【悲報】世界のマズい料理ワースト100、日本が2個もランクインしてしまうwwwwwwwwww
100: 名無しさん@おーぷん 23/09/30(土) 08:20:56 ID:QioJ
>>97
そこで酢をひとたらし
102: 名無しさん@おーぷん 23/09/30(土) 08:21:22 ID:AFfL
ナポリタンにタバスコぶっかけて食うと超うめえのに…
45: 名無しさん@おーぷん 23/09/30(土) 07:35:01 ID:CBmO
ナポリタンはタバスコとセットじゃなきゃダメやな
61: 名無しさん@おーぷん 23/09/30(土) 07:52:50 ID:pQ2M
アメリカ人はナポリタン好きそう
134: 名無しさん@おーぷん 23/09/30(土) 12:38:53 ID:g4WK
でもナポリタンって元々はアメリカ人の物やろ
ナポリタン
ナポリタン(Naporitan)は、パスタ料理の一種で、茹でたスパゲッティをタマネギ、ピーマン、ベーコンなどの具材と共に炒めトマトケチャップで調味したもの。
日本発祥のパスタ料理であり、類似の名を持つイタリア料理のスパゲッティ・アッラ・ナポレターナとは異なる。
戦前の料理店のトマトソーススパゲッティ
東京・銀座の煉瓦亭には、1921年(大正10年)の時点で「イタリアン」というメニューがあった。外国航路のコックが陸に上がって伝えたものという。同店の4代目店主によれば、当時の「イタリアン」にはトマトピューレを用いていたが、関東大震災後から戦時中に食料配給制になるまではケチャップを使用していたという話もあるという。
横浜市教育委員会が発行した『横浜の食文化』p.79には、1934年(昭和9年)1月の横浜ホテルニューグランドのメニューが掲載されており、そこには「Spaghetti Napolitaine」の記載がある。また、同ホテルの支店である東京ニューグランドの1935年(昭和10年)のメニューには、カタカナで「スパゲチ ナポリテーイン」と書かれている。この「スパゲチ ナポリテーイン」は、裏ごししたトマトとチーズで作ったソースをかけたものだったと推定されている。
当時のホテルニューグランドの総料理長はドリアの考案やアラカルトの導入などで知られるサリー・ワイルであり、戦前に同ホテルで修業経験のある小野正吉は、「スパゲッティナポリタンだとか、ご飯をグラタンにしたドリアなんか、ワイルさんがはじめて出したんですよ」と発言している。
しかし、戦前のこれらのパスタ料理は太平洋戦争によっていったん忘れ去られることになる。大矢は、太平洋戦争によって日本人のそれまでの食文化がいったん完全に破壊されたのだと述べている。
占領下の日本とアメリカ風スパゲッティ
太平洋戦争終結後、日本はGHQの占領下に置かれた。日本国内にはアメリカ軍を中心とした連合軍が進駐軍として駐留し、日本人とアメリカ兵たちとの間には交流も生まれた。そんな中で日本人はアメリカの食文化に接することになった。
アメリカ人は、兵隊食(Cレーション)の缶詰スパゲッティでいっそうスパゲッティに親しむことになった。この缶詰のスパゲッティにはケチャップに近いソースが使われていて、やわらかく、ぎっとりして甘いものだった。
缶詰スパゲッティに慣れたアメリカ人はコシのないやわらかい麺に慣れ親しみ、その嗜好に合わせる形で、現地で生産されるスパゲッティも硬質小麦ではなく軟質小麦を用いたやわらかいものになった。
こうしてアメリカ人は“ケチャップあえのスパゲッティ”を好むようになり、この嗜好がGHQと共に日本に伝わることになる。
入江茂忠の「スパゲティーナポリタン」
ホテルニューグランド第4代総料理長の高橋清一は、ナポリタンは第2代総料理長の入江茂忠が戦後に考案したと述べている。
ホテルニューグランドは、1945年(昭和20年)8月30日のダグラス・マッカーサーの来日直後から7年間GHQに接収されていた。入江は進駐軍の兵士がケチャップで和えただけの具なしスパゲッティを食べているのを見て、ケチャップだけでは味気ないと考え、
生トマト、タマネギ、ニンニク、トマトペースト、オリーブオイルでトマトソースを作り、炒めたハム、ピーマン、マッシュルームを加えてソースで和えたスパゲッティを考案したという。このスパゲッティは「スパゲッティーナポリタン」と呼ばれた。
高橋によると、「ナポリタン」という命名は、中世のころナポリの屋台で庶民向けにトマトソースをかけたスパゲティが売られていたことをヒントにしたものだという。
135: 名無しさん@おーぷん 23/09/30(土) 12:43:52 ID:pQ2M
>>134
進駐軍がスパゲッティにケチャップかけて食ってた
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