八甲田山雪中行軍遭難事件とかいう”トラウマ”事件
1: それでも動く名無し 2023/01/24(火) 21:25:35.43 ID:dKAeC9sud
そら今日以上の寒波の中行軍したら全滅するわ
八甲田雪中行軍遭難事件
八甲田雪中行軍遭難事件(はっこうだせっちゅうこうぐんそうなんじけん)は、1902年(明治35年)1月に日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件。訓練への参加者210名中199名が死亡(うち6名は救出後死亡)するという日本の冬季軍事訓練において最も多くの死傷者を出した事故であるとともに、近代の登山史における世界最大級の山岳遭難事故である。
日本陸軍は1894年(明治27年)の日清戦争で冬季寒冷地での苦戦を強いられた経験を踏まえ、さらなる厳寒地での戦いとなる対ロシア戦に向けた準備をしていた。日本陸軍にとって冬季訓練は喫緊の課題であった。対ロシア戦は10年後の1904年(明治37年)に日露戦争として現実のものとなる。
雪中行軍は青森歩兵第5連隊210名が1902年1月23日から、弘前歩兵第31連隊37名と新聞記者1名が1月20日から2月1日までそれぞれ異なる経路を行軍した。
2: それでも動く名無し 2023/01/24(火) 21:26:13.79 ID:mZa7UnIEM
詳しく
4: それでも動く名無し 2023/01/24(火) 21:26:59.37 ID:dKAeC9sud
>>2
日露戦争に備えて雪中行軍したら全滅した
41: それでも動く名無し 2023/01/24(火) 21:38:19.29 ID:+IBA7LcFa
>>4
全滅ではないよね
5: それでも動く名無し 2023/01/24(火) 21:28:08.17 ID:egp+HpNy0
日本歴代最低気温を更新するタイミングで雪中行軍したのが運の尽き
6: それでも動く名無し 2023/01/24(火) 21:28:23.44 ID:V6baH3Iw0
地元民の言うこと聞かんからや
9: それでも動く名無し 2023/01/24(火) 21:28:55.19 ID:/IOVrq1b0
寒すぎて矛盾脱衣とかあったらしいな
八甲田雪中行軍遭難事件#彷徨
隊は鳴沢の辺りまで一旦は辿り着いたものの、風も強く断崖に達したため引き返そうとしたが、前方を山に遮られ道を見失った。のちの後藤伍長の証言によれば、大隊本部の将校や神成大尉らの協議の末「ここで部隊を解散する。各兵は自ら進路を見出して青森または田代へ進行するように」と命令したとされる。また小原伍長の証言によれば、「天は我らを見捨てたらしい」というような言葉をこの場所で神成が吐いたとされる。このため、それまで何とか落伍せずに頑張っていた多くの将兵が、この一言により箍(たが)が外れ、矛盾脱衣を始める者、「この崖を降りれば青森だ!」と叫び川に飛び込む者、「いかだを作って川下りをして帰るぞ」と叫び、樹に向かって銃剣で切りつける者など発狂者が出てくるほか、凍傷で手が利かず、軍袴のボタンを外せぬまま放尿し、そこからの凍結が原因で凍死する者など死亡者が続出した。
ただし、実質的に隊の統制が失われていたことはともかく、生還した伊藤中尉は晩年に至っても「隊が途中で解散した」と巷で定説のように扱われている話を否定し続けた。
https://www.youtube.com/embed/VhHboSzSDFE