「デーモン・コア実験」という恐ろしい実験が行われていたという事実...
6: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/02/13(月) 20:24:56.54 ID:xFKyEjtK0
失敗しても繰り返す根性
10: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/02/13(月) 20:25:46.31 ID:pCSj3jiHa
手が滑ったり後ろの研究員が被爆したりしすぎ
12: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/02/13(月) 20:26:30.05 ID:h18VCLTj0
毎回手滑らせてて草
20: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/02/13(月) 20:28:00.43 ID:LyZ4CePW0
>>12
マーフィーの法則やぞ
17: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/02/13(月) 20:27:17.38 ID:budxapnV0
一流の学識を持つガイジどもの遊び
35: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/02/13(月) 20:32:44.33 ID:b+5kYfYv0
>>17
的確過ぎて草
18: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/02/13(月) 20:27:36.52 ID:3VhymYQaa
バケツで運んでも平気やろ!
東海村JCO臨界事故
東海村JCO臨界事故は、1999年9月30日に、茨城県那珂郡東海村に所在する住友金属鉱山の子会社の核燃料加工施設、株式会社ジェー・シー・オー(以下「JCO」)が起こした原子力事故(臨界事故)である。日本国内で初めて、事故被曝による死亡者を出した。
1999年9月30日、JCOの核燃料加工施設内で核燃料を加工中に、ウラン溶液が臨界状態に達し核分裂連鎖反応が発生、この状態が約20時間持続した。これにより、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名中、2名が死亡、1名が重症となった他、667名の被曝者を出した。
(中略)
本事故の原因は、旧動燃が発注した高速増殖炉の研究炉「常陽」用核燃料の製造工程[7]における、JCOのずさんな作業工程管理にあった。
JCOは燃料加工の工程において、国の管理規定に沿った正規マニュアルではなく「裏マニュアル」を運用していた。
一例をあげると、原料であるウラン化合物の粉末を溶解する工程では正規マニュアルでは「溶解塔」という装置を使用するという手順だったが、裏マニュアルではステンレス製バケツを用いた手順に改変されていた。事故当日はこの裏マニュアルをも改悪した手順で作業がなされていた。具体的には、最終工程である製品の均質化作業で、臨界状態に至らないよう形状制限がなされた容器(貯塔)を使用するところを、作業の効率化を図るため、別の、背丈が低く内径の広い、冷却水のジャケットに包まれた容器(沈殿槽)に変更していた。