「人間はこうじゃないといけない」「こうでないといけない」←こういう考えは捨てた方が良い
2: 名無しさん@涙目です。(神奈川県) [US] 2025/04/13(日) 10:26:13.85 ID:BE3p1bE80
「人間はこうじゃないといけない」「こうでないといけない」←こういう考えは捨てなければならない
・・・ん?
79: 名無しさん@涙目です。(庭) [IN] 2025/04/13(日) 11:21:36.28 ID:pJVqE13I0
>>2
だよなw
3: 名無しさん@涙目です。(大阪府) [ニダ] 2025/04/13(日) 10:26:42.66 ID:vimNYcsP0
人間失格
■ 1. 固定観念とは何か?
固定観念とは、「人間とはこうあるべき」「社会とはこういうものだ」という既成の価値観や常識のことです。これは家庭や学校、社会の中で刷り込まれるもので、無自覚に内面化されます。例えば、「男は強くなければならない」「他人に好かれていなければ価値がない」といった考え方もその一種です。
■ 2. 『人間失格』の主人公・葉蔵と固定観念
葉蔵は「他人から嫌われたくない」「人に受け入れられなければ自分には存在価値がない」という他者中心的な固定観念に縛られています。そのため、本当の自分を隠して「道化」という仮面をかぶり、周囲に合わせて生きていきます。
しかし、その仮面はやがて崩れ、彼は自分が「人間として失格だ」と絶望します。これは、固定観念に支配された結果、自分自身の実存(本来の自己)にたどり着けなかった悲劇といえるでしょう。
実存主義(サルトルやキルケゴール、カミュなどが代表)は、「人間は本質よりも先に存在する」と説きます。つまり、「自分はこういう人間なんだ」と決めつける前に、まずは自分がどう生きるかを自由に選ぶことができる存在だという立場です。
しかし葉蔵は、自分で選ぶという実存主義的態度を持たず、「社会にどう見られるか」「親にどう評価されるか」など、他者の視線にばかり支配され、自らの自由や責任から逃げてしまいます。
固定観念:社会的な価値観に合わせて生きなければならないという思い込み
葉蔵の悲劇:その固定観念を「本質」だと信じ込んでしまい、自分で自由に生きる可能性を見失った
実存主義との対比:実存主義は、「人は自分の選択によって本質を形作る」とするが、葉蔵は選択を他者に委ね続け、自分の生を放棄した
『人間失格』は、「他者の目に縛られた人間が、自分で自分を選ぶ勇気を持てなかった結果、実存を見失うまでの記録」である。
4: 名無しさん@涙目です。(大阪府) [AO] 2025/04/13(日) 10:27:12.07 ID:KMZlLfXU0
他人に迷惑かけなかったら好きにしたらいいけどその手の主張するやつたいてい他人に迷惑かけてるイメージ
35: 名無しさん@涙目です。(庭) [HK] 2025/04/13(日) 10:44:05.48 ID:pqZRRM0Z0
>>4
これ分かるわ
72: 名無しさん@涙目です。(山口県) [US] 2025/04/13(日) 11:06:00.16 ID:DMYID1Bk0
>>4
それな
自分がやりたい放題やりたいから言ってると思ってる