【悲報】津波で84人が亡くなった大川小学校さん、12年経った今でも叩かれ続けてしまう。。。。。
135: それでも動く名無し 2023/03/11(土) 03:30:37.86 ID:mIrBxyqz0
>>119
石碑の教えを守って高台に家建てた集落とか
私財を投じて避難所作ったおっさんとか
ちゃんと対策してる人もおったんよな
180: それでも動く名無し 2023/03/11(土) 03:40:43.11 ID:xPYO8LnwH
大津浪記念碑
高き住居は児孫の和楽
想へ惨禍の大津浪
此処より下に家を建てるな
明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は此処まで来て
部落は全滅し、生存者僅かに前に二人後に四人のみ
幾歳経るとも要心あれ
大津浪記念碑
大津浪記念碑(おおつなみきねんひ)とは、大津波の被害を受けた地域の住民が、子孫への警告として設置した記念碑。
同様のものは日本各地にあり、津波常襲地帯である三陸海岸で海と接する岩手県内だけで200基を超えるが、本項は有名な岩手県宮古市重茂(おもえ)姉吉(あねよし)地区の石碑について述べる。
(中略)
碑文は「明治29年の津波で、村の生存者はわずか2人、昭和8年の津波では、4人だけだった」と過去の大津波で村民がほとんど全滅した悲惨な状況を伝えたうえで「大津波の悲劇を記憶し、何年たっても用心せよ」と戒め「津波は、ここまで来る。ここから下には、家を作ってはならない」と警告する。
東日本大震災後
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による津波は、姉吉漁港がある入り江から集落へ続く川や道沿いに陸側奥深くまで流れ込み、大津浪記念碑の約50 m手前にまで迫ったが、石碑の警告どおり上にあった集落までには至らず、建物被害はなかった。
また、地震発生時に海岸近くにいた住民も、すぐに自宅に戻って難を逃れた。この事実が報道によって広まり、津波記念碑が改めて注目されるきっかけとなった。
震災後の2012年7月、大津浪記念碑の手前50 mに「津波到達地点」と刻まれた碑が新たに建てられた。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/90/%E5%A4%A7%E6%B4%A5%E6%B3%A2%E8%A8%98%E5%BF%B5%E7%A2%91.JPG
153: それでも動く名無し 2023/03/11(土) 03:35:01.18 ID:ldoKjISM0
震災系の番組なんかで生き残った人が津波の被害を語るんだけどさ
津波が余裕で到達したエリアに新しい建物が建ってるのとか見ると何とも言えない気分になる
163: それでも動く名無し 2023/03/11(土) 03:37:19.67 ID:cbZUzbRy0
>>153
でも見てるとある程度流されてもよさげな建築物多いで
住居は少ないわ
128: それでも動く名無し 2023/03/11(土) 03:29:29.85 ID:Iwe0oJbK0
wiki
> 教諭の中で唯一生存した男性は、その列の最後尾にいて学校の裏山に登って助かった。その際にこの男性教諭は、3年生の男子生徒を助けている。
この人が叩かれるの悲しいつらかったやろな
136: それでも動く名無し 2023/03/11(土) 03:30:40.93 ID:1HZdeiMK0
>>128
唯一保護者が怒りぶつけられる相手やからな
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