏が始まると、審査員の目が変わった。品定めなんて上品なもんじゃない。俺たちの粗を探すように視線を突きさしてくる。僕は、そのプレッシャーに頭が真っ白になってしまった。
そこから先は何も覚えていない。ただ、「落ちた」という感覚だけは確かだった。
10: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2021/09/15(水) 22:28:57.61 ID:TCAbkAPj0
その日のオーディション終わり、学校に戻って楽器の片付けをしていると木村先輩から駐輪場に呼び出された。そんなことをする人ではないとは思いつつ、でも殴られるかもしれないと思った。
「あの! 木村先輩すいません! あんなに練習見てもらったのに俺、頭真っ白になっちゃって……」
「いいっていいって。そんなことより、ほら、これ」
「これは……ヘルメット?」
「そう。それ貸すから後ろ乗れよ。良いとこ連れてってやる」
よく見ると、木村先輩は青いバイクに寄りかかっていた。そういえばバイク通学だといつか言っていた気がする。恐らくこれで通学しているのだろう。
「早くしないと日が暮れちまうぜ?」
どこに連れていかれるかも分からないまま、半ば無理やりにバイクに跨らされた。
「よし、じゃあしっかり掴まってろよ!」
促されて俺は木村先輩の腰あたりにしがみついた。後ろ髪が少し顔に当たった。ちょっと、いや、かなりいい匂いだった。多少の下心は認める。あくまで多少、だ。
11: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2021/09/15(水) 22:29:31.65 ID:TCAbkAPj0
どれくらい走っただろうか、いつの間にか夕焼けの時間になり、東京湾が一望できる自然公園に着いた。
「いい景色だろ。アタシのとっておきの場所なんだ」
「……はい」
確かにいい景色だ。東京湾が夕焼けに反射して、オレンジ色の世界が一面に広がる。ところどころで聞こえるウミネコの鳴き声も、何とも言えない「それっぽさ」を醸し出していた。
「……あんまし気にすんなよ? 音楽やってりゃあれくらいのことは誰にだってあるさ」
「でも、せっかく木村先輩にたくさん教えてもらったのに、何もできなくて……。先輩の時間を無駄にしてしまったんじゃないかって」
「無駄になんかなってないさ。アタシは好きでアンタらに教えてんだ。ほら、人に教えることで見えてくるものもある、とかいうだろ? それにこっちだってそんなすぐに上手くなるなんて思ってないしな。だから……一回失敗したくらいで辞められるとこっちが困る」
「……辞める? 俺が?」
「去年いたんだ。オーディションでデカいミスして、そのまま退部したやつ。アンタにはそうなって欲しくないんだ。せっかく才能あるんだしな」
「え、あるんですか? 才能」
「おいおい、自覚なかったのかよ。練習してるときに思ったけど、他の奴らと合わせてても自分の音がよく聞こえてるだろ? そうすれば自分の音に向き合いやすいし、音感だってつきやすい。良い耳ってのは地味だけどプロになるには絶対必要な才能だよ」
ボロッボロの演奏をした後に急に褒められたものだから戸惑ってしまった。というか、そもそも辞める前提で話をされても困る。
「だから辞めてほしくなくてここに連れてきたんだけど、さっきの反応からするに辞めるつもりはないんだよな?」
「もちろんです。俺は木村先輩みたいになりたくて軽音楽部に入ったんです。少なくとも木村先輩を抜かすまでは辞めません」
「ははっ、アンタ、卒業してもこの部活来るつもりか?」
「そ、それまでには抜かしますから!」
「なんだよ、全然元気じゃないか。連れてきて損したぜ……」
確かに辞めるつもりはなかったけど、落ち込んでいたことは事実なのだから「損した」とまでは言わなくてもいいじゃないかと不満に思いつつ、一方で木村先輩と話している内に元気になっている自分に気が付いた。
12: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2021/09/15(水) 22:30:07.94 ID:TCAbkAPj0
落選したバンドは、その後の数週間、勝ち進んだ先輩たちの手伝いをすることになる。学校外で場所を借りて練習をするときの楽器運搬などが主な仕事だ。そんなこんなで忙しく過ごした時間もつかの間、9月の中頃に最終オーディションの結果が出た。
最終オーディションに残っていた3年生のバンドは、残念ながら落選してしまった。しかし唯一、木村先輩がいる2年生のバンドが見事オーディションを通過し、月末の生放送に出演することが決定した。
仲間の演奏が日本全国に生放送される。しかも音楽プロデューサーの目に止まればプロとしてデビューができる。この事実に部員全員が色めき立ち、大騒ぎになった。後から聞くと、あまりの騒がしさに書道部から文句が来ていたらしい。そんなの知るか。
この記事を評価して戻る