ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人
1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/01/22(火) 11:30:56.56 ID:A4cAecbj0
日本の各地でザビエルは布教するのですが、
出会った日本人が彼に決まって尋ねた事があります。
それは、「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか」ということでした。
そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、
今、どこでどうしているのか」ということだった。
つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、
洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、
やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・
当時の日本人はザビエルにこういう質問を投げかけた。
元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、
ザビエルもそう答えました。すると日本人が追求するわけです。
「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。
全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」
ザビエルは困ってしまいまして、本国への手紙に次のように書きました。
「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、
日本の布教は苦労するであろう」と。当時の中国にも、韓国にも、
インドシナにもこうしたキリスト教の急所(?)を突くような人間はいなかったわけです。
https://livedoor.blogimg.jp/nwknews/imgs/4/0/40f4a5d8-s.jpg
2:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/01/22(火) 11:31:29.89 ID:A4cAecbj0
この他にも、『もし神様が天地万物を造ったというなら、なぜ神様は悪も一緒に造ったのか?(神様がつくった世界に悪があるのは変じゃないのか?)』などと質問され答えに窮していたようです。
ザビエルは、1549年に日本に来て、2年後の1551年に帰国しますが、
日本を去った後、イエズス会の同僚との往復書簡の中で
「もう精根尽き果てた。自分の限界を試された。」と正直に告白しています。
集団原理の中で生きてきた日本人にとって、魂の救済という答えは
個人課題ではなく先祖から子孫に繋がっていくみんなの課題であったはず。
「信じるものは救われる」=「信じない者は地獄行き」
といった、答えを個人の観念のみに帰結させてしまうキリスト教の欺瞞に、
当時の日本人は本能的に気づき、ザビエルが答えに窮するような
質問をぶつけたのではないでしょうか。
11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/01/22(火) 11:34:57.18 ID:ZngF0NSS0
長い三文字で
24:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/01/22(火) 11:39:57.49 ID:YCLOsgRA0
>>11
土人感覚で日本人に布教しようとしたら
白人より精神的レベルが高くて
ザビエルびっくり
18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/01/22(火) 11:38:31.87 ID:fFt7fSik0
さすが我が祖先達!今の日本人にもそういう思慮深い部分が脈々と受け継がれてるな!!
誇らしい!
21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/01/22(火) 11:39:35.18 ID:2s0f9NUM0
時代性というのも多少はあるだろうが、俺はザビエルの頭にはとても親近感が沸くんだ
32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/01/22(火) 11:42:41.81 ID:q5LtpvSiO
>>21
残念だけどあれはトンスラっていってああいう髪型をしてるだけなんだ