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【ウマ娘怪文書】「力あれ」と貴婦人は言った。すると力があった。


1: 名無しさん(仮) 2024/03/11(月)01:06:39

「力あれ」と貴婦人は言った。すると力があった。

月の静けき夜であった。
静謐が横たわる中、ジェンティルドンナは私室の学習机の前に腰掛けていた。
その眼前にあるのは、鉄塊である。
15cm四方を縦に30cmほど伸ばした、鈍色のインゴット。
ジェンティルドンナは暫し、思案顔でそれを見つめていたが、
やがて某かの考えがまとまったのか、おもむろにそれを包むよう、両の手をかざした。
そして深く息を吸い込むと、ほんの一瞬だけ呼吸を止め──
爆ぜるように、吐いた。
「────フッ!!!!!!」
血が猛り、肉が躍った。
交錯するようにその両腕が迸ると、鉄塊が「力」の嵐の渦中に舞った。
【1/7】




2: 名無しさん(仮) 2024/03/11(月)01:06:59

はじめに力があった。
まず、右手の一撫でで鉄塊の角が失せ、猛回転を加えられた鉄塊が中空へ浮き上がった。
次いで左手が閃くと、その軌跡がそのまま圧力となって、鉄塊がその表面を凹ませていく。
さらに一瞬の後にはまた右手が奔り、かと思えば左手が轟き──
刹那の内に幾重にも幾重にも、暴力のうねりが空間を埋め尽くしていく。
鉄の鉄たらんとする尊厳を蹂躙するが如く、いとも容易く。
弄ぶように。慈しむように。

撫で、摘み、転がし、砕き、圧し、潰し、曲げ、延ばし、接ぎ、整え、愛でる。

力の奔流は、しかし周囲に無駄な破壊をもたらすことはなく、卓上の空間のみで猛り狂っていた。
ただ時折、極地のクレバスが軋むような、深く、鈍い音だけが部屋へと響いていく。
音がひとつ響くたび、かつて鉄塊だったものが一歩ずつ何かへと姿を変えていく。
それはさながら、鉄を用いた粘土細工であった。
【2/7】






3: 名無しさん(仮) 2024/03/11(月)01:07:22

ジェンティルがこの鉄細工に耽りだしたのは、今夜が初めてのことではない。
事の起こりは一月ほど前、日課のトレーニングの最中。
いつのものようにトレーニング用の鉄球を握り込み、しかしまるで物足りず豆粒を量産していた折、
それを何とも言えない表情で見ていたトレーナーが、ふと思いついたように提案してきたのである。

『……どうせなら、ただ握り込むだけでなく何かを作ってみては?』

曰く、ジェンティルドンナは「力」の体現者である。
けれどもこと指向性に関しては、まだまだ改善の余地があるように思われた。
レースでの踏み込みも、コーナリングも、きちんと力を望むように伝えてこそ。
「……ふぅん。面白そうですわね。それで? この私に、何を象れと仰るの?」
【3/7】





4: 名無しさん(仮) 2024/03/11(月)01:07:37

そうして、トレーナーが廃材加工業者から調達してきたのが、この鉄の角柱である。
トレーナーが出した条件は三つ。

一つ、道具は使わないこと。
一つ、なんらかのテーマを決めて作ること。
一つ、削片や端材を出さないこと(これは部屋を汚さないためである)。

元来、埒外の膂力と貴婦人としての教養を併せ持ったジェンティルである。
最初の二つは苦もなくこなしたが、三つ目にはやや手こずらされた。鉄材が脆すぎるのである。
しかし、それも最初の数夜のことだった。
鉄片同士の圧着のコツをものにしてからは、むしろ素材の脆さこそが加工の容易さに変わった。
徐々に凝った意匠を象ることもできるようになり、
ジェンティル自身、この行為に熱が入ってきている自覚があった。
所詮は児戯と思って始めたのも束の間──今では毎夜、この手慰みに耽っている。
【4/7】




5: 名無しさん(仮) 2024/03/11(月)01:08:36

時に火花が散るほどの勢いで、鉄塊が手玉に取られ、宙を舞う。
その中で掬い取られ、塗り込められ、磨かれる内、鉄はひとつの完成形に近づきつつあった。
──ラストスパートが目前に迫っている。
ジェンティルの中で昂ぶった炎が、今宵の絶頂を予感して一層激しく揺らめいた。

そして。
音が止み、ジェンティルドンナは両手を置いた。
その狭間、卓上にてまだ熱を帯びているのは、ひとつのチェス駒であった。
悠然と佇む女王──クイーンを象ったそれは、無骨ながらも上品な作りで、
やや歪な形の杖……棍棒?を掲げ、誇らしげに鈍く光らせている。
どこかジェンティル自身を思わせる勝ち気な顔立ちは、彼女の無意識、否、自負の表れだろうか。
今宵、この手遊びにかかった時間は、わずか10分に満たない。
だが、鉄の廃材が冠を戴くには、あまりに濃密な時間だった。
【5/7】




6: 名無しさん(仮) 2024/03/11(月)01:08:58

ジェンティルドンナは、暫しの間、駒を矯めつ眇めつ眺めていた。
そしてひとしきり検分を終えると、ほぅ……と満足気に息を吐いた。
「……完璧、ですわね」
自画自賛であった。

かの剣豪、ウマ本武蔵は木片の中に御仏を見出したという。
彼女はシンプルに木を削って像を作り上げたのだろうが、自分は違う。
素材が持つポテンシャルを削片すら出すことなく、全てこの駒に閉じ込めた。
これこそが一つの究極。「最強」のあるべき形。
……他人の目から見た駒の出来はさておき、そう心から信じ抜ける心の強さは、
間違いなくジェンティルドンナを成すものの一つであった。
【6/7】




7: 名無しさん(仮) 2024/03/11(月)01:09:55

作り上げた駒をつまみ上げると、すでにその熱は収まっていた。
そのまま棚の上に置かれたチェス盤へとジェンティルが手を伸ばす。
このチェス盤もジェンティルが手掛けた初期の作品であり、すでに駒も大半は揃っている。
その盤上に女王が戴冠すれば、残る空席はあと一つ。
空白のキング。
「……さて。残る玉座は、あと一つ」
君臨せし者。ターフの王。
その言葉を思うと脳裏をよぎる一人のウマ娘の顔を、ジェンティルは頭を振って追い払う。
──否。我が領土にて君臨すべきは、あの暴君にあらず。
なればこそ、キングもまた己の似姿であるべきか。
「いえ……王より強い女王というのも、面白い趣向ですわね」
時に、絶対者の前ではルールすら傅く。
自身の胸の裡にまた新たな熱が疼くのを感じ、貴婦人は不敵に笑い、駒を置いた。
女王の進撃を告げる足音が、ひとつ木霊し、夜に溶けた。
【7/7 冠】




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