このコピペ見るたび心が締め付けられるんやが…
107 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:24/01/08(月) 13:36:29 ID:5nJO
スロットっていうのが時代感じるよな
今の匿名掲示板やってるような層はソシャゲに課金かVチューバーにスパチャやろ
122 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:24/01/08(月) 13:38:35 ID:DsTi
大学受験サロンの1年
4月~8月
MARCHはFランw早慶は夏からでも余裕wザコクw東大以外大学じゃないw
偏差値45の工業高校から東工大目指して毎日勉強します!
引きこもりが高認とって慶應受かる物語
大阪大学vs早慶、筑波横国vs早慶
9月~12月
MARCHに今から受かる方法はありますか?
どうしてもニッコマに行きたくない人が集まるスレ
東大京大目指すよりサクッと早慶が正解か?
MARCHは難易度や世間の評価は旧帝クラスw
地元の地方国立の工学系に進学するのがコスパ最強ワロタ
MARCHvs北大九大、明大vs名大
1月~2月
ニッコマでも悪くない気がしてきた
ニッコマも世間から見たら十分高学歴
共通試験50%で通る国立大学ありますか?
東洋vs関関立、日大vs Stars
3月
日東駒専は高学歴
1浪大東亜or2浪MARCHどっちがいい?
明治×青山×立教×中央×法政×東洋×日大×専修×駒澤×東海×国士舘×関東学院×帝京平成?
帝京大の方が東大より名前はかっこいい
現役でニッコマ大東亜全落ちが1年で早慶に行くスレ
136 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:24/01/08(月) 13:41:11 ID:91Ur
これも泣いたやつ
小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。
クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした
143 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:24/01/08(月) 13:43:53 ID:JuGc
個人的に泣きそうになったやつ
ところでさ、一人暮らししてる人は年に何日実家に帰ってる?
俺は仕事が忙しくて夏休み3日正月休み3日の、計年間6日位なんだけどさ。
俺のカーチャン今50歳で、考えたくないけど
女性の平均寿命から考えてあと30数年とするわな。
単純計算すると、あと180日位しか会えないことになる。
冷静に考えてみたら、もう半年しかないんだぜ?
おまえらも数えてみ?
あと何日カーチャンに会える日がある?
144 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:24/01/08(月) 13:44:05 ID:VRgf
特にやばいコピペはエビフライとアイスの奴だな
145 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:24/01/08(月) 13:45:05 ID:PQrC
エビフライってなんや
146 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:24/01/08(月) 13:45:16 ID:txz9
>>145 これかな?
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」
とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」
日記はあの日で終わっていた。
「今日は〇〇の好きな海老を入れた。相変わらず体が思うように動かなくてぐちゃぐちゃになったけど…喜んでくれると良いな」
何で食べてあげなかったんだろう…今でも後悔と情けなさで涙が止まらない。
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