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【ぼざろSS】ふやけたページ (13)(完)


1:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/02/21(火) 20:20:12.87:G7tB3fi30 (1/13)

後藤ひとりは夢を見た。

 いつだかに訪れた、どこかのカフェの夢。
 カウンターの席に、リョウ先輩と並んで座っている私。
 リョウ先輩は、私が歌詞をしたためたノートを読んでいる。
 その横顔はとても綺麗で、なんだか少しだけ嬉しそうで、満足そうでもあって。
 「やっぱりぼっちはすごい」って思ってくれているのが、目の輝きだけで伝わってくるようで。
 こてんと私の方に倒れて体重を預けてくる先輩の重みを右肩あたりに感じながら、私は優雅にカップをかたむけるのだ。

 ――そんな光景が浮かんだとき、はっと目が覚めた。

「……」

 窓からは陽の光が差し込み、外では小鳥が鳴いている。
 そう、すべては夢だった。
 だが、夢じゃないことがひとつある。
 ひとりは布団の上でもぞもぞと身体をひねり、そばに置いてあったノートを手に取った。
 一番新しいページを開き、満足気に高くかかげる。

(やっぱり……夢じゃない……)

 きらきらと宝石のように輝いて見える、一曲の歌詞。
 何日も何日も書いては消してを繰り返し、やっとの思いで書き上げた歌詞。
 感情を高めて高めて、ありったけの思いを詰め込むようにして作り上げた、渾身の歌詞。

 ひとりは昨晩、ついに傑作を書き上げた。

 大切そうにノートを胸に抱え、目を閉じてゆっくりと深呼吸する。
 こんなに素晴らしいものが私に作れたんだと誇らしくなり、自分の中に少しだけ自信が芽生え、まるで世界の全てが晴れやかに輝いて見えるようだった。
 
(喜んで……くれるかな)

 まだかすかに目蓋の裏に残っている、夢の中の光景を思い起こす。
 ふと時計の時刻を見ると、もう9時を回りそうだった。

「い、いけないっ」

 ひとりはわたわたと布団から置き、外出の準備を始めた。
 先ほどまで布団の中で見ていたあたたかな夢を、現実にするために。

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2:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/02/21(火) 20:25:00.81:G7tB3fi30 (2/13)



(ま、またこんなお店……)

 下北沢の主要な通りからはやや離れた地区にある、とあるカフェの前。
 隠れ家的と言えば聞こえはいいが、入り口から妙に威圧感があって、STARRYとはまた違った入りにくさを感じさせる半地下の店内へと繋がるドアに手をかけ、ひとりは静かに勇気を振り絞っていた。
 指定されたのは確かにこの店。
 口コミサイトで何度も外観を確認したし、ここで間違いはないはず。
 及び腰になりながらガチャリとドアを押して中に入り、数少ない自慢である視力の良さを活かして、店内を素早く見渡す。
 レンガの内装に囲まれた一番奥の角の席。やや気だるげにスマホに目を落とす横顔を見つけ、ひとりはそそくさと近づいた。

「りょ、リョウ先輩っ」
「……ぼっち。おはよ」
(よかった、このお店で合ってた……)
「荷物、そこ置けるようになってるから」
「あ、はい」

 新曲の歌詞を確認してもらいたいとロインでリョウにメッセージを送ると、店のURLと日時だけが返ってくる。
 その日時にその店に行けば、リョウが先に待っていて、歌詞を見てくれる。
 まだ片手で数えられる程度しか交わしていないが、そんなやりとりがここ最近、ひとりとリョウの間で定着しつつあった。
 リョウが指定してくる店はどれも、ひとりが単独で入るには敷居が高いと感じるようなお洒落な場所ばかり。
 「一人好き」であるリョウと自分との違いを痛感してしまうが、それでもリョウの姿を見つけると安心できる。ひとりは今日も歌詞を書いたノートを抱え、「リョウに会う」というファーストミッションが達成できたことをささやかに喜びながら、リョウの向かいの席に座った。

 小さなメニュースタンドを無言でリョウに手渡され、ひとまず注文を決める。「これにしようかな……」と小さく指を刺すと、リョウは無言で手を挙げて店員を呼び、ひとりが選んだメニューを注文した。

