三毛別羆事件より凄惨な事件ってあったの?
54: エルボーバット(茸)@\(^o^)/ 2016/02/20(土) 21:06:38.38 ID:XB6kqIDG0
西部開拓時代のドナー隊の惨劇
wikiの読み応えはかなりのもの
1846年の春、アメリカの東部からカリフォルニアを目指して出発した開拓民のグループである。彼らは旅程の遅れのために、1846年晩秋から47年早春までシエラネバダ山脈山中での越冬を余儀なくされ、過酷な環境の中で多数の餓死者や凍死者を出した。生存者たちは、必然的にカニバリズム(人肉食)に走らざるを得なかった。
アメリカ西部への幌馬車による旅は、大抵の場合は6ヶ月を必要とする。しかしドナー隊はヘイスティングズ・カットオフと呼ばれる近道を選択したところ悪路に阻まれ、さらにワサッチ山脈やグレートソルト湖周辺の砂漠地帯を越え、ハンボルト川の谷に従って進みネバダ州に至る間に多くの幌馬車と家畜を失い、グループ内にも分裂が生じた。
1846年11月、一行はカリフォルニアに至る最後の障壁・シエラネバダ山脈に差し掛かる。しかし早い冬の訪れに伴う大雪に阻まれ、海抜2,000mに位置するトラッキー湖(現在では、ドナー湖と呼ばれている)湖畔での越冬を余儀なくされる。食料は早い段階で尽き、幾人かは雪の山脈を越えてカリフォルニアに助けを求めた。しかし救援隊は1847年2月になるまで到着せず、結局一行87人のうち、生きてカリフォルニアの地を踏んだのは48人だった。歴史家は、この事件を西部開拓史における壮大な悲劇と位置付けている[1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%BC%E9%9A%8A
58: ミラノ作 どどんスズスロウン(家)@\(^o^)/ 2016/02/20(土) 21:08:52.21 ID:hAVyrKtn0
>>54
>結局一行87人のうち、生きてカリフォルニアの地を踏んだのは48人だった。
この生存率
下手に全滅とかよりもなかなか怖そうだ
71: リキラリアット(庭)@\(^o^)/ 2016/02/20(土) 21:37:30.21 ID:sfZF9AyC0
>>54
八甲田山死の彷徨より悲惨な出来事だったんだな
90: テキサスクローバーホールド(dion軍)@\(^o^)/ 2016/02/20(土) 23:31:41.74 ID:Q3wz/PVn0
>>54
バイカル湖の悲劇に比べりゃ余裕だろ
56: エメラルドフロウジョン(茸)@\(^o^)/ 2016/02/20(土) 21:07:53.30 ID:vNJxCZV60
北九州監禁殺人
尼崎監禁殺人
wiki読んでるだけで気分悪くなる
当時の報道規制ってやっぱ必要だったんだなって実感する
【猟奇殺人】 7人が死亡し、鬼畜の所業といわれた北九州監禁殺害事件
59: アルゼンチンバックブリーカー(千葉県)@\(^o^)/ 2016/02/20(土) 21:14:57.94 ID:MrPp2ZD+0
>>56
>北九州監禁殺人
猟奇殺人ならワースト1だわ
初めてwiki読んだその日の夜、色々想像してたら気持ち悪くなって明け方まで寝れなかった思い出
61: ダイビングエルボードロップ(茸)@\(^o^)/ 2016/02/20(土) 21:19:04.34 ID:mX9PCGUr0
>>59
おじさんが檻に入ってる写真とか
殺されると気付いた被害者が
首絞められやすいように首をスッとあげたとか
この記事を評価して戻る