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小学校1年の時に母が私達を置いて父を追って突然いなくなった。それから10年後、母とようやく再会したのだが...


515: 名無しさん@おーぷん 2015/04/29(水)13:17:21 ID:???

修羅場とは違うかもしれませんが。

私の父と私は血のつながりはない。
血縁上の父親は私が生まれてすぐ出ていったそうだ。
だから顔も名前も知らない。

私が2歳か3歳かの時に母が再婚して今の父と一緒に住んでいた。
そしてすぐに弟も生まれて何不自由なく
父と血が繋がっていないことを除けばごくごく平凡な家庭だった。




515: 名無しさん@おーぷん 2015/04/29(水)13:17:21 ID:???

小学校1年の時母が突然いなくなった。
学校から帰ると母がいなかった。
弟の幼稚園お迎えに行っていると思って
テレビ見ながら待ってたが1時間たっても帰ってこない。
幼稚園から電話が来て「お母さんは?」と聞かれて「家にいない」と答えた。
さすがに不安になり母の実家(車で10分くらいの距離)に電話すると
おばあちゃんがすぐに弟を迎えに行って、弟と家に来た。

おばあちゃんは家に来てテーブルの上にお母さんからの置手紙をみつけ、
おばあちゃんが父やおじいちゃんに連絡をしたらしく
おじいちゃんやおじさん、父も仕事を切り上げ帰ってきた。

父は青ざめていたが、不安な顔をしている私と弟に気づいて
「大丈夫だよ、でも、お母さんしばらく家に帰ってこれないみたい」
と言ってくれた。




516: 515 2015/04/29(水)13:22:04 ID:???

「しばらくってどのくらい?どこにいったの?」
と聞きたかったが子供から見てもみんな混乱していたので聞けなかった。
結局母は帰って来ず、私たち兄弟はそれから1カ月位、
私と弟は母の実家に預けられた。
このまま父もいなくなるのではと不安だったが父は毎日必ず顔を見に来てくれた。

父や祖父母、おじさんも母を探している様子で、
毎日どこかに電話したり出かけたりしていた。
お母さんはいつ帰ってくるか。誰に聞いても明確な答えは返ってこなかった。

1カ月くらいが過ぎて母が帰らないまま私たちは家に戻った。

久々に帰った家は、前と何も変わっていない1か月前に家を出た時のままだったが、
母がいない事が実感してしまい弟と大泣きしてしまった。
私たち2人を抱きしめて「お父さんがいるから大丈夫」といった。

「お母さんは帰ってこないの?」と泣きじゃくりながら聞いたが父は何も答えなかった。

それから父は朝、早く起きて朝食を作り
私と弟に食べさせて弟を幼稚園に送り仕事へ、
幼稚園のお迎えは主におばあちゃんがしてくれて
そのまま家で私を弟の面倒をみて夕食を作り食べて、
父が帰ったらおばあちゃんは帰るというパターンになった。

母がいなくなってさみしい思いをしているだろうと察しているのか
おじいちゃんや、おじさんもよく遊びに来てくれた。





517: 515 2015/04/29(水)13:25:36 ID:???

弟が幼稚園を卒業して弟を迎えに行く必要が無くなっても
おばあちゃんはしょっちゅう家にご飯を作りに来てくれていたが
父もおばあちゃんばかりに負担はかけられないと考えてか
早く帰ってきて料理をするときもあった。

父の料理は正直あまりうまくなかったが気を使って「おいしいよ」と言っていた。
でも母の料理を思い出しさびしくなった。

小学校は父兄が協力が必要な行事が
たくさんあったが父はいつも参加してくれた。
どうしてもこれない時はおじいちゃんが来てくれた。

基本給食だったが遠足や部活の試合の時なんかは
朝早く起きてお弁当を作って送り出してくれた。

父は1人で父と母の役目をこなしていた。
子供から見ても大変なのが分かったので
あまりわがままは言わず困らせたことも少なかったと思う。

何度か父に母について聞いたこともあったが父は答えに困っていた。
小学校高学年にもなると母のことを話題にすることも無くなった。
というか何となく触れてはいけないことのようになっていった。
でもやっぱり内心は気になっていて死んだのか?とも思ったが葬式はしていない。
何か悪い事をして(交通事故とか)刑務所にいるんじゃないか?

とかいろいろ考えてはみたものの、
父と母はけんかして母が怒って出ていったのだと結論をだした。
それ以外思いつかなかった。

そして中学生にもなるとだんだん母はもう帰ってこないと思うようなって、
母のことが気になることも無くなった。




518: 515 2015/04/29(水)13:30:30 ID:???

中学2年か3年かは忘れたが進路での3者面談の時
自分は就職をして定時制の高校に通うことを希望した。
父に負担をかけたくなかったからだ。

父には本当に感謝していた。
本当の親でないのになぜ本当の子供のようにできるのか。
すごいと思い、尊敬し父のようになりたいと思った。
だからこその決断だった。

私は父にそのことを伝えた。いつも落ち着いている父が珍しく声を荒げて

「本当の親ってなんだ?お前の前のお父さんや、お母さんはお前たちのことを捨てた。
そんな奴が本当の親って言えるのか?
本当の親ってのは自分の事より子供の事を考える人間のことだ。
血のつながりなんか関係ない。」

自分の母や前の父親が自分の事を捨てたってのは薄々気づいていたが
ただ断言されてしまうとショックだった。
でもそれよりも父が私の事を「本当の子」だと言ってくれたことがうれしかった。

「お前の気持ちはうれしいが、
感謝してくれているならお前が本当に進みたい道に進んでほしい。」
気づいたら私は泣いていた。
「ありがとう」と言いたかったが照れ臭くて言えなかった。

父も先生も泣いていた。
帰り際先生が「素晴らしいお父さんだ。大事にしなさい」と言ってくれた。

私は普通の高校へ進路を決めて猛勉強した。
その結果、割と頭のいい進学校に合格できた。
卒業式は父が仕事を休んで来てくれた。父は泣いていた。

その夜、父は私の部屋に来た。
「お前も中学卒業か、早いもんだな。
高校生でも大人とは言えないが自分の事は自分で決めてもいい頃だろう」
父が何が言いたいかわからず頭の中は「??」だった。そしてすこし間があった。
「お母さんとあってみるか?」
「え?居場所知ってるの?」
父は母の居場所を知っていた。私が会うつもりなら連絡をとるという。
「会う」私はすぐにそういった。




519: 515 2015/04/29(水)13:48:27 ID:???

父は弟にも話をした。最初弟は今さらあっても。。。
という感じであまり乗り気でない感じだったが
「今会っておかないと絶対後悔する」と(根拠はないが)説得した。

2,3日後に弟と私で国道沿いのファミレスで母に会う事になった。

会うまでの間、いろんなことを考え、混乱した。
なぜ出ていったのか、私たちをどう思っているのか、
今何をしているのか、聞きたいことは山ほどある。

でもそれを聞いていいのか、聞いたところで何になるのか。
それならば会わない方かいいのか。

一番聞きたかったのは私たちを捨てた理由は
やむを得ない事情があったのではないか?
それを母の口から聞きたい。ということだった。

会う当日は夕方から会う事になっていた。
春休みで受験も終わっていたので普段は昼まで寝ていたが
8時には目が覚めて一日中そわそわしていた。

弟は部活に行ってた。
「あと数時間でお母さんと会う、数時間後私たちは何を話しているんだろう」
そればかり考えていた。
弟が帰ってきて二人で自転車でファミレスまで行った。
ファミレスの店内に入ると店員の「何名様ですか?」より先に母が手を振っていた。

母の席に着く。母は自分の記憶の母よりかなり老けておばさんになっていたが、
遠い昔の記憶の片隅に残っていた母だった。
母を直視できず、10秒位間があった。何を話せばいいのか分らなかった。

「久しぶり」それが10年振りの最初の母の言葉だった。




520: 515 2015/04/29(水)14:12:14 ID:???

母はいろんなことを聞いてきた。
最初は緊張のため母からの質問に答えていただけだったが
少しづつ段々自分から話が出来るようになった。

学校の事、友達の事、進学の事、
小学校のころ鉄棒にぶつかってでっかいたんこぶを作ったこと、
部活でもう少しで全国大会に行けなかったこと。

いつの間にか止まらなくなっていた。
聞いてほしい事がどんどん出てきた。
母はニコニコ聞いてくれていた。

あまりに私がしゃべってばっかりいるので
弟が「自分ばっかしゃべりすぎだよ」と諭された。
私は母がいなくて寂しかったことはない。と自分で思っていた。

でも母と話していると私は母に聞いてほしかったことが止まらなかった。
きっと母がいなくてさみしかった。
母に会いたかったが自分の気持ちを押し殺していただけだったと気付いた。

楽しかった。あっと言う間に時間が過ぎて、窓の外はすっかり暗くなっていた。
先日買ってもらったばかりのPHSが鳴った。父からだった。
父は「久々なんだからまだ話しててもいい」と言っていたが
母はあまり遅くなっても危ないからとその日の面会は終了となった。

最後に母は「自分勝手な母のせいで苦労掛けたと思います。本当にごめんなさい。
本当に身勝手なお願いだけどたまにでいいから今日みたいに会いたい」母は泣いていた。
私も弟も二つ返事で了承した。
「私子、弟男、今日は本当に本当にありがとう。優しい子に育ってくれてうれしい。」
「お父さんに感謝だね」
しきりにそう言っていた。
私たちがお父さんに感謝しなさいという意味なのか、
それとも、母自身が父に感謝しているという意味なのか分からなかったが、
多分両方の意味だろう。

帰り道、母はちゃんといて私たちの事を気にかけていてくれた。
これからは母と話が出来る。そう思うと嬉しくてたまらなかった。

一番聞きたいと思っていた、母が出ていった理由などどうでもよくなっていた。




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