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3.11が無ければ結婚していなかった。不謹慎だと言われればそうなるだろう


1 名前:名無しさん:2014/03/12 ID:***

3.11が無ければ結婚していなかった不謹慎だと言われればそうなるだろう。
 僕は今年10月に結婚する。約2年付き合った一つ年下の彼女。僕は東京、彼女は広島。遠距離恋愛の末の結婚だ。
 2011.3.11当時、僕も彼女も同じ大学の学生だった。二人とも大学のそばにそれぞれ一人暮らしをしていた。その時は別に付き合っていたわけじゃないけれど、
共通の友達も多かったし、一緒に飲んだりすることもあった。




1 名前:名無しさん:2014/03/12 ID:***

僕らが住んでいたのは千葉。
地震の被害としては東北と比べたら大したことないとかいわれるけど、数日交通網が麻痺していたのは覚えてるし、
コンビニやスーパーから食べものが無くなって、米だけ食べてた数日間とかもあった。
計画停電というものがあった。電力消費を抑えるため、地域ごと時間を区切って意図的に停電させるものだ。
僕は当時の彼女とずっとメールをしていた。「大丈夫、怪我とかしてない?」「食べ物ある?」「寒くない?」彼女はこう返した。「暗いのが本当に怖い。電気が通ってないって怖すぎる。」
そりゃそうだろう。
まだ3月の寒い時期の夜に明かりもない、
暖房もない部屋に一人でいたら怖いのは当たり前だ。実は当時の僕の家は駅のすぐ近くだったこともあって、
計画停電の該当地域から外れていた。
 不憫に思ったのと多少の下心で、「うちは24時間停電しないから、怖いならうちに来なよ。」と伝えた。彼女は不安から解消されて大喜びで家に来た。「停電中いつでも来ていいから」そう言って鍵の隠し場所も教えた。
僕がアルバイトから帰ってきた24時頃ベッドに座ってたときもあった。結局停電期間中は彼女が着替えに行くとき以外はずっと僕の家にいた。僕は就職活動とか、バイトとかで昼間はほとんど家にいなかったけど、「20時くらいに帰る」などと同棲カップルみたいになってしまった。
計画停電も終り、彼女就職のための引越で千葉からは離れることになった。泊めてくれたお礼に彼女が乗っていたママチャリをもらった。僕はちょうど自分のロードバイクが盗まれたばかりだったので助かった。
最後の言葉は「困ったらまたいつでも頼ってやw」「もう大丈夫ですw」とお互い照れ隠ししながらだったが、彼女が就職してしばらくしてからの連絡では「あん時はホント頼りになるし、不安だった私を一所懸命励ましてくれたりしてありがとう」と言って貰えた。
 しばらくして僕から電話で告白した。返事はOKだった。
結婚も決まり、式の準備について話していたのが2014.3.11「もう3年も前なんだね、あの停電なかったら付き合ってなかったよねw」冗談交じりに彼女が言った。
本当にそうだと思う。なんの因果か3.11は僕らの結婚の必須の要素だった。世界は良く出来ている。




2 名前:名無しさん:2014/03/12 ID:***

>数日交通網が麻痺していたのは覚えてるし、コンビニやスーパーから食べものが無くなって、米だけ食べてた数日間とかもあった。

お前一体何人や?嘘つけアホが。





3 名前:名無しさん:2014/03/12 ID:***

>>2
きみは恵まれてたんだねえ。ウソとしか思えないなら本当に幸せなところに住んでたんだよ。あの間、トイレットペーパー1000円もしたしお昼ご飯食べようとしたら、コンビニでポテトしかなかった。




4 名前:名無しさん:2014/03/12 ID:***

>>3
そうか、都内ってそんなに恵まれてたのか?
千葉の田舎だと何も無かったん?




5 名前:名無しさん:2014/03/12 ID:***

>>4
当時も買い占めでスーパーから食材が消えた!とかニュースになってただろ。




6 名前:名無しさん:2014/03/12 ID:***

>>お前一体何人や?嘘つけアホが。
当時は千葉に住んでいた日本人です。電車が動かなくて(総武線)就活の面接に行けなかったりしたの覚えてますし、おにぎりとか弁当とか水が店頭から無くなってたのは事実ですよ。
家に有る米だけ食べてました。




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