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ハリーポッター作者さん、とんでもない環境で賢者の石を書き上げる


1:風吹けば名無し:2019/08/04(日) 04:43:39.39ID:CaiR7pc/M

1990年12月30日に母アンが45歳で亡くなる。十年に及ぶ闘病生活だった。その死はローリングの心に深刻な影響をもたらし、執筆中だった本の方向性にも及んだ。打ちひしがれてマンチェスターに戻ってもそこには行き場のない人生が待っているだけであった。
しかも恋人との間にも険悪な空気が漂い始め、派手な喧嘩をしたあと、部屋を飛び出して郊外のディズバリーの小さなホテルに1人で泊まった。そこで思いついたのがクィディッチだった[6]。




2:風吹けば名無し:2019/08/04(日) 04:44:04.33ID:CaiR7pc/M

翌1991年に、ポルトガルの英語教師としての職を得た。日中はコーヒーバーに居座って原稿を書いていた。ポルト在住中5ヶ月目バーで出会った男性と同棲する。その後すぐに妊娠するが流産となる。1992年に27歳で結婚。
しかしその前にはすでに二人の関係は亀裂が入っていた。それから数週間後再び妊娠する。妊娠期間中はそれまでになくハリー・ポッター執筆に時間を費やすようになった。




3:風吹けば名無し:2019/08/04(日) 04:44:17.40ID:CaiR7pc/M

1993年7月一女ジェシカを出産。しかし4ヶ月後ローリングは家から追い出される事件が起こる。翌日、赤ん坊を取り返し友人のもとへ身を寄せ2週間後にポルトに別れを告げた。
父ピーターは再婚していたため、妹ダイが住むエディンバラに向かった。ダイはこの時第3章までの原稿を読み夢中になった。





4:風吹けば名無し:2019/08/04(日) 04:44:24.82ID:CaiR7pc/M

1993年12月社会保障局で生活保護と住宅手当を申請し、69ポンドの手当を得た。友人に600ポンドの借金もした。幅木のネズミの音に耐えられず新しいアパートを見つけようとしたが住宅手当を理由に次々と断られた。
最終的にサウス・ローン・プレイス七番地に引っ越した。この家のキッチンテーブルで『賢者の石』を書き上げることになる[6]。




7:風吹けば名無し:2019/08/04(日) 04:45:42.60ID:z60b9TnaM

ポッターの境遇は自分に寄せた部分もあるのかな




13:風吹けば名無し:2019/08/04(日) 04:48:52.68ID:2gdUF0EMM

まあこんな人生歩んでたら女は強い!母最強!ってやりたなるわな




21:風吹けば名無し:2019/08/04(日) 04:50:34.90ID:LS+w52jm0

成り上がりすげーな




















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