【証言】オウム真理教にいたけど質問ある?→「信仰」と「犯罪」のリアル語るスレ
306: 2chソース 2025/04/08(火) 23:46:01.13 ID:l2bDwS+r0
>>304
あなたのおかげでめちゃめちゃ楽しかった
またいつかこういうスレに参加したいからどうかお元気で
307: 2chソース 2025/04/08(火) 23:46:41.51 ID:G4MkSdiX0
>>304
ありがとうございました。勉強になりました
320: 2chソース 2025/04/09(水) 00:25:49.41 ID:9nCi7bUP0
俺は真如苑昔やってたわアホらしくなってやめた
329: 2chソース 2025/04/09(水) 01:21:34.76 ID:3zhHNs4U0
久々の神スレ
meta description:地下鉄サリン事件を起こしたカルト集団「オウム真理教」は、どこから狂気へと転落したのか。信仰と犯罪が交錯した全事件史を、わかりやすく振り返る。
オウム真理教とは何だったのか──事件と狂気の全履歴
オウム真理教──それは“宗教”という仮面をかぶった、戦後日本最大級のテロ組織だった。
信仰を掲げ、理想を語り、若者を引きつけた教団は、やがて狂信へと堕ちていく。
地下鉄サリン事件を含む凶悪犯罪の数々は、今も日本社会に深い爪痕を残している。
本稿では、オウム真理教がどこで道を踏み外し、どんな事件を起こしてきたのか──その全容を追う。
(^^) 創設と拡大(1984年〜)
オウム真理教は、1984年に麻原彰晃(本名:松本智津夫)が設立した「オウム神仙の会」が始まり。
はじめはヨガや健康法を売りにしていたが、徐々に“修行で超能力が得られる”といったオカルト要素を強め、宗教法人に。
メディア露出、書籍出版、講演活動などで注目され、1990年代初頭には1万人以上の信者を抱える一大宗教団体となった。
特に高学歴層(東大・京大・医大など)の入信が目立ち、社会問題にもなった。
(^^) 思想の急進化と“武装化”
教団の教義は「カルマ(業)を断ち切るために修行する」というもので、表向きはスピリチュアル。
しかし内部では、次第に終末思想と「ポア思想(=殺して魂を救う)」が主流となる。
教団は独自の施設“サティアン”を建て、科学者や医師の信者を使って毒ガス・兵器の開発を進めていた。
警察やマスコミを「敵」と位置付け、国家転覆を視野に入れた“宗教カルトからの軍事国家化”が進行していく。
(^^) オウム真理教の主な事件史
年
事件名
概要
1989年
坂本弁護士一家殺害事件
教団に批判的だった弁護士とその妻子を、信者が計画的に殺害。オウム初の重大事件。
1994年
松本サリン事件
長野県松本市で毒ガス(サリン)を散布。死者7名・重軽傷者600人以上。初の無差別化学兵器テロ。
1995年
地下鉄サリン事件
東京の地下鉄で同時多発的にサリンを散布。13名死亡・6000人以上が負傷。日本中が震撼した。
1995年
公証人役場事務長拉致事件
都内の公証人役場で職員を拉致。口封じとされ、組織の狂気が露わに。
これらは氷山の一角で、教団内では他にも脱会者の監禁・リンチ・信者の毒殺などが行われていた。
⚖ 崩壊とその後
地下鉄サリン事件の直後、教団施設は一斉に強制捜査。麻原彰晃をはじめ、幹部信者たちが次々と逮捕された。
麻原は2004年に死刑判決を受け、2018年に刑執行。一部幹部も同時に死刑となった。
教団は「アレフ」「ひかりの輪」など複数の後継団体に分裂し、現在も信者による勧誘活動が断続的に続いている。
公安調査庁は今も監視対象とし、“第二のオウム”を生まないための警戒は続いている。
(^^) 締め:信仰と犯罪、その危うい境界線
宗教とは、人を救うものであるはずだった。
しかし、教祖の言葉が絶対化し、信仰が思考停止を生み、暴力が“正義”とされる瞬間──それはもはや宗教ではない。
オウム真理教は、社会の盲点と人間の弱さを突いた“教義という名の装置”だった。
私たちはこの事件を、「過去の異常」として忘れてはならない。
なぜなら、その“種”は今も社会のどこかに残っているかもしれないからだ。
45 :無銘ソース 2025/05/27 23:19:02
オウムってテレビで見るより内部はもっと狂ってたって話よく聞く
102 :無銘ソース 2025/05/26 10:03:11
宗教からカルトへの変化が早すぎて追いつけなかった信者も多かったらしいな
309 :無銘ソース 2025/05/22 18:58:44
高学歴が多かったのマジで謎だった 東大卒で洗脳されるの怖すぎ
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