「す、すみません……いつもありがとうございます」
「……歌詞、みせて」
「は、はいっ」

 ひとりはいそいそとノートを取り出し、新曲の歌詞を書いたページを開いてからリョウにおずおずと差し出す。
 リョウは「拝読いたす」と言って受け取り、上から順にゆっくりと眺めていった。

「……」
「……」

 落ち着いた店内BGM、厨房から響いてくる食器の音、数名ほどいる他の客同士の話し声。
 ひとりはそれを聴きながら、背中を丸めてひたすらうつむいていた。リョウは人差し指でノートの文字をつっとなぞりながら、静かに一文字一文字読み込んでいる。

 新曲の歌詞作成という大役を任されるのは嬉しいが、ひとりはこの時間が少々苦手だった。
 自分が考えた文章を読んでもらうというのは、自分をさらけだす行為だ。それも、自分が普段対外的には見せていない、「真の自分」とでもいうべき側面。
 今回の新曲を通して訴えたいこと、表現したいことを思い浮かべ、何日もかけて言葉を選び、悩みに悩んで作り上げた、魂のこもった歌詞。聴く人に届く時には郁代の歌声に乗るため格好もつくが、作曲前のこのリョウに見せる段階では取り繕いようがない。ただの純粋なポエムだ。
 まだ頼んだ飲み物も来ていないため、手のやり場も目のやり場もない。ひとりはぎゅっと目をつむってぷるぷると時間が過ぎるのを待つしかなかった。
 
「……」

 しばらくすると、ノートに手をかけ、リョウがぺらぺらとページを戻した。「そそそ、そっちは下書きというか、失敗作ですよっ」と慌てて弁解すると、「変遷が見たいから」と短く言われ、またもや何もできない時間が訪れる。
 こんなやりとりを通して、結束バンドのオリジナル曲はすでに数曲この世に生まれたが、ひとりはまだこの行為に慣れない。
 リョウはひとりの書く歌詞を気に入ってくれているようだが、曲が出来上がるまではいつも厳しめの目で真剣にチェックしてくれている。
 それはとてもありがたいことだった。しかし他人とのコミュニケーションが絶望的に苦手なひとりにとって、この至近距離で心の内を見つめられるような気恥ずかしさは、きっといつまで経っても慣れる日など来ないのだろう。

(……でも)

 今回だけは、ちょっと違う。
 なんてったって自信作だし、しかも今回は、いつもよりちょっと “特別” なのだ。
 拳をきゅっと握り締め、小さく深呼吸して、ひとりは自分を落ち着かせた。




3:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/02/21(火) 20:26:22.64:G7tB3fi30 (3/13)

 しばらくすると、店員の足音が近づいてきて、先ほど頼んだ飲み物がコトリと運ばれた。ひとりは差し伸べられた救いの手に縋るようにそれを受け取り、口をつけるようにして小さく飲んだ。
 これは「何もできない時間」を、飲み物を飲むという「何かしている時間」に変えてくれる、今日という日の生命線。だからうかつに飲み干してはいけない。
 ほっと安堵したような気持ちでカップの中の飲み物をくるくる回していると、リョウがノートではなくこちらを見つめていることに気づいた。
 途端に小さく飛び上がって目を背け、「なっ、なんでしょう」と背筋を立てるひとり。
 リョウはもう一度ノートに目を落としながら、ぽつりと呟いた。


「……なんか、雰囲気変わった」


 その瞬間、冷たいものが胸に突き刺さったような気がした。

(え……)

 表情こそはっきりと変わったわけではないが、リョウの声色は明らかに、ひとりの歌詞に違和感を覚えているようだった。

「こんなのだったっけ、ぼっちって……」
(うそ……)

 視線をノートに向けたまま、頬杖をついてリョウがそう呟く。
 声のボリュームこそ小さかったものの、ひとりの耳にもはっきりとその言葉は届いた。
 とたんに胸がばくばくと脈打つ。
 おなかの奥がきゅっと縮こまるような嫌な緊張が、二人の間に立ち込めていた。

「ぼっちは、今回のこれで満足してる?」
「あっはい、ええと……一生懸命考えたんですけど……」
「……」
「……あ、あはは……だめ、ですかね……」

 口元がひくついてしまい、かけらほどの愛想笑いもできない。
 ひとりはまた背中を丸めてうつむき、カップの波紋に目を落とした。
 だめだった。
 だめだったんだ。
 その事実が、沈黙と共に後頭部に重くのしかかっていくようだった。





4:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/02/21(火) 20:29:57.84:G7tB3fi30 (4/13)

 ――今回の歌詞は、リョウのことを意識しながら書いたものだった。
 それが、いつもと違う、今回のものが “特別” な理由。
 
 ひとりがリョウに感じる雰囲気や、リョウが好きそうな言葉。そういったものを追い求めて、濃度を上げたり洗練させてみたりと試行錯誤を重ね、何日もかけてやっとのこと書き上げた一曲。
 本当は一発でリョウに合格をもらう自信があったし、歌詞を見てもらう今日という日が楽しみだった。それだけにショックは大きい。
 数分前まで感じていた自信や期待は、すべて大きな反動となって、ひとりのか細い身体を苛んでいた。

「……っ……」

 だめだ。こんなことじゃだめだ。
 この歌詞は自分のためだけに書いたものじゃない。この歌詞は結束バンドの新たな曲になるのだ。ショックを受けている場合じゃない。
 悪いところがあるなら素直に受け入れて、改善しなければいけない。そうでなければ、結束バンドは前に進めない。
 口をきゅっと結び、歯をくいしばって、ひとりはリョウの方を向き直した。

「リョウ先輩は……やっぱりこういうの嫌いでしたか……?」

 リョウと一瞬だけ目が合う。
 今だけはどんなことを言われても構わない。強くそう覚悟したひとりだったが、返ってきた言葉は意外なものだった。

「……いや、むしろ私はこういうの好きなほうだと思う」
「ほ、ほんとですか……!」
「でも、それが気に入らない」
「っ!」

 ……まるで綺麗なフェイントを決められたようだった。
 一瞬の期待があってから、ツンと突き放すように言われ、ひとりの心は決壊したかのようにみるみる萎れていった。
 好きなのに気に入らないとは、どういうことなのだろう。ひとりは途端にリョウのことがわからなくなってしまった。

「ぼっち、かっこつけてる」
「えっ……すすす、すみません……!」
「違う。かっこつけるのは別にいい」
「……?」
「聴いてくれる人に向けてかっこつけるのは、別にいい。それは表現のひとつだし、大切なこと」

「でもこの歌詞は、聴いてくれる人じゃなくて、私に対してかっこつけてる」
「!」

 諭すような言い方でリョウに核心を突かれ、心の中にひやりと風が吹いた気がした。
 ひとりはやっと、自分の「間違い」に気付いた。

「……今日こうやって私に見せるために、私が気に入るような表現とか、言葉遣いにしてるような気がする」
「そ……そうかもしれません……」
「そういうの、私は嬉しくない。私のためにそんなことしなくていい」
「……」

 そうかもしれないではなく、そうだった。
 “裏目に出る” とは、まさにこんな状態のことを言うのだろう。

「……私に対してかっこつけて、聴く人に届く “何か” が薄まるんだとしたら、そんなの意味ない。魅力を殺してるのと同じ」

 カップを包む両手が小さく震える。
 リョウの目を見ることができない。
 大事な点を見失っていたことに気づかされ、ひとりは小さく唇をかんだ。

 結束バンドに入って初めて歌詞を書き、リョウに見せた日のことが頭をよぎる。
 薄っぺらいとは思いながらも書いてみた応援ソング。リョウはそれを読み、自分が以前組んでいたというバンドの話をしてくれた。
 青くさいけどまっすぐな歌詞。それが好きだったのに、売れるために必死になって変わってしまったこと。
 それが嫌になってバンドを脱退し、バンドそのものが嫌になってしまった時期もあったこと。
 「ぼっちがいい」と思って任せているんだから、自分の好きなように書いてほしいと、そう言われたはずなのに。

「す……すみませんでした……」
「……ごめん、私もちょっと言い過ぎた」
「いえ……でも、すみません……」

 ひとりは申し訳なさでいっぱいで、顔を上げることができない。
 リョウが何よりもメンバーの個性を大事にしていることを、わかっていたはずだったのに。リョウのそんな部分を信じているからこそ、いつも最初に見てもらっているのに。ひとりは根本的な部分を忘れてしまっていた。
 リョウは決して怒っているわけではない。それは確かだった。むしろ目の前で露骨に落ち込んでいるひとりを見て、言い過ぎてしまったと反省してくれている。それだけにひとりは自分が許せなくなる。
 リョウに褒めてもらおうとして、リョウが一番望まないことをしてしまった。
 わざわざ休日に時間を作ってもらっているのに、自分は一体何をしているのだろう。ひとりは無性に泣きたくなった。

「たぶん……方向性は、悪くないと思うから」
「……」
「ぼっちが心から納得のいくように、もう一度直して、また今度見せて。飾り気のないぼっちの歌詞」
「……はい」

 ……終わってしまった。
 今日という日のメインイベントが、もう終わってしまった。
 リョウにすっと差し返されたノートを受け取るも、それをバッグに戻す気力もなく、ひとりは固まってしまう。
 悲しいのか、恥ずかしいのか、情けないのか、自分でも自分の気持ちがわからない。ただうつむいて前髪で顔を隠すことしかできない。




5:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/02/21(火) 20:31:13.13:G7tB3fi30 (5/13)

「……」
「……」

 気まずい空気が、二人の間に漂い続ける。
 ひとりはまだ動くことができない。ノートの表紙に視線を落として、ただ黙りこくってしまっている。
 こんなことをしている場合ではない。黙っていても何も解決しない。何より、目の前にいるリョウがきっと困っている。
 自分が今やるべきことは、金縛りにあったようにじっとしていることではない。今すぐにでも家に帰って、リョウに言われたとおりに歌詞を作り直すことだ。いや、家に帰る必要すらない。この場でペンを取り出して書けばいい。自分の書いてきた歌詞が原因でこんな空気になってしまっているんだから、それを直す以外に解決する術はない。
 リョウに付き合ってもらう必要すらない。歌詞は次のバイトかスタ練のときにでも見せればいい。リョウの貴重な休日を、こんな気まずい沈黙で奪っている場合ではない。
 そう心ではわかっているのに、手にも足にも力が入らなくて動かない。どく、どくと自分の鼓動を感じるたびに、焦燥感が募っていく。

 そのとき、厨房の方でぱりんとグラスが割れる音がした。
 続いて、「失礼しましたー」という女性店員の声が聞こえてくる。
 ひとりはそのおかげで、反射的に顔をあげることができた。
 そして気づく。リョウがさっきからずっと、自分の方を見つめ続けていたことに。

「えっ、あっ……りょ、リョウ先輩……?」
「……」
「あっあの……」

 リョウはこちらを見ているが、ひとりは目を合わせることができない。
 心配そうな目で見られてしまっているのがいたたまれなくて、身を乗り出すようにして必死に声を出した。

「すっ、すみません、私……今すぐに書き直しますっ!」
「え……今?」
「は、はい……えと、だからその……たぶん時間がかかってしまうと思うので……」
「……」
「リョウ先輩はもう……帰っていただいて、だいじょぶ……です……」

 なんとかその言葉をしぼりだすことはできたが、最後の方はほとんど声がかすれてしまっていた。
 言っていて、どんどん悲しく、むなしくなってきてしまった。
 自分から呼び出しておいて、こんなことを言ってしまうのは本当に申し訳ないけれど。
 こんな私なんかのために、時間を使ってくれなくて大丈夫です。
 先輩の期待を裏切るような私なんかに気を遣って、一緒にいてくれなくても大丈夫です。

 ひとりは震える手でバッグの中からペンケースを取り出し、おそるおそるペンを手にとる。
 ノートを開き、「失敗作」のページから目を背けるようにして、おぼつかない手で次の新しいページを開き、ペン先を向ける。
 そのとき、ぱたっと、ノートに一滴の雫がこぼれた。

(え……?)

 ノートに落ちたのが自分の涙であることに気付くまで、数秒ほど要した。
 いつの間にか、ひとりは泣いていた。
 落ちた雫が紙を濡らし、裏に書かれていた文字のインクを浮かび上がらせている。あわてて手でその雫を払うと、水滴の跡が伸びて、余計に紙が濡れてしまった。

 「……ぼっち」
 「……」

 リョウが、ペンを持つひとりの手に自分の手を重ねる。
 ひとりが顔を上げると、リョウはなんとも言えない目でこちらを見ていた。
 そんな状態で良いものが書けるわけがない。今日はもう終わりにしようと、そんなことを言いたげに感じて、ひとりはまた涙が溢れそうになった。
 本当に、何をしているんだろう。
 自分がリョウにいいところを見せようとして、格好つけて、こんなことになっているのに。

「……すみません……先輩」
「……いいよ」

 リョウの手は、温かかった。
 その声色も、優しかった。
 それがまた、ひとりの目にじわじわと雫を溜めていく。
 もっと、突き放してくれていいのに。
 こんな無駄な時間には付き合っていられないと、帰ってくれていいのに。
 ぽた、ぽたりと、ノートに雫が追加されていく。




6:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/02/21(火) 20:31:52.83:G7tB3fi30 (6/13)

「……出よう」
「え……」
「とりあえず、この店出よ。それ飲んじゃって」

 リョウはおもむろにすくっと席を立ち、壁にかけていたコートを手に取った。
 ひとりは言われるがままにカップの飲み物を手に取り、口をつける。
 いつの間にかぬるくなってしまっていた飲み物は、涙で失った水分を取り戻すかのように、すんなりとひとりの身体に染みわたっていった。
 ほのかな甘い香りが、荒んだ心を少しだけ落ち着かせる。ふと振り返ると、リョウはレジの方に行き、先に会計を済ませているようだった。その後ろ姿を見ながら、ひとりはくっくっと飲み物を一気に飲んでしまう。

「飲めた?」
「あっ、はい」
「行こ」
「あっ、私のぶんのお会計がまだ……」
「今払った」
「……えっ」

 リョウはひとりの手をとって、ゆっくりと店を出た。
 奢ってくれるなんて珍しい。リョウと一緒に店にいくときは自分が奢ることが多いから、いつも少し多めに持ち歩いているのに。
 ありがとうございました、という店員の声を背に店を出る。とても雰囲気のいい店だとは思ったが、悲惨な思い出ができてしまったし、もう二度と来ることはないかもしれない。

 外に出て、半地下の場所から地上へと出ると、空模様はどんよりと曇っていた。
 おまけに風が強くて寒い。リョウのコートがぱたぱたとはためいている。
 これからどうしよう。言われるがままに店を出たひとりだったが、この先のプランはまったく考えていなかった。
 やはり今日のところは解散し、大人しく家に帰って一旦落ち着いてから歌詞を書き直すべきだろう。
 先ほどまでは身体が動いてくれなかったが、今ならすんなりと駅の方に戻れる気がする。
 これ以上リョウの時間を奪うのは申し訳ない。そう思って、ひとりは繋がれたままの手をゆっくりほどいた。

「あの……ありがとうございました」
「……」
「それと……本当にごめんなさい。帰ったらすぐに、か、書き直します……」
「……ぼっち」

 リョウは最後に何か言いたげにしていたが、これ以上余計な気を遣わせたくなくて、ひとりは逃げるようにその場をふらふらと立ち去った。
 ここ最近の寝不足が一気に押し寄せてきたかのような疲労感に包まれ、足がもつれそうになる。足取りはおぼつかなかったが、今は一刻も早くこの町を出たくて、ひとりは無心で駅を目指した。

 中途半端な時間の、いつもより人が少ない駅のホームで電車を待っているとき、スマホが小さく震えた。
 リョウからのロインが届いたようで、「今日はごめん」という短文が通知画面に浮かんでいた。
 謝らなきゃいけないのはこっちなのに。なんて返せばいいかわからない。画面に目を落としたまま固まっていると、またスマホが通知を受け取った。

[また明日]

 やっと止まってくれたと思っていた涙が、また目尻にこみあげてきて、つうと頬を伝った。
 ホームに吹き込む風が涙の跡にあたって、より冷たさを感じさせる。
 ひとりは静かに涙を落としながら、心の中でリョウに謝り続けた。




7:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2023/02/21(火) 20:34:29.29:G7tB3fi30 (7/13)



「……っと……ねぇ……」
「……」
「ちょっと! リョウってば!」
「……え?」
「はぁ、だめだこりゃ」
「今日のところは解散ですかね~……」

 虹夏に肩を揺さぶられるまで、声をかけられていることに気付かなかった。
 いつもどおりの時間、いつもどおりの場所で始まった、結束バンドのスタジオ練習。まだ始まったばかりだったが、今日は早くもお開きになってしまいそうだ。
 原因は、リョウの演奏に身が入っていないこと……というか、上の空すぎてコミュニケーションすらまともにとれないこと。
 そして、ひとりが来ていないこと。

「ねえ、ぼっちちゃんと何かあったの?」
「……別に」
「ほんとに何もなかった人はそんな意味ありげに『別に』なんて言わないから!」
「ま、まあ伊地知先輩落ち着いて……!」
「リョウに聞いてもだめだ~……喜多ちゃんは何か聞いたりしてない?」
「私も何があったか全然知らなくて……ひとりちゃんが学校休んでたのに気づいたのも登校してしばらくしてからでしたし、メッセージ送っても既読すらつかなくて……」
「私も同じだよ~……試しに電話もかけてみたんだけど、電源切ってるみたいでさ」
「ちょっと心配ですね……」

 「また明日」というメッセージを送って別れてからというものの、リョウもひとりのことが妙に頭から離れなかった。
 歌詞のチェック作業自体は今までも何回かこなしてきたはずなのに、昨日のひとりは明らかに今までと様子が違った。
 違うのは様子だけではない。何よりも書いてきた歌詞の雰囲気が突然変わったのだ。
 虹夏や郁代だったらここまでの違和感を覚えていないかもしれない。数々の失敗作も含めて、今まで何度もひとりの考えてきた歌詞を読んできたリョウだからこそ感じてしまうものなのかもしれない。

 ひとりが今回作ってきた歌詞は、自分でもびっくりするくらい、心に刺さるものだった。
 時に激しくて、時に優しくて、痛いほどに透き通っていて、どうしようもなく綺麗で。
 言葉選びも表現も、声に出して嚙み締めたくなるくらい印象的で。
 こんな歌詞が本当に、目の前のひとりの頭の中から出てきたのかと疑ってしまうくらい。こんな歌詞を思いつけるなんて羨ましいと、ついついそう思ってしまうくらい。
 だがそんな感動と同時に、「ひとりらしさ」が消えてしまっているのではないかと、もう一人の自分が心の奥で警鐘を鳴らしていた。
 カップの飲み物をくるくると回しながら、どこか満足そうに微笑む目の前のひとりを見て、嫌な予感がしてしまった。
 ひとりは、「私のため」にこの歌詞を書いてしまったのではないかと。
 「自分らしさ」よりも「私のため」を優先し、目の下にクマを作りながら、片道2時間もかけてここまで来たのではないかと。
 もしそうだとしたら、「それは違う」と言わなければいけない気がした。
 毎度毎度、私に歌詞を見せるためだけに来てくれる以上、言ってあげることが自分の責務なのではないかと、そう思った。
 ……けれど。

(ぼっち……どうして……)

 あんなに落ち込ませる気はなかった。まさか泣くとは思わなかった。
 リョウはひとりの「強さ」を知っている。失敗にへこむことはあっても、いつか必ず立ち直ることを知っている。結束バンドのメンバーにさえ見えないところで時間をかけて努力して、最後には必ずいいものを作ってきてくれることを知っている。
 だから、自分が思うことを素直に話しても、「ぼっちなら大丈夫だろう」と思った。
 しかし、ノートにぱたたと涙の粒が落ちたのを見たとき、それは間違っていたのかもしれないと気づかされた。
 それからは自分も動揺してしまって、上手くフォローしてあげることもできなかった。
 ひとりをこのまま家に帰してはいけないのではないかと懸念したが、気分転換できるような場所も思いつかず、そのままするりと手を放してしまった。
 歌詞にダメ出ししたくせに、気の利いた言葉のひとつも思い浮かばなくて、「また明日」としか送れなかった自分に嫌気が差した。
 
 その後は家に戻ってひとりが書いてきた歌詞を思い出しながら試しに作曲してみたが、ひとりの泣き顔が目に焼き付いてしまって離れなくて、ピンとくるものはワンフレーズもできず。
 結局昨日は何をやってもうまくいかなくて、自己嫌悪しながらふて寝して、気づいたら朝になっていた。

 もしかしたら、今後の関係性にヒビが入るくらいのことだったんじゃないかという不安と、「ぼっちは強いから、きっと大丈夫」という身勝手な信頼感の狭間で揺れ動きながら、学校での時間を過ごし。
 そうして放課後スタジオに来た時、郁代からひとりが学校に来なかったことを聞かされ、リョウは激しく動揺した。




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