三大創作日本妖怪「鬼太郎」「がしゃどくろ」あと1つは?
55: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/16(火) 06:15:33.260 ID:zukxg5lg0
創作がされた時期を三つに分けてそこから1つずつ代表的なのを選出すればいいと思う
たとえばこんな感じで
・江戸以前
・明治~昭和
・平成
56: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/16(火) 06:20:45.769 ID:gtAsHoxE0
お前ら今の子供って妖怪ウォッチの妖怪と
昔からいる妖怪の区別つけてないの知ってたか?
まあ事象を妖怪のせいにするってことなら
出自は変わらないのかもしれんが
57: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/16(火) 06:24:21.399 ID:kAEqUAtY0
>>56
「妖怪ウォッチ2」で「古典妖怪」と「イマドキ妖怪」にわけて登録されるようになったらしいよ
58: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/16(火) 06:28:36.936 ID:YDbMxVBF0
>>56
子供じゃなくたって近年の創作妖怪と民間伝承にあるような妖怪の区別なんてほとんどつかないよ
60: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/16(火) 06:39:26.464 ID:OpZY0am+0
>>56
江戸時代の妖怪ブームの時にも似たような事を言われてただろうさ
61: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/16(火) 06:45:28.506 ID:kAEqUAtY0
江戸時代だと鳥山石燕の創作妖怪が今でいう妖怪ウォッチのイマドキ妖怪にあたるわけか
正徳2年(1712年)頃に誕生。姓は佐野(さの)、諱は豊房(とよふさ)。字は詳らかでない。船月堂、零陵洞、玉樹軒、月窓と号す。
狩野派門人として狩野周信(かのう ちかのぶ。cf.)及び玉燕に付いて絵を学び、また、俳諧師・東流斎燕志に師事した。
安永5年(1776年)に著した『画図百鬼夜行』により、妖怪絵師としての地位を確かなものとすると、同年、続けて『今昔画図続百鬼』を刊行。さらに安永10年(1780年)には『今昔百鬼拾遺』を、天明4年(1784年)には『百器徒然袋』を世に出した(これら4作品は全て3部構成である)。主に鬼子母神に奉納された「大森彦七」のような額絵や、『石燕画譜』のような版本が著名であるが、錦絵や一枚絵の絵師ではなかった。しかし、フキボカシの技法を案出、俳人としても広く活動した。また、弟子も多く喜多川歌麿や恋川春町、栄松斎長喜といった絵師や黄表紙作者を育てた。
天明8年(1788年)、死去。墓所は台東区元浅草の光明寺。法名は画照院月窓石燕居士。
石燕の描く妖怪画は、恐怖心よりもむしろ微笑みや奇妙さを誘う作風が特徴。石燕の画業は後世にも多くの影響を与えており、石燕の手による妖怪をモチーフにして創作活動を行う者もいる。現代日本人の妖怪のイメージは漫画家水木しげるの画に拠るところが大きいが、その画も石燕の作品に取材したものが少なくなく、日本人の思い描く妖怪の原型は石燕の著作に端を発するといっても過言ではない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%B1%E7%9F%B3%E7%87%95
62: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/16(火) 06:49:12.899 ID:kAEqUAtY0
と言っても、「イマドキ妖怪」は都市伝説系も多々含まれているから完全に同じ見方をするというわけにはいかないけどね
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