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些細な喧嘩中の私の一言に逆上した旦那が家を飛び出して命を絶とうとした。それを間一髪で止めてからは平穏に生活出来てたある日、ある出来事が発端で旦那がおかしくなり始めて…


120: おさかなくわえた名無しさん 2024/06/12(水) 20:21:01.71 ID:VboesYdJ

書き捨てていきます。
今年の春先の、もう終わった修羅場。フェイクあり。 

登場人物 
私(50代) 
旦那(3歳下) 
娘(小学生→中学生) 
猫(雑種、拾った子) 

義実家 
義父 
義母 
義弟 
義妹 

私実家 
私母 

警察署の方々数名 

私子は正社員の医療職。娘が一人いる。 
旦那は自称しごできな男で、
知り合った当初は確かに事務職としてバリバリ働いていた。 
が、結婚後に
「嫁も嫁親族も自分の弟妹も医療職。
 自分も医療系の資格が欲しい」と一念発起、
退職して社会人リタイア枠で医療系の専門学校へ進学。 


安月給で貯金のなかった二人なので、
学費のための借金は、
当時から旦那より収入の多かった私が全部かぶった。

自分で言うのも何だが私は当時、
頭も鈍く優柔不断で腹が据わってなかったため、
仕事ができて決断力もあった旦那を年下ながら尊敬していたし、
出来が悪いなりに旦那には一生懸命尽くしていた。

努力家の旦那は専門学校でも常に成績上位、
友達も多くでき、資格も一発で取れた。
この頃に娘が産まれ、家も夫婦共同名義で30年以上のローンを組んで、
頭金なしで建てた。
元いた職場のご好意で今度は医療職枠で入職させてもらった旦那だったが、
部署内の人間関係のゴタゴタを管理職でもないのに
自分がどうにかしようと発奮した挙句、
部署の全員に裏切られ、ハシゴを外されてひどい鬱発症。




121: 0120 2024/06/12(水) 20:22:00.54 ID:VboesYdJ

私は旦那に仕事を休職させて一馬力で働いていたが、
ある日の些細な喧嘩でうっかり放ってしまった私の
「死ね。出てけ」と言う言葉に旦那は逆上、
家を飛び出して自殺未遂をした。
私が旦那と必死の電話中の背後に流れたナビの音声で
大体の居場所を特定できたため、旦那は間一髪で警察に保護された。
その後、幸い良い病院と主治医に巡り会えたので、
その先生の助言もあって再構築することになった。
旦那を追放した職場とは争って勝ったものの、
慰謝料は雀の涙
(払わせたことでこちらに非がないことを
 証明できるからもらっておけと弁護士さんが言った)。
旦那には療養ということで専業主夫になってもらい、
子供もどうにかいい保育所に預けることができて、
ローンは重くのしかかるものの、
私たちはとりあえず平穏に生活していた。
旦那もせっかく取得した資格を活かそうと、
アルバイトやパートで働き始めたが、
なにぶん収入が少ないので、
生活費やローンの支払いは全て私が引き受け、
旦那の収入は、そのまま彼の小遣いにさせていた。

ここまでが前提。




122: おさかなくわえた名無しさん 2024/06/12(水) 20:23:56.73 ID:VboesYdJ

旦那がおかしくなり始めたのは、
旦那が拾った雀の雛が死んだ時だった。
野鳥を拾ってはいけないことを、当時は家族の誰も知らなかった。
まだ幼い娘に、
「元気になったら放すから絶対に触るなよ」と旦那が言い含めていたため、
娘は鳥籠の前に陣取って「かわいい〜」と言いながら
足をパタパタさせつつ眺めていることはよくあった。

が、ある日気がついたら、その雀が氏んでいたことで、
旦那は娘が触り頃したものと決めつけ、激しく逆上した。

ちなみに、雀が氏ぬ瞬間は私も旦那も全く見ていなかった。
様子を見に行ったら、
既に硬く冷たくなっていた。
旦那はその場で「自分が触って氏なせました」と言うまで、
保育園の年少児だった娘を徹底的に吊し上げ、

「償いのためにお前は医者になれ!それ以外の道は許さん!」

と絶叫した。
そして、娘を学習塾に入れさせ、
本人が宿題をサボると激昂するようになった。





123: 0120 2024/06/12(水) 20:25:00.96 ID:VboesYdJ

やがて娘は保育園を卒業し、校区内の指定の小学校ではなく、
家から近い別の小学校に転校手続きをして入学した。
近隣には同じ年頃の子も多く、
社交的な性格だった娘には大勢の友達ができたが、
その中に一人、たちの悪い子がいた。
これをTとする。

当時、私はフルタイムで働いていて、
旦那はアルバイトやパートをしたり辞めたりしながら、
たまに一人の旅行
(国内、海外問わず。旅費は自分の稼ぎでどうにか工面していた)に
出かけて長期で家を空けたりしていた。
鍵っ子だった娘は、
寂しさからか親不在の我が家にそのTを何度か上がらせてしまい、
調子に乗ったTは以後我が家に入り浸るようになった。
が、私が帰宅する頃にはTは家に戻っていたため、
情けない話、私はTに入り浸られていることに全く気づかなかった。
結果、うちは無理矢理上がり込もうとしたTに玄関の鍵を破壊され、
娘は両家の祖父母が節目節目のお祝いにくれたお金
(訳あって子供の財布に3万入れていた)を、全部Tに巻き上げられた。

ちょうど長期の旅行から戻った旦那が、話を聞いて激怒。
警察に被害届を出そうとするも証拠不十分で相手にしてもらえず、
ならば民事で!と保険の弁護士特約を利用して弁護士を挟み、
学校も巻き込んで、
「うちの子は悪くない。子供にそんな大金持たせるお宅が悪い」と
開き直るT母と、全面的に争った。
そして、時間はかかったが、
玄関の鍵の修理代と子供のお金は、
Tの義父(T母の内縁の夫だったらしい)が肩代わりしてうちに支払い、
事態は一応解決した。

が、これをきっかけに、
旦那が私と娘を「馬鹿だ、愚鈍だ、役立たずだ」と貶し始め、
段々と所謂モラハラを働くようになってきた。




124: 0120 2024/06/12(水) 20:26:20.03 ID:VboesYdJ

娘は保育園の頃に通っていた塾を辞め、
駅近の学習塾に通うようになったが、
そこでの成績がよく、
塾側に普通クラスから特進クラスへの移籍を打診された。
が、特進クラスは最寄駅から電車で30分かかる
大きな駅の前の系列塾にしかなかったため、
私は娘に交通系カードを買い与え、
定期的にお金をチャージして、そこへ通わせるようにした。

ところが、娘が特進クラスに移った頃から、
旦那が狂ったように勉強を強いるようになった。

テレビ禁止。
友達と遊ぶの禁止。
ゲーム禁止。
マンガ禁止。

サボっているところを見つけたら、
教科書やノートを庭で燃やそうとした。
ランドセルを壊そうとしたことも、捨てようとしたことも何度もあった。
泣く娘を車で山に連れて行き、
捨ててこようとしたことも一度や二度ではない。
私はその度に必死で取りなし、懇願して、
娘を守りつつ旦那の機嫌を直してもらおうと頑張ったが、
それが旦那を
「こいつらは俺が強く出ればいくらでも言うことを聞く」と思わせ、
増長させたのだろうと今では思う。

娘の学年が上がるにつれて、
旦那の私たち母子に対する加害行為に、一層拍車がかかった。




125: 0120 2024/06/12(水) 20:27:48.11 ID:VboesYdJ

まず、娘は、「勉強に必要ない」と、
両方の祖父母にプレゼントされた本を全て旦那に破き捨てられた。
私は、独身時代から集めてきた
マンガ(知人からもらった絶版本もあった)を、
仕事で出かけている間に一冊も残さず廃棄された。
更に、旦那は娘を、
成績が上がらないなら今からDQNになってもどうせ同じだろうが!と、
友達が多く家にも近い小学校から、
家から遠く、友達もいない、治安の悪い地域にある
公立の小学校に強制的に転校させると、しきりに脅し始めた。

私や娘が逆らえば激昂し、
私に娘を叩けと強要し、逆らえば私が木の棒で徹底的に叩かれた。

旦那は外面だけは良かったので、
友人たちに対しては嫁に頭の上がらない人の良い専業主夫を演じていて、
私や娘への暴力も、周囲にバレないように巧妙に隠していた。
痕が残らないように、足の裏を木の棒で思いっきり叩くんだ。
そんなところ誰も見ないからね。
足の裏は、怪我はしないけど叩かれたら一番痛いところだと、
旦那はいつも自慢げに言っていた。




126: 0120 2024/06/12(水) 20:28:38.41 ID:VboesYdJ

娘は段々と能面のように表情を失い、
私も逆らう気力を無くし、
以後は旦那が高い車を買うと言えば言われるがままに
自分名義でローンを組み、住宅ローンもカーローンも生活費も、
全て当たり前のように私が負担した。
ブームになったキャンプにハマった旦那が、
高いキャンプ道具に自分の稼ぎを注ぎ込み出しても
当然文句など言えるわけもなく、
そのうち旦那はそれさえも時々、私に払わせるようになった。
定職についてない自分ではクレカが作れなかったため
正社員の私にカードを作らせ、
家族カードで浪費しまくる旦那の分の支払いで、
家計は良くてカツカツ、悪ければ赤字の状態が続いた。
そうしたら、
「お前が昼メシだ何だと言い訳してコンビニで
 浪費するから全然金が貯まらないんだ!
 コンビニは高いから使うなと言ってるだろうが!」
と無茶苦茶なことを言い出し、
ついに私は通帳すらも取り上げられてしまった。
職場での私の昼食は手作りの弁当か、
ディスカウントストアの安売りのパンに限定された。
旦那は外部に対しては
「自分の小遣いで家族をしょっちゅうキャンプや
 旅行に連れて行くいい夫」という姿を、
徹底的に崩さなかった。
一緒にキャンプに行く友人たちもいたが、
当然のことながら私と娘がどれだけ虐げられていたかを、
彼らに言うことはできなかった。
少しでも匂わせれば、帰宅後激しい仕置きが待っていた。




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