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両親が新興のキリスト教信者で友人と遊ぶのは禁止だった。高校に行く事さえ禁止しようとしたので...


146: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/09/13(日) 15:02:39.30

両親は俺が物心ついた頃から、ある宗教に所属していた。

比較的新興のキリスト教で、遠くない未来ハルマゲドンがおこり、
組織に属していない人間は全員滅ぼされる、
生き残った組織の人々は、楽園で永遠に幸せに暮らせる、
というのが教えのベースだった。




146: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/09/13(日) 15:02:39.30

行動規範は、そのハルマゲドンに備え、
一人でも多くの人に聖書の教えを伝えるというものだ。
週に3日、集会と呼ばれる教会での集まりがあり、そこで聖書の教えを聞く。
その他の時間は、可能な限り伝道活動を行うことが推奨されていた。

ハルマゲドンは数年から10年程度で来ると言われており、
その為フルタイムの仕事をすることは悪とされた。
そんな時間があれば伝道活動をすべし、というのが組織での常識だった。

父親は元々は大手の営業マンだったが、
入信後言われるがままに仕事を辞め、アルバイトを始めた。
当然うちは貧乏だった。
子供は俺だけとはいえ、父親がフリーター、母親が専業では当然だ。

またハルマゲドンが来るまでのこの世は、悪魔に支配されているとされていた。
信者以外の人間は「世の人」と呼ばれ、
必要以上の接触は信仰心を削ぐということで、これも推奨されない行為だ。
つまり、原則学校の友人と遊ぶのは禁止であるのだ。

もちろん部活も禁止だ。
学校では授業のみ受け、すみやかに帰宅し、
集会、もしくは伝道活動に出席するのが、信者の子供の行動パターンだ。
その他、クリスマスや誕生日、正月や七夕、節分、あらゆるイベントが




148: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/09/13(日) 15:13:42.34

ものみか。キリスト教じゃないな。





149: 146 2015/09/13(日) 15:18:48.98

>>146の続き

あらゆるイベントが、悪魔に支配されているこの世の行事とされ、
関わることは一切禁止だった。
俺の幼少から少年時代が、いかにつまらないものだったか、
分かって頂けると思う。

また、悪いことにうちは両親共に信者だった。
多くの家庭が母親のみ信者で、父親は未信者だった。
そういう家庭でも母親が父親の反対を無理矢理押し切り、
子供を教会に連れて行くのだが、
それでも両親ともに信者のところよりは自由があった。

さらにうちの父親は、その教会でもっとも責任ある
長老と呼ばれる立場になっていた。

長老一家は他の信者の模範とならなければいけない存在だ。
他の信者の子供が、クラスの子と放課後に遊んでいるのを目撃されても
大事にはならないが、俺の場合は許されない。
そういう事が発覚すると、両親にベルトで全身をみみず腫になるまで殴打された。

嘘だと思うかもしれないが、
行きすぎた体罰は当時の組織ではよく行われていたことだった。




153: 146 2015/09/13(日) 15:37:38.50

なんだこの下らない人生、と俺は思った。
10代半ばの頃だ。
俺には神がいること、ハルマゲドンが来ることを
なかなか心から信じることができなかった。
伝道活動に熱心になることも出来なかった。
それよりも友達と遊んだり、部活をやったりしたかった。

しかし組織の教えは、物心ついた頃から徹底的に叩きこまれていた。
頭では否定しても、ハルマゲドンの恐怖や、
神に見られているという感覚を忘れることは難しかった。
また両親からは、組織から離れたら縁を切ると宣言されていた。
そんな状況で組織から離れるのは、10代の少年には本当に厳しいことだ。
しかし組織にとどまっているのもまた地獄だった。

中学の卒業式のその夜、俺は神に祈った。
高校入学までの間に、
どうか私にあなたの存在を信じられるような奇跡をおこして下さい。
心に直接語りかけて頂いてもいいです。
今は苦痛な集会や伝道活動が
楽しくて仕方がないようにして頂いてもいいです。
どうかどうかお願いします。

その日から毎日毎日真剣に祈った。
信仰心を神に伝えようと初めて伝道活動にも積極的な関わった。

でももちろん奇跡は起きなかった。




154: 146 2015/09/13(日) 15:47:28.61

高校の入学式のその夜、俺は宗教関係の書籍をすべて段ボールにいれ、
両親のいる小さなリビングに持っていった。
ちなみに決行をこの日にしたのは、
入学前だと高校に行かせてもらえなくなるのを危惧したからだ。
当時は真剣だったのだ。

驚く両親に、僕は今日で組織を抜ける、と宣言した。
心から信じる事ができない事、
この春休みに神に祈ったが応えられなかった事、
今の人生が辛い事、
それらを努めて冷静に伝え、
そして最後に高校だけは出して欲しいと懇願した。

母親は泣いてパニックになっていた。
父親は自分が何を言っているのか分かっているのかと
最初は威圧的だったが、俺の意志が固いとみると、
もう少し時間をかけて考えようと態度を軟化させた。
その夜は、ずっと母親のすすり泣く声が聞こえてきた。




157: 146 2015/09/13(日) 16:11:12.07

その週の集会の日、父親が本当にこないつもりか?と聞いた。
俺は無言で頷くと、母親が号泣した。
神の名前を何度も口にし、俺が集会にくるようにと祈っていた。
祈りは届かないんだよクソババア、と心で悪態をついた。

その後も何度か説得されたが、俺は応じず。
無駄だと知った両親は俺へのコンタクトを止めた。
それから両親とは、しばらくまともに口を聞かなかった。
高校はどうだ?みたいな当たり前の会話もなかった。
食事も自室で取ったし、なるべく顔を合わせないようにした。

俺はバスケ部に入った。
スポーツはそれなりに得意で、背も高かったので、
部活では誉められる事も多く楽しかった。
クラスにも馴染め、友達と帰りにゲーセンに行ったりするのが新鮮で、
毎日か楽しくて楽しくて仕方なかった。

勉強はほとんどしなかった。
大学にはどうせ行けないのだ。
そんなことする時間があれば中学時代に失った青春を取り戻そうと、
部活に遊びにと熱中した。
また、小遣いがなかった為、土日だけ新聞配達を始めた。
月2万くらい、まあ十分だった。

二学期になった頃、ようやく両親と食事をするようになった。
でも組織の誰々君が最近立派に伝道してるとか、
誰々君がバプテスマを受けたとかそんな話ばかりだった。
また俺のせいで父親が長老の立場を下ろされたのも聞かされたが、
知ったこっちゃなかった。

相変わらず部活どうだ?の一言もなかった。
しかし俺も色々な場面で両親を頼らざるを得ないのは痛感していたので、
卒業までは仮面親子を演じようと、特に荒波を立てるような言動は控えた。

二学期の終わり、同じクラスの子に告白された。




